考察に関するfm963のブックマーク (58)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「そういった事を踏まえて、もし僕が努力によって力を内面化する/与えられた特殊な力を外部に備えるという境界線を引くなら、それは70~80年のどこかになるだろう。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    27年ぶりのYUKIライブ 2024/8/11。僕は埼玉の戸田市文化会館で行われた”YUKI concert tour “SUPER SLITS” 2024”に参加した。前にYUKIの歌声を聴いたのは1997/05/27の代々木第一体育館。実に27年の歳月が経ってしまった。 なぜそんなに間が空いたのか。なぜ、それでも参加しようと思ったのか…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • Pasteltown Network Annex|Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション

    Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション Original Created (v0.01) 2004/02/19 Last Updated (v0.02) 2004/02/22 おねがい このページは、Fate/stay night のネタバレありのゲームインプレッションです。このため、ゲームをコンプリートした上でお読み頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 ※直リンクから飛ばれてきた方々へ トップページはこちらになります。よろしければどうぞお立ち寄りください。 なお、ネタバレゲームインプレッションはとてつもなく長いです。(^^;) 長文の上、駄文で申し訳ないですが、気楽にのんびりと読んでいただければ幸いです。 はじめに 作品は非常に注目度が高かったこともあってか、すでに Web 上に数多くのレビューやインプレが上がっており、さまざまな議論を呼んでいるように思い

  • 人生というのは思い通りにならないものだが - finalventの日記

    がというのは、思い通りにならないというとき、その「思い」の主体とは誰なんだろう、ああ、オレか、なのだが、そのオレというのは、実際には、記憶であったり、ある時期の悔恨であったりする。 以前からうだうだ書いているが、私の心はどうも4歳のとき、14歳のとき、25歳のとき、36歳のときという各層で、ふつっと停まっている部分がある。もちろん、そうではない部分もあるのだが、なんとなくブログでは書かない。実生活で社会的に見える部分はそうではない部分なのでごく普通な人、というか、そういう乖離がなければブログなど書かないのかもしれない。 そうした記憶の断層が、その後だらだらと老いていく自分に向けて、人生とは思い通りにはならないなと思っている。が、実際には人生というのは今しかない。そして今というのは、過去の思いとは違うのだから、思い通りにならないという理解はただの錯誤でしかない。が、まあ、そう言い難いところに

    人生というのは思い通りにならないものだが - finalventの日記
  • 物語に耐えられない人々

    先ずは、宣伝から始めます。 来週のクリスマスに合わせて、来年頭発売予定のとあるCDの宣伝を始めます! と言えば、だいたいおわかりの方々も多いでしょう。そうです、いつものアレです。でも、今回はいつもとちょっと違います。どう違うのか、そして、何が一緒なのかは、通のアナタならわかる、わかってくれるはず! って事で、来週のクリスマスが中止にならなければ、どうぞああかむHPをご覧下さい。 さて、話は前回から続きます。 前回の日記の内容に関して、ヒロインの処女性についてのご意見をいくつかいただきました。面白いご意見も多く、ありがとうございました。 ただ、私が今回話したいのは「処女信仰は是か非か」と言うことではありません。それは別の機会に書きます。先にその結論だけ書いておくと、「処女信仰はドラマツルギーとして必然性があり、その信仰が打ち破られることによって<力>が解放され、ドラマが発生する」というのが私

    物語に耐えられない人々
    fm963
    fm963 2008/12/28
    「物語の定石は<抑圧と解放>。冒険というストレス、それを克服することでカタルシスが発生。物語を受け止める側に要求される<忍耐力> 」「話を作る方は読者の<読解力><忍耐力>に信頼を置いて物語を作る。」
  • Thirのノート

    thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。

    fm963
    fm963 2008/12/28
    「「男性の原暴力」が存在しない世界をあつかった作品がここ数年で脚光を浴びていることは、逆に「女性恐怖」(非モテ)に陥る男性の増加を示す一つの事例ととらえることも出来よう。」
  • 「手数」と「スピード」の時代 NON STYLEが優勝した理由

    現代の漫才は、「M-1グランプリ」の歴史とともに急激に進化を遂げてきた。そして2008年の今、漫才を演じる上で無視することのできない2つの大きな流れがある。それは、「手数重視」と「スピード勝負」だ。 「手数重視」とは、要するに「ボケの数が多い漫才が有利」ということ。4分という短いネタ時間の中に笑いどころを極限まで多く詰め込む、というのは最近のM-1で勝ち抜くための基戦略となりつつある。 例えば、昨年の王者であるサンドウィッチマンが、漫才の冒頭で即座にネタに入っていたのも、余分な間を空けずにボケの数を増やすための工夫だったのである。 そして今、「手数重視」の現代漫才の象徴とも言える存在が、今回のM-1で優勝候補の筆頭と言われたナイツである。ナイツが今年のM-1決勝の1目で披露したネタでは、たった4分の間に33回ものボケが詰め込まれていた。ツッコミで笑いを取る箇所も含めると、実際の笑いどこ

    「手数」と「スピード」の時代 NON STYLEが優勝した理由
  • 魔法先生ネギま!220~223時間目 (1) 現代の受け手は「我慢がきかない」?~過去編の位置づけをどう考えるか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    あまりに面白かったので、久々の分析を。 ■過去編をやりすぎると現在のステイタスがロストする?〜古典的な骨太の物語か?それともキャラ萌えか? この「旅立ちのラカン編」は、僕にとってはたまらなく面白いシリーズで、なんでたった数回で終わってしまうの?と、憤ってしまいました(笑)。これは、マクロ的にいうと、長期連載をしているときによく発生する主人公などの過去を描く、いわゆる「過去編」の位置づけをどう扱うか?って問題だと思うんです。だって、上のシーンとか見てんも、シリアスすぎるでしょう(笑)。普通の漫画ならばこの過去編だけで、1巻分くらいは余裕で尺を取ると思うんですよね。 なぜ、それをしなかったか?というのが今回の考察の目的です。長々書くので、テキトーにお付き合いください。 ちなみに僕の感想は、ああ、確かにこの話ならば、短くかなり端折って言いたいことを、慙愧の念に苦しみながら削らざるを得ないだろうな

    魔法先生ネギま!220~223時間目 (1) 現代の受け手は「我慢がきかない」?~過去編の位置づけをどう考えるか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    fm963
    fm963 2008/12/27
    「昨今の物語には、「感情移入の対象の誘導」がうまくできないという現象が起こる」「「主人公はだれかわからない?」」「自己の存在感覚の補強」「自己の空虚さを埋める代替物としてのエンターテイメント」
  • 漫画と漫才の共通点。あるいは漫画における「点」と「線」。 - Something Orange

    現代の週刊連載の読者ってのは、どうも「我慢がきかない」ようなんですね。いや、週刊連載レベルには、常にこの読者の「我慢のきかなさ」ってのは、前提にあるんだろうけれども、ここ10年くらいは、その度合いは加速度的に早くなっている気がします。えっと、それは、たぶん漫画などエンターテイメントの市場が成熟しているので、かなりの消費者が物語の類型にかなり慣れ切っている・・・つまり、あるエピソードを書いた瞬間に、その帰結まで予測してしまうというリテラシーの高い消費者が多いが故に、そうでなくても週刊レベルで読者をあおりたてなければいけない週刊連載システムに、かなりの強い圧迫が加わっているんじゃーないかと思うんですよ。同様のもので、僕はつい最近終わったアニメーションの『コードギアス反逆のルルーシュ』を思い出さずにはいられません。あれもそういったジェットコースター感覚を感じずにはいられませんでした。 「220〜

    漫画と漫才の共通点。あるいは漫画における「点」と「線」。 - Something Orange
  • Hatena ID

    Hatena ID is an account used for various Hatena services.

    Hatena ID
  • アニメ・マンガのファンタジーに、リアルが切り込んだ時のショックときたら。 - たまごまごごはん

    ●いまさら「かんなぎ」の話をしてみる。● なんかもう今更な感じでメモ。 「かんなぎ」の一連の騒ぎの話です。ちなみに自分は雑誌で全部読んでる派で、今回のも読んでますです。 話の流れ見てると「真性処女厨と呼ばれる、ステレオタイプな人ってそんなにたくさんいないんじゃ?」とずっと不思議で。 まあ、単に祭りだから騒ぎたい人と、それ見てキモいと言う人とのぶつかりあいなのかなーなんて漠然と思ってたんですが、ネットの話を見てると「処女と物語論」や「童貞論」や「ミソジニーとホモソーシャル」とか、もうおいら難しくてよくわからないよ世界に突入。 うおお、ワタシ横文字苦手デスヨ。 「中古」って表現は一部の男性がもつミソジニー的(女らしさに対する蔑視や偏見。男性へのそれはミサンドリー)な感覚だろうなーとは思うんですが、「かんなぎ」全部読んでる人ならどう考えてもあのシーンで単純に「処女じゃない!」って発狂まではしない

  • 「サナギさん」に見る、日本の漫画システムとカメラの移動 - ポンコツ山田.com

    サナギさん 6 (少年チャンピオン・コミックス) 作者: 施川ユウキ出版社/メーカー: 秋田書店発売日: 2008/10/08メディア: コミック購入: 4人 クリック: 27回この商品を含むブログ (62件) を見るとよ田みのる先生は、「ラブロマ」4巻でこんなことを語っていました。 最近気づいたんですが 根岸さんは右向きの顔が多いです なんでかっていうと 立ち位置が左の時が多いからです そしてナゼその立ち位置かというと… ボケとツッコミの役割に密接な関係があることがハンメーしたのです!! 通常の漫画では ヨコ方向では右から左に読みます その場合ボケが左にいると2コマ必要 テンポ悪!! しかしボケが右の場合、1コマでテンポよく突っこめるのです (ラブロマ 4巻 ライナーノーツより) ラブロマ(4) (アフタヌーンKC) 作者: とよ田みのる出版社/メーカー: 講談社発売日: 2005/04

    「サナギさん」に見る、日本の漫画システムとカメラの移動 - ポンコツ山田.com
  • 漫画表現の中の、光を反射しない眼について - ポンコツ山田.com

    漫画の中でしばしば見かけられる表現として、「つや消しの眼」、「光を反射しない眼」があります。百聞は一見に如かずと言うことで、例をいくつか挙げてみましょう。 (うしおととら 愛蔵版 11巻 p143) (シンシア・ザ・ミッション 7巻 p66) (GS美神・極楽大作戦 愛蔵版 11巻 p122) こんな感じのヤツですね。 私たちは特に誰に説明されたわけでもなく、これらの表現を受け入れ、ある一定の解釈をしています。 大体の場合において、眼が光を反射していないキャラを見ると私たちは、「そのキャラは正気を失っている」のように解釈するのではないでしょうか。上で挙げた三つの例は、概ねその解釈に沿ったセレクトになっています。「うしとら」ではこのキャラは妖怪に操られ、「シンシア」では薬物で自由意志を失わされ、「GS美神」では偽物の映像、つまり人のものではない意思表明となっています。 そこから派生して*1

    漫画表現の中の、光を反射しない眼について - ポンコツ山田.com
    fm963
    fm963 2008/12/09
    「このキャラは主人公たちを「見て」いない。そこで表されるコミュニケーションの不全が、このキャラと主人公たちの存在感の遠さを象徴的に意味しているのです。」
  • ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏

    ガルシア=マルケスの「エレンディラ」を読み返していたら、あとがきに面白いことが。「2メートルのミミズにせよ、無数の蝶にすっぽり包まれた女性にせよ、われわれにとっては驚きであっても、そこに住んでいる人たちにとっては、ごくあたりまえの日常的なことでしかない。それを驚異と感じるためには、見慣れてしまって何の驚きも感じなくなっている魂を目覚めさせ、あらためてそれが驚異であることを発見しなければならない。」 (「エレンディラ」訳者あとがき 木村榮一)ここで僕が「あれ?なんか近いこと言ってそうだな」と思ったのが、トールキンの言葉、「馬や犬や羊に目をひらくためにはセントールや竜にであう必要がある」でした。これは「ファンタジーには見なれた現実からいったん距離をおくことによって、来驚異にみちている現実の姿を再発見させる力がある」というトールキンの考え方を端的にあらわした一言。らしいです。 南米マジックリア

    ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏
    fm963
    fm963 2008/11/30
  • 序論:ゲームとは何か コスティキャンのゲーム論を越えて - 未来私考

    近年、特にDSのムーブメント以来、ゲームであるのにゲームっぽくない、あるいは従来ゲームと思われていなかったのにゲームとして受容されているそういたったソフトウェア群が増えています。例えばどこでもいっしょ、脳トレ、WiiFit、あるいは選択肢のないノベルゲームなど、それがゲームなのかどうかを判別しないまま、受容している。確かに非ゲームやシリアスゲームという呼称はあり、それらは印象論的に使い分けられているが、それらが娯楽として同一平面上にある(=それらはすべてゲームとして感受されている)んですね。 そもそもゲームとは、ゲーム性とは何か。ゲームに対する定義としてもっとも有名なものとしてはグレッグ・コスティキャンによるゲーム論があります。 コスティキャンのゲームゲームと意思決定 ここでコスティキャンは、ゲームとは【意思決定】であると断じています。意思決定とは、ある状況において複数の代替案の中から

    fm963
    fm963 2008/11/30
    【娯楽の核】と【意思決定】が揃って、そこにゲームが生まれる。優れたゲームとは、多くの人が共感できる【娯楽の核】を持ち、それを繰り返し享受するための【適切な大きさの課題】を持続的に供給できるものである
  • 握らない一教 - 内田樹の研究室

    死のロードの最終日一日前。 楽しい合気道のお稽古。 なんだかやたらたくさん人が来ていて、40 人近くいる。 このところ、みんな上り調子なのである。 合気道がおもしろくてしょうがないという顔をしている。 たぶん、きっかけの一つは「握らない一教」からである。 正面打ち一教、とくに裏のとき、腕の力を使いがちになる。 これがどうもよくないのだけれど、なかなか修正が効かない。 がばっと相手の肘を握って、引き倒すようなかたちになると、「斬り」にならない。 原理的にいうと、ものを「斬る」ためには刃筋がつねに体の正中線上になければならない。 しかし、徒手の武術しか経験のない人たちに「刃筋」という概念を理解してもらうのはなかなかむずかしい。 ふと思いついて、取りは肘を握らない、手首も握らない、掌を当てるだけの稽古をすることにした。 発想の転換である。 「受けの身体運用」を中心に稽古するのである。 手首、肘に

    fm963
    fm963 2008/11/30
    私たちの社会は「合理的に生きる技術」を教えることには熱心だが、「何が何でも生き延びる技術」を教えることには教育的リソースをほとんど投じない。 だから、「全力を尽くさなければ生き延びることができない状況
  • 「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea
  • 親友がくれたメール - へだちの日記

    親友がこんなメールをくれた。 ネトゲは死ぬべきである > ネトゲのキャラクターは死ぬべきである > http://blog.pettan.jp/archives/50638552.html 面白かったよ。 以下読んだ感想。 キャラクターが死なないことで、システムの硬化が 進みゲーム自体の死が早まる。 キャラクターが死ぬことによって新しいユーザが 入りやすくなり、ゲームの新陳代謝を上げてゲーム 自体の寿命が長くなる。 というわけで、キャラクターが死ぬことによって、 寿命が長くなった人気のネトゲがいくつか誕生する。 そうすると寿命の長いネトゲが居座り続けることに なり、新規のネトゲが参入しづらくなる。 だって新しくネトゲ作ったのに、ユニークユーザ数 1000万のゲームがうじゃうじゃいれば、ユーザ確保が 困難なのはあたりまえだ。 そしてネトゲ業界(?)の死が早