九十五ヶ条の論題 1517年、ルターが発表したローマ教会の贖宥状販売などを批判した公開質問状。大きな反響を呼び、宗教改革の始まりとなった。 ドイツ宗教改革の始まりを告げることとなった文書である。当時、ローマ教皇レオ10世から贖宥状販売のためにドイツに派遣されたドミニコ修道会の説教師テッツェルは、「お金が箱の中に投げ入れられてチリンと音がするとともに魂が救われる」と説いて、人びとに贖宥状を販売した。そのような露骨な贖宥状の販売に疑問を持ったヴィッテンベルク大学の神学教授ルターが1517年10月31日、ヴィッテンベルク城内の教会の門扉に貼りだしたのが『九十五ヶ条の論題』であった。このような意見の発表は、当時の神学論争ではごく普通のことであった。その日は万霊節の前日にあたり、多くの参詣人が集まっていた。『95カ条の論題』は(当時の教会用語である)ラテン語で書かれていたが、その内容はドイツ語に翻訳