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genderとcommunicationに関するflakのブックマーク (2)

  • 非モテは保守反動か - kmizusawaの日記

    非モテは保守反動か については、恋愛至上主義的な世の中に疑問を持ってる人はともかく、女は汚いとかひどいとか言ってる人が、人は意識していなくてもなんか変な方向に取り込まれたりそっち方面の意見に加担してしまうことはあるだろうなーという気はする。いつぞやのエイズと純潔云々のネタのように。パートナー探しは自己責任で、ではパートナーを得がたい人が、生まれたときからいいなずけが決められていて自分で探さなくてもいいような世界に憧れを抱くのは無理ないと思うが、ホントにそれしかないような世界になったらそれはそれで不幸な人がどっさりでると思うよ。つうかそういう社会でも、けっきょく金や権力や美貌のある人は、こっそりとおめかけさんを囲ったり婚外交渉に走ったりが比較的容易にできるけど、そうじゃない人は嫌な相手と一緒にさせられても耐えるしかない、みたいな感じになって、不公平はやっぱりあるのだ。(それに家制度当然の

  • ネカマとか - 嗚呼院卒就職

    なぜ性別を偽って日記やブログを書くのか。 の答えを飲みながら考えて、 やはり、性別を違えなくては話すことができない何か(話の内容、話のスタイルなど)があるはずだという結論を得たのです。 例えば紀貫之。 紀貫之は「をとこもすなる日記というものを、をんなもしてみんとてするなり」と女として日記を書くのですが、それは、日記(=漢文=男の文化=叙事的)を、叙情的(=女の文化=仮名文字)で書くためには女になりきる(女としてかな文字で書く)しか方法がなかったからであります。 では、実際に現代の社会も紀貫之の時代と同じように、性別によって文化が明確にカテゴリー化され、役割の超越は許されなかったのかというと、一見、男も女も同じ言葉を発し、同じ内容を発しているように見えるため、そうではないようにおもえます。 しかし、ネカマといった性別を偽って書く手法が存在するということは、あながち、女性固有の、男性固有の文章

    ネカマとか - 嗚呼院卒就職
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