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ブックマーク / d.hatena.ne.jp (314)

  • 書物と城 - 春巻たべた

    第九回文学フリマ感想, UMA-SHIKA 『UMA-SHIKA』第2号に収録。MK(id:Geheimagent)さん。要約不能。最近は石版!にあまり創作書いてくれないので寂しいです。セックス描写が有るのがいいですね。男と女を描いてこそのものがたりであってセックスも描かずに一体何の文学かと思います。ただ、MKさんの文体がどこか黒背を思わせるからでしょうか、乳首スイッチのシーンが僕の脳内では日劇ミュージックホールで再生されてしまい、官能どころではなかったです。なぜかガチガチに勃起しましたがこれはたぶん所謂ところの疲れマラです。

    florentine
    florentine 2010/05/22
    「男と女を描いてこそのものがたりであってセックスも描かずに一体何の文学かと思います。」
  • 泣き虫弱虫諸葛孔明  第弐部 /酒見賢一 - 瑞閏徒然記

  • なぜサリンジャーは奥さんに叱られたのか 2010-05-18 - 空中キャンプ

    米作家JDサリンジャーは、自分の娘に「フィービー」と名づけようとして、奥さんに猛反対されている。わたしはこの話を知ったときに、とても居心地がわるく、すこし怖かったことを覚えている。たとえば、マーティン・スコセッシが彼の息子に「トラヴィス」と名づけることはないだろうし、谷崎潤一郎が娘の名前を「ナオミ」にすることもない。ジョン・アーヴィングの息子が「ガープ」だったら、きっと学校でいじめられてしまう。村上春樹に双子の娘が生まれたとして、それが「直子」と「緑」だったとしたら、それはなんだかすごくへんだ。そういうことをしてはいけないと──自分自身の作り上げた物語に、みずからの実人生を過剰に仮託してしまってはいけないと──われわれはなんとなく気がついていて、だからこそ、自分の娘に『ライ麦畑でつかまえて』の登場人物と同じ名前をつけたがったサリンジャーはどこかいびつに見える。 サリンジャーが自分の書いた物

  • ルネサンスのセレブたち

    ルネサンスのセレブたち

    florentine
    florentine 2010/05/18
    にしては珍しい青年天使たちが魅力的。
  • ルネサンスのセレブたち

    florentine
    florentine 2010/05/18
    「1536年に枢機卿のロレンツォ・カンペッジョ( Lorenzo Campeggio )という人の晩さん会を演出し名をあげました。」
  • ルネサンスのセレブたち

  • ルネサンスのセレブたち

    ルネサンスのセレブたち

  • 紫蘭(シラン) - 瑞閏徒然記

    florentine
    florentine 2010/05/17
    「含羞の人がかようなHNを使うのか、という疑問を湧かせた方は血止め式初心者だ」はい、そう思います/「何と止血の文字まで入っていた」す、凄い!!! この花を、hebakudanさんを偲ぶよすがにします。
  • 続 獄窓記/山本譲司 - 瑞閏徒然記

    記録, 閉所恐怖続 獄窓記作者: 山譲司出版社/メーカー: ポプラ社発売日: 2008/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (16件) を見る[秘書給与詐取事件で服役した元衆院議員の著者が、刑務所内での触法障害者の実態を記して話題になった獄窓記の続編で、出所してから「獄窓記」を出版し、刑務所内処遇に関しての発信や触法犯罪者の処遇改善に取り組み始めるまでを綴っている。出所した著者は前科者コンプレックスに苛まれ、「福祉に携わりたい」と思っていても道筋は見つからない。焦りを感じながらもそれまでの己を整理するために「獄窓記」を書き上げる。最初の出版社には断られるが、ポプラ社での出版にこぎ着け、ここから事態が大きく進展する。「獄窓記」によって刑務所内での触法障害者処遇の実態が話題となる中、触法障害者の弁護に携わっている弁護士から連絡を受けて、障害者支援施設など

  • 読む気にならない作家たち - 瑞閏徒然記

    文藝, 徒然雑想尊敬する書評ブログ「血止め式」エントリーに、ブログのカテゴリ分けについて引用部のような一文がある。http://d.hatena.ne.jp/hebakudan/20090403/1238718805ところが読書録の積み重ね方ほどその人間の物の見方を察しやすいものはなく、これを一目で分かるような示し方ができれば、初めてダイヤリーを訪れてくれたかたのための自己紹介代わりにもなると考えた。たとえば「このがどうしてこんなジャンルに入ってるんだろう」、「この筆者はこのの主題をこんな方向から読むやつなのか」というような思い方などは好んでを読むタイプの人だけが観察してくれるところであるはずで、おそらく誰にでもただちに通じる種類のものではないゆえにこうした一覧さらしが気楽にできるのでもあるし、アタシの血液型はどうたらボクの星座はこうたらと書いた魔除け札みたいなプロフィールなんぞより

    florentine
    florentine 2010/05/15
    面白い。5人。ん~む、あとで考える。
  • アファーマティヴ・アクション,或いは民族政策の対象をどう区画するか? - Danas je lep dan.

    だいぶ間が空いてしまいましたが,砂澤陣氏のエントリに応答してみます。一つ、私の明確な見解を書いておくが、民族の定義というジャンルに、別に血の濃い薄いをとやかく言うつもりは無いがっ!政策を受けるということに関して言うと、戸籍謄などの調査を含め明確な証が必要だと考える。又結婚すれば連れ子も何もかも「アイヌ」という解釈や同棲してればアイヌ!養子もアイヌ!こうしたエンドレス的な政策受給アイヌ生産には断固反対する。論議・・・ - 後進民族 アイヌ ええ,それはひとつの考え方ですね。 たとえば,アメリカやブラジルではそういった考え方を採用しています。厳密な定義を設定し,それに基づいて政策の受益者となる資格があるか否かを判定する,というものですね*1。 ただしそのようなアプローチを採用するに際して問題となるのが,アイデンティティと認定の結果が異なる事例が生じ得る,ということです。自分で「○○民族」だと

  • 弔意 - 瑞閏徒然記

    florentine
    florentine 2010/05/13
    「そして、各位の方々に対する繊細な気遣いが改めて故人の人となりを知らしめてくれた。」/「へっ!」というタグがなんともいえず……。泣き笑い寸前の、切なくてあったかい気持ちにしてもらえる。
  • 痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    歳を重ねれば重ねるほど「死」というものは近くなり、すれ違ったり、触れ合ったり、対面したり、時には寄りそわなければいけなくなることも出てくる。血止め式のid:hebakudanさんが亡くなったことを知ったのは5月8日の夜だった。はてなのシステムもいまいち理解し切れてなくて、最近はブログを廻ることもあまりしていなかった私だから、4月30日に入院されていたことも知らなかった。お星さまと少しのコメントのやり取り。無精で不義理な私は、返礼はいつも遅くて、その上id:hebakudanさんの優しい言葉に敵う言葉はいつもでてこないでいた。 振り返ってみると、去年の6月末に書き始めたこのブログに8月にはお星さまをつけてくれてるから、かなり早い時期から見守ってくれてたのだとわかる。なのに気の利いた一言すら返せなかった。 亡くなられた人のことを書くのは難しい。芝居がかるのも、変に悲嘆に暮れるのも、違う気がする

    florentine
    florentine 2010/05/12
    「乾いた明るい、すっくと光に向かっている花を捧げます。豪華じゃないけど力強い優しい花」
  • 2010-05-10 - gennoの消灯ラッパ

    hebakudanさんの事ばかり、今日一日考えていた。昨年、hebakudanさんの飼いが行方不明になり、張り紙をみて連絡してきてくれた親子についてのエントリーが、初めて触れたhebakudanさんの文章だった。その日の日記は現在では削除されていて、残念な事に読み返す事は叶わないが、その嘘も飾りもない言葉は切り込んでくるように私の胸に刺さった。星をひとつだけ残して立ち去ってからしばらくして、hebakudanさんが、私のこの場所をアンテナ登録してくれた事に気づいた。それから短い期間ではあるけれど、コメントを残してくれたり、星をつけてくれたりするようになった。頻繁に更新する方ではないこの消灯ラッパにhebakudanさんが足跡を残してくれるのが、私は心から嬉しかった。仕事での失敗を書いた日のコメント欄には、hebakudanさんらしいこんな言葉を残してくれた。最も優秀なパイロットは操縦ミス

    florentine
    florentine 2010/05/11
    「みんなの心にそれぞれの屁爆弾さんがいて、それぞれが大事にしている屁爆弾さんからの言葉があって、なんていうか、大きな人だったのだと、改めて思い知りました。」
  • 敬愛なる最期っ屁 - ロココの足袋

    心の旅 最期まで潔い方だった。 屁爆弾さん(id:hebakudan)の訃報をご人のブログ「血止め式」で知ってから数日。その間、何度も彼女の事を想い、ブログを訪れてはご人が厳選された記事を拝読した。なかなか彼女の死を現実的に捉えることができないでいる。彼女とのお付き合いは言葉のやりとりのみ、しかも決して長いお付き合いではなかった。彼女についても、彼女の言葉で語られた範疇でしか知らない。しかしながら、肉体とは異なり、言葉はいつまでも生きているだけに、その言葉を生み出した方の不在を受け止められないでいる。 初めて屁爆弾さんを知ったのは、数年前。id:fumi_oさんのブログにコメントを書かれていて、そのお名前のインパクトに驚いたのが正直なところ。ご存じな方も多いと思うが、fumi_oさんのブログには美しい写真とクールな言葉が淡々と並んでいる。そこにいきなり屁という名前である。しかしながら、

    florentine
    florentine 2010/05/11
    「ご自身と、甘えて生きる者に向けられた厳しい言葉とは裏腹に、一度心を許した人間に対してはとことん、危うい程に手放しに深い慈愛を注がれる方だった。」
  • hebakudan さんのこと - 頭に毬藻る

    未分類「血止め式」筆者、死す。−血止め式hebakudan さんのはてなダイアリ「血止め式」と最初に出会ったのは一年ちょっと前のことで、その頃 hebakudan さんは世に蔓延る被害者意識的なものをバッサリやるようなエントリを書いてらして、その言葉の端々に刺のようなものを含みながら、文章の全体から受ける印象はなんだか飄々としていて、きっぱりとさっぱりとしていて、それでいてなぜか優しさのようなものがあって、文章の向こうにいる人物がとても気になって、過去ログをさかのぼって全部読んでしまった。その頃からこっそりと hebakduan さんのダイアリを読んではいたものの、元来コミュニケーション無精な私は、直接言葉を交わすことはなかったのだけど、先月の半ば頃、私が無言でつけたブクマにお返事をいただくという出来事があった。■【ブクマに返信】3TsumuRiさん、こんにちは。TsumuRiさんからは以

    florentine
    florentine 2010/05/10
    「文章の向こうにいる人物がとても気になって、過去ログをさかのぼって全部読んでしまった。」
  • さようなら屁爆弾さん - 花鳥音曲晴耕雨読(旧Libro,Musica,Planta Ver2.1)

    徒然屁爆弾さんid:hebakudanとは元々mixiの読書コミュでご一緒させて頂き、彼女のmixi退会後は、ブログの(「と屁爆弾」、その後「血止め式」)追っかけをしてお付き合い頂いていた。広範な読書量と該博な知識、そして鋭い考察にいろいろと蒙を啓かれたものである。昨年の秋口、新たな天地を求めて東北の方に移られたのも束の間体調を崩され、東京に戻って療養生活を送られていたが、重篤な病であり、専門病院での入院加療が必要ということで、しばらくブログを休まれるとご主人が代理投稿されていたのがいたのがついこの間である。それで、メインのアカウントで下記のようなエントリを投稿した。http://d.hatena.ne.jp/suijun/20100426/1272283608そのエントリにはコメントを頂いたし、その後も、以前に記事にした落葉樹の写真を引き合いに出して「今年suijunさんが裸の木々のお

    florentine
    florentine 2010/05/09
    「柔らかな緑色に映える青葉を見上げ、あれが裸になっても屁爆弾さんは戻ってこないんだなぁと考えながら歩いていた。」
  • killhiguchiのお友達を作ろう

  • 回転考。 - kananaka日和

    悪夢にうなされ、しとどの汗と共に目覚める。まだ未明。このまま再び布団にもぐっても、眠れないことはわかっている。ここは微睡みの未練を断ち切り、クローゼットへ。メットにサイクルウェア、グローブ、プロテクタ、シューズ。装備に十五分、外はまだ闇。愛車はプジョー、―――ただし、ここで言う愛車とは、年代物のマウンテン・バイクのこと。こんなご老体自転車を引きずりまわしているのは自分だけかと思いきや、年代物の自転車愛好家は巷に結構いらっしゃるらしい^^ たしか、車輪が発明されたのはメソポタミアのはずだから、回転する道具のもとは、未だ混乱渦中の中東になるはずだ。もし現代社会から回転するものをなくしたら、どうなるだろう。少なくとも交通機関は全滅だ。自動車も自転車も列車も乳母車も手押し車も車いすも。残るは徒歩か、裸馬*2に跨るくらいか。いずれにせよ、そんな時代になれば原始的な諍いはあっても、いま展開しているよう

    回転考。 - kananaka日和
    florentine
    florentine 2010/05/05
    タイトルの、小さな丸も回ってる。 / 花と詩の競演の妙。/ 季節も円を描いて巡りますね。
  • 異文化ディスコミュニケーション - 春巻たべた

    メタ・メッセージという言葉は嫌いなので換言すると、言葉には意味と機能があるということ。  たとえば、「湘南」はサーフボード抱えた半裸のDQNで一杯だし、「原宿」ではいつだってガイアが俺に囁いている。「下北」では演劇崩れがヴィレッジ・ヴァンガードに屯しており、「石川町」の山の上ではお嬢様方が百合々々な学校生活を送っている。そうした連想は辞書には載らない。連想は「文化のコード」とは切り離せないからだ。「文化のコード」は文化圏の内側でのみ機能する。アメリカ人はそもそも日中国の違いを知らないし、僕だってカリフォルニアとフロリダの違いは理解できない。僕が「晴海」という地名に喚起される懐古と感傷を、共有できる人間はもはや少数派だろう。  機能を持つのは何も地名だけではない。「幸福な家庭」という単語それ自体は何ら具体性を持たないけれども、「幸福な家庭」という言葉から片親の家庭を想起する人は稀だ。「幸

    florentine
    florentine 2010/05/04
    「抽象概念としての「正しさ」それ自体を否定するのはもはや逸脱としか呼びようがないけれども、文化圏の内側で規範として機能する「正しさ」のロールモデルには、誰かが疑義を突きつけるべきだ」