2009年1月2日のブックマーク (30件)

  • Hang Reviewers High / 北斗の拳

    先月までは80年代のマンガについて考えていたのだが、いろんな事情が重なって90年代、とくに90年代前半のマンガ全体について考える必要を感じたので、80年代はいったん放り出して90年代のマンガについてちょいと頭を巡らせたが、それを自分で考え出すとすごく面倒な作業になるなとすぐに気づいたので今はそういうアプローチでモノを考えるのは止めにした。しかし、タイミング的にはベストのだと思うのでいつかゆっくり考えてみたいな。80年代について考えるのが終わるころには。 で、話は前後するが80年代についてはずいぶん長きにわたって考えていたのだが、さしあたって先月から今月にかけて読んでいたのは北斗の拳だった。僕が80年代の、特にジャンプのマンガについて読む際にはもっぱら「戦う理由」ばかりを注視している。今さら言うまでもないが、それは90年代にまでずっと連なり、ついには9.11以降などと呼ばれる現在において「物

  • Hang Reviewers High / BSマンガ夜話

    BSマンガ夜話「花男」の回を見直す。ついでに「バタアシ金魚」の回もパラパラと飛ばしながら見る。暴力でぶこと大月隆寛が松大洋における民俗学的なテーマの存在を指摘していたが、ちょうど先日「鉄コン筋クリート」について同じことを言ったばかりだったので全く正しいなあ(俺が)と思った。夏目房之介は「そうかなあ?」という反応だったが、彼が指摘していた作品内のユートピア/ディストピアまたはドラッグによるトリップ感のような風景描写というのも結局は同じことを指摘しているように感じた。バタアシ金魚については今考えたいテーマでもなかったので特に感じず。その後民俗学について考えようかと思うが、全く知識がないため民話や神話の機能という基的なところから考え始めねばならず大変面倒になり、やめた。 それにしてもこの番組で大月隆寛を見るたびに「暴力でぶだ、ICレコーダーにフォークの人だ」とムリヤリ感じようとしてしまうな。

  • Hang Reviewers High / テヅカ・イズ・デッド

    この話は変だと思う。松永さんは意図的にかなにか分からないけど、「萌え」ということをつまりは高いレベルの「感情移入」であり「同一視」のようなものなのだ、と説明してしまっている。いくつかの話の展開を重ねることで(グインサーガから銀英伝に至る流れで)話をずいぶんと単純化させてしまっている。「物語派(グループ派)→キャラ萌え(押しメン)→属性萌えと並べると、順にマニア度・ヲタク度が高くなるような気がする」なんて言っちゃうのは、当に言い過ぎだ。このモデルは誰かにとって面白いのかもしれないけれど、ずいぶんと話をジャンプさせすぎだろう。面白いモデルというのは、いつも正しいわけじゃないし、時として上手いことを言えてすらいない。「こういうふうに言ったら面白い」というだけのことが、今のインターネットではいつの間にか「上手いことを言っている」ようになってしまうのが助長されるみたいで、僕は好きじゃないな。 話は

  • Hang Reviewers High

    環ROY「BREAK BOY」 環ROYの新しいアルバム「BREAK BOY」は実直で律儀なアルバムだ。環ROYはここで、彼のような才能に溢れたアーティストであれば全く無視してもいい事柄について綿密に語っている。 おそらく、彼がヒップホップという狭いフィールドを飛び出して、外部に立つ覚悟を持っていることは、誰もが認るところだろう。だから彼は、トラックにおいてもリリックにおいても、その筋のリスナーやミュージシャンが認める「いわゆるヒップホップ」の音楽性から離れて、縦横無尽にラップすることができる。ところが、このアルバムには、一聴すると「いわゆるヒップホップ」のように聞こえる歌詞があるだろう。しかしそのように聞こえてしまう余地こそが、このアルバムが立ち向かった困難さを示している。 環ROYはこのアルバムの中で、何度も繰り返して、音楽に、ヒップホップに、両義的な評価を与えていく。「J-RAP」の

  • Hang Reviewers High / 鉄コン筋クリート

    「物語の終焉」あるいは「物語の死」という問題は、ごく最近になって論じられ始めたわけではなく、遅くとも70年代には物語の形式として今や最古に属するものの1つである小説において発見されたテーマだった。僕の印象では、この問題はほかのジャンルのフィクションにおいてもいずれは到達する問題であったが、最初に発見されたのが斜陽と言っていいジャンルである小説においてだったために、以後80年代の半ば過ぎまでは、その愛好者間においてのみ、ひっそりと危惧され続けていた。例えば1980年、ジョン・バースはエッセイ「補給の文学」の中でこんなことを書いている。ブログに引用するにはかなり長いものだが、とても確かなことが記されている上に志村正雄による訳が好きなので引用しよう。 私のエッセイの趣旨を簡単に言えば、芸術の形式と様式は人間の歴史の中に生きている、それゆえ使い尽くされた状態になりかねない――少なくとも特定の時と所

  • Hang Reviewers High / Anime World Order Show

    ブログがずいぶん整備された結果、ウェブではどこを見ても同じ話題しか手に入らないことが多くなってしまった。それなりの間、RSSやブログをまじめに使ってみたのだが、やはり情報に偏りが作られにくいようだ。この新しい流通手法のおかげで情報がこんなに流れやすくなったというのは僕だって素晴らしいことだと思う。しかしマスコミが流す大営発表や個人が書き留めた些細な話題が技術の上で平等に流通していながら、同時にその技術そのものが「みんな」にとっての重要度に合わせて話題の価値を決定付けることを許してしまっている。しかしこの技術に平等さがあるから多様性を実現しうるというのは誤解で、平等さは衆目の集まりやすい記事に誰もが注目しやすいという平凡な状況しかもたらしていないように思う。個々のユーザーが能動的に情報を集めていると錯覚させながら実態としてプッシュ型に近づいてしまうというのは退屈どころか欠陥を含んだシステム

  • Hang Reviewers High / ユリイカ2007年1月号「特集*松本大洋」

    「さやわか」という筆名で、12月27日発売の「ユリイカ」に拙文を寄稿させていただきました。それはこういう内容です。 特集*松大洋 【Walk on the wild side...】 ハードボイルドまんが道をゆく / 松大洋+高野文子 【少年たちの風景】 松大洋という深い海 / 松隆 僕の中の『鉄コン筋クリート』 / 奈良美智 余白、想像について / 後藤正文 【タイヨウの軌道を追って】 男の都 / 三田格 拳と花 松大洋 『ZERO』 について / 石岡良治 追想の捕球法 『花男』 論 / 細馬宏通 パラダイスなんて存在しないし、ヒーローもいない / 仲俣暁生 ユートピアを開く力学 / 中田健太郎 ペコの左手アクマの右手 松大洋 『ピンポン』 における超越と内在 / 高橋明彦 『日の兄弟』をめぐるノート、もしくは架空の短篇作品「泄(こぼれ)」のために / 前田塁 ノスタルジ

  • 七里の鼻の小皺

    『ONE PIECE』を読んで泣くときの、涙を相対化することが、もちろん批評の入り口ではある(最近は、それ以前の共感の共同体を個別に代表する「職業批評家」が多すぎるようだが)。そして、言うまでもなくわれわれが問題としているのは、その入り口をとおりながらも、「相対化された涙」を再度当に泣くことだけなのだ。たとえば『ONE PIECE』は、「打算のない正義」を語るために、しばしば歴史をもちだす。当然、そこで語られた歴史だけに立脚した「正義」は相対化されるべきものだ。主人公たちの「正義」の背後で、語る権利なく死んでいった人々の無数の歴史があり、同じだけの数の「正義」がある。しかし、問題となるのは、主人公たちの「正義」を笑うことではもはやない。少年マンガのなかの語られなかった無数の「正義」を、同時に泣くことだけが現在ありうべき批評なのである。一人のための=万人のための涙。共感に根ざさない実効力。

  • Hang Reviewers High / 新現実 Vol.1

    先日、SFマガジン6月号で連載が終了した宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の連載分をすべて一気読みした。彼の展開する議論には、僕にとって賛同できるいくつかの部分と、そうでないいくつかの部分がある。それについて、まず一点を僕が思う状況を整理しながら考えてみたい。 彼の主張は、まず「90年代の『引きこもり』」があり、2000年代前半に「エヴァ」的感性の延長線上、あるいは残滓であるセカイ系があり、そしてゼロ年代においては 社会の既存のルールが壊れていることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築しようといこうとする という、「DEATH NOTE」の夜神月に象徴される「決断主義」が来るという一連のフィクションの流れがあったという。 僕は現在、彼の言う「決断主義」のようなものがゼロ年代のフィクションとして大きく特徴付けられるという主張に異論がない(なお参考までに記しておくと、彼の主張は

  • Hang Reviewers High / ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

    東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」は、とても親切なであり、まずはそれに感心した。 前作となる「動物化するポストモダン」に限らず、これまで東浩紀の著作のやり方は、主張を固めるための検証作業がともすれば大雑把であるし、また、さほどに関連性が深いとは言えない事例を強引に繋ぎ合わせて一つの流れを意識させようとするものがあった。僕はこのやり方を批判するものではない。むしろ、あざやかに全体の論旨を生み出していくダイナミックさに感銘を受ける。 しかしもちろん、このような書き方は批評の言語としては今の日で例の少ないものだから、読者は彼のやり方に違和感を感じるかもしれない。だが彼がなぜこれを選んでいるかということは、現在に至るまでの東浩紀の批評活動のルーツがすべて収められた「郵便的不安たち#」を読めば明確に分かるはずだ。ここでは簡単に触れるまでにしたいが、要するに彼の動機にはポ

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    fm963 2009/01/02
    「彼の動機にはポストモダン化が徹底された現代においては批評がもはや成り立たないという強い危機意識がある。そして、超越的な論理によって社会全体を語ることができない時代には、従来的な言論はオタク的に各分野を追求するしかできなくなってしまう。彼はそれに抵抗している。各分野で閉塞せず、しかも超越的な論理なしでもジャンルを横断できる批評の方法を模索しているのだ。」
  • マンガとアニメーションの間に(6): たけくまメモ

    ■京都精華大学連続講義レジュメ 第六回「マンガとアニメが融合する日」 講師 竹熊健太郎 ●「いつの日にか、カンザスの少女が、父親のビデオで「風と共に去りぬ」を撮る日が来るだろう」 この言葉は70年代後半、大作戦争映画「地獄の黙示録」制作中だったフランシス・コッポラがインタビュー中に述べた発言である。ふつう映画制作には莫大な制作費がかかるが、コッポラのような作家性が強い映画監督にとって、「自分の作品」を作るために数億から数十億におよぶ制作資金をどうやって調達するかが悩みの種であった。 「地獄の黙示録」はコッポラ畢生の大作であり、50億円に達したといわれる制作費を全額「自己調達」した「史上最高額のインディペンデント映画」としても話題を呼んだ。その制作中に受けたインタビューで映画制作の未来について訊かれ、つい「いずれ田舎町の少女であっても、自宅ガレージで大作映画が作れる時代がくる」という自分の「

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    fm963 2009/01/02
    「マンガにおける「コマ」の役割とは、第一に物語内の時間を分割し、平面上に再構成(レイアウト)するものである。第二に、読者の視線を巧みに誘導することで、作品における「時間」を読者に追体験させるものである。」
  • マンガとアニメーションの間に(5-2): たけくまメモ

    第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(2) ●『NOTHING WILL BE AS IT WAS』に見る「反物語」 70年代大友の特徴がもっともよく現れている作品として、'77年の『NOTHING WILL BE AS IT WAS』をあげたい。この作品は、自室で口論になった友人を思わず殺してしまった主人公が、死体の処理に困って、ひたすら死体をバラバラにして「処理する」過程を描いた作品である。 この作品では、殺人事件を扱った犯罪ドラマがまず描くであろう「殺人の動機」や「殺人に至る過程」が一切描かれない。冒頭のコマからして自室の畳の上にゴロリと転がった死体のアップであり、その後の処分過程を綿密に、しかし淡々と描くのみである。さらには、犯罪の結果もここには描かれない。作品の中で、アパートの住民が主人公の挙動に不審なものを感じることが描かれるのみで、その後の犯罪の発覚や、逮捕の場面などもま

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「マンガ史的に見た場合、大友作品は「映画的手法」のひとつの終着点であるということができる。徹底して画像の「客観性」にこだわり、線の強弱を抑制し、漫符のような「マンガ的手法」も可能な限り排除する。しかしながら、それが紙という二次元メディアにおける「時間表現」である以上、これはやはり、あくまでもマンガなのである。」
  • マンガとアニメーションの間に(5-1): たけくまメモ

    ■京都精華大学連続講義レジュメ 第五回「反“物語”作家としての大友克洋」(1) 講師 竹熊健太郎 ●70年代から80年代にかけてのマンガ状況 大友克洋は70年代前半にデビューした作家である。最初に、彼がデビューした70年代から80年代初頭にかけてのマンガ状況を整理してみる。この時期はマンガ界にとっては、空前絶後の大変動期であった。簡単にまとめてみると、 ▲青年誌(ビッグコミック、漫画アクション、ヤングコミック等)の台頭により劇画状況が爛熟する。 ▲オイルショックによる経済不況に加えて、青年誌に年長読者をとられ、「少年チャンピオン」「少年ジャンプ」などの新興少年誌に年少読者を奪われて、「少年サンデー」「少年マガジン」が大幅に部数を落とす。 →マンガ雑誌の世代交代が始まる。 ▲男性読者も巻き込んだ一大少女マンガブームが起こる。 →その中心にいたのが竹宮恵子先生ら「24年組」と呼ばれた女性作家た

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    fm963 2009/01/02
    「大友は、強弱の希薄な丸ペンの細い線で、背景と人物を「同格」に描いたのである。大友マンガの客観性はここから生まれたが、これはそれまでの劇画手法ではまずありえない描法だった。そういう描き方をとった場合、普通は作画レベルで「キャラが立たない」のである。 」
  • Hang Reviewers High / 思想地図 vol.1

    「思想地図 vol.1」において、個人的に面白かったのは福嶋亮大による中国ライトノベル状況に関する考察と、韓東賢による「朝鮮学校はヤバい」という伝説から始まる議論だった。前者は僕がしばしば好む「自分の知らないところで何かが起こっている」ということについてのレポートであり、後者は90年代に社会学を楽しんだ僕としては見逃すことのできない現代のフォークロアから始まる話だったので、楽しかったのだ。 しかし最も考えさせられたのは黒瀬陽平による公募論文だった。僕はここで彼が書いているアニメ表現論は優れたものだと思うし、いま書かれるべきものとして正しいと思う。しかし、僕が注目させられたのは彼が自ら表現論を展開する動機として書いている内容だった。それは、現在のアニメ批評に表現論がなく、物語論だけが氾濫しているため「萌えアニメ」のようなものを扱えずに批評は停滞しているのではないかというものだ。黒瀬陽平の整

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    fm963 2009/01/02
    「アニメを語ろうとする者がいま、ポストモダンの批評におなじみにある「メタフィクション性から現実社会の問題を指摘する」というパターン化が可能な作品のみを批評の対象としたがっている、ということである。」
  • Hang Reviewers High / 文学環境論集 東浩紀コレクションL

    東浩紀「メタリアル・フィクションの誕生」は「ファウスト」に数回にわたって連載されたものだが、彼は議論を半ばで打ち切り、連載をいったん終わらせた。そのため、この連載の内容は現在は「文学環境論集 東浩紀コレクションL」にのみ収められている。しかし連載で提示された「ゲーム的リアリズム」というリアリズムに関する新たな試みは継続され、より発展させられたものとして「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」という優れた著作に結実した。 僕はこの「ゲーム的リアリズムの誕生」という著作ないしは「ゲーム的リアリズム」という彼の定義を、現代のフィクションに対する批評の方向性のあり方として、また時代を語るための寄る辺として、諸手を挙げて支持する。だが、連載「メタリアル・フィクションの誕生」には彼が「ゲーム的リアリズム」を見出すに至った動機に類する内容が多く含まれており、そして今ここにそれを参照する意味

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    fm963 2009/01/02
    「作家が物語が定型的にしかあれないということを知りつつ、なお現代において定型的な物語を肯定的に選択するに至るに際し、どのような創造的営みによってそれを可能にしているかということを単に見落とそうとする」
  • Hang Reviewers High / ユリイカ 第40巻第5号

    「ユリイカ」にて宇多田ヒカルの歌詞について書いた文章のことを、ここに書こうと思っている間に次の号が出てしまった。そうこうしているあいだに、もうすぐさらにその次の号が出るという。 今売っている号では、僕が「空の境界」について作者の奈須きのこさんに去年の夏行ったインタビューを掲載していただいている。これは僕が初めて奈須さんにお会いしてお話を伺ったときのもので、今になって読んでみるとずいぶん読者としての自分の思いが先走った部分がたくさんあって恥ずかしい。だからインタビューなのにやけに僕が話している部分が多い。何とも恥ずかしいが、時間が経っていることもあって修復のしようがないのでそのまま当時の理解を伝えるものとして掲載していただいた。 しかし見方を変えれば、このインタビューは、僕が現在、全七回上映される映画のパンフレットの中で七回に渡って奈須さんにインタビューを行えることになったきっかけになったも

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    fm963 2009/01/02
    「言語は、最終的に伝達不可能性を抱えている。その上で我々が他者と歩み寄るというのはどういうことなのか、受け手は作家が送ったものをどう享受すべきなのか、僕はそれについて考える上で、今、言葉や物語が流通す
  • 気をつけたいよね。この5つ 〜年のはじめに〜 - Chikirinの日記

    その1 年をとればとるほど、若い人をたたきたくなります。 気をつけましょう。 その2 何かに詳しくなればなるほど、その分野での新しい動きやアイデアに否定的になります。 気をつけましょう。 その3 何かを得れば得るほど、それを得たのは自分の実力だと思い込みたくなります。 気をつけましょう。 その4 持つものが多くなればなるほど、人は動けなくなってしまいます。 気をつけましょう。 その5 うまくいかないことが続けば続くほど、明日もきっと暗いに違いない、と思いたくなります。 気をつけましょう。 今年もよろしく!

    気をつけたいよね。この5つ 〜年のはじめに〜 - Chikirinの日記
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    fm963 2009/01/02
  • 2ちゃんねる、“言論なき日本”を見捨てた? - MSN産経ニュース

    世界最大の掲示板といわれる「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net/)が、ついに日を捨てた-。2009(平成21)年が明けて間もない正月2日、2ちゃんねる開設者の「ひろゆき」(西村博之)氏が、自身の公式ブログで“2ちゃんねる譲渡”を報告した。譲渡先はシンガポール共和国の法人と思われる。(立川優)■警察・裁判所を除けば、些末な出来事? 2ちゃんねる譲渡が報告されたのは、ひろゆき日記@オープンSNS(http://www.asks.jp/users/hiro/)。2日の午前7時7分の刻印で、「2ch譲渡」と題したエントリには「そんなわけで、去年は何度も海外出張して2ch譲渡の打ち合わせをしてたりもしてたんですが、ようやく譲渡完了しましたよ。。と。」と書き込まれている。また、「現在のヒトコト」として 「ズサー」という言葉と、2ちゃんねるを象徴するアスキーアート「モナー」を添えてお

  • 会計新書式「XBRL」とは | 儲かる会計思考入門

    肝心要の配達先はほとんどないのに、酒屋の親父さんが、「これで配達する」と言い張ってベンツを買い込んだ。 公認会計士・税理士 柴山政行 高橋晴美=構成 ライヴ・アート=図版作成 まずは別表のP/L(損益計算書)を見てほしい。P/Lは一定期間における会社の活動を集計したもので、売上高などの収益から費用を差し引き、どれだけの利益を生み出したかが示される。 ここでは、一般の事業会社の売上高に当たる経常収益の116億円に対して、経常損益はなんと401億円もの赤字になっている。つまり、116億円の売り上げを稼ぐために、500億円以上もの経費をかけているわけだ。もっとわかりやすくいうと、年収116万円のワーキングプアの人が、500万円もの飲みいをしているのと同じことなのだ。 お店の経営に置き換えてみよう。酒屋の親父さんが、「これで配達する」と言い張ってベンツを買い込んだ。しかし、納車されたものの、肝

  • ようやく蒸気から電磁へ変わらんとするカタパルト

    空母から航空機を大空に打ち上げるのに使うカタパルトは蒸気から電磁へと変わろうとしています。甲板に立ちこめる蒸気、という映画のワンシーンも昔話として語られる日が近そうです。 いよいよ2008年も残すところ後1日となりました。毎週日曜日にお届けしている「日曜の歴史探検」ですが、今回はカタパルトを取り上げたいと思います。空母から航空機を大空に打ち上げるのに使うあのカタパルトです。この技術も長い歴史を経て大きく進化しようとしています。 1分で分かる米国空母 カタパルトの話の前に、空母について簡単に解説します。ここでは1分で米国空母を紹介しましょう。 まずは米国の艦種形式区分ですが、航空空母は「CV」に分類されます。原子力空母の場合はこの後にnuclear(核)を意味する「N」がつくというのが基です。後は建造された順に番号が振られます。 世界初の原子力空母が米国海軍のCVN-65、「ビッグE」の愛

    ようやく蒸気から電磁へ変わらんとするカタパルト
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    fm963 2009/01/02
  • 飯島 勲|バーの飲食、密会……「首相動静」の裏側を読む | 社長の仕事術

    ■総理大臣には4つの顔がある 総理大臣の日程には、4つの顔があります。 内閣総理大臣としての公務のほかに、自民党総裁、衆議院議員、個人という4つの立場からの日程があり、それぞれの立場をうまく使い分けて日程をつくっていかなければなりません。 総裁の日程を振り返ってみたときに、それぞれのスケジュールから4つの顔のいずれかが浮かんでこなくてはならないのです。 日国総理大臣としての行動なのか、自由民主党総裁としてなのか、または衆議院議員、個人としての行動なのか、スケジュールを見て判断できる組み立てが大事なのです。 総理大臣の視察ならば、同行者や同席者は、政府関係者。クルマは、国民の税金で走る「公用車」を使うことになります。公用車で選挙区を回るというようなことは、当たり前ですが大きな誤解を生むことにつながります。 選挙応援をするときなどは党総裁としての顔です。同行者や同席者は党関係者。クルマは自

  • 物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ

    月初めということで、基に戻って考察しよう。ふつう「主人公」は、「主」人公なのだから物語の中心にいるはずだ。ところが最近、ある種の物語ではドーナツ化現象が起こっている。そこではむしろ、主人公は活躍する機会を奪われているし、読者の感情移入もしづらい。 例えば、最近のアニメを見てみよう。『涼宮ハルヒの憂』の主人公キョンは、やたら語りがくどい。『Fate/stay night』の主人公衛宮士郎はやたら死にまくる。『ひぐらしのなく頃に』の主人公前原圭一も最初の鬼隠し編ですぐ死ぬし、物語と読者にとっては「存在自体がイカサマみたい」だろう。他にも『NHKへようこそ!』はひきこもりだし、『ゼロの使い魔』は「犬」だ。 ここで特徴なのは、主人公の弱体化に反比例してヒロインが強力になっていることだ。いわゆる「ツンデレ」型ヒロインが対置されていることが多い。涼宮ハルヒ、遠坂凛、北条沙都子、ルイズなどは非常に典

    物語的弱者に転落する主人公たち - 萌え理論ブログ
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    fm963 2009/01/02
    「主人公が背景化。ストーリーの興味がテーマからモチーフに。のび太の「ダメ」は、ドラえもんのひみつ道具を見せるための「小道具」。「システムの一人勝ち」。舞台で主役を演じるのは今や舞台そのものなのである」
  • Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。

    昨日、『零崎軋識の人間ノック』を読んでつくづく考えた。いやあ、キャラクター小説って、当におもしろいですね。 零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス) 作者: 西尾維新,take出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/11/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 66回この商品を含むブログ (236件) を見る ぼくだけではないと思うが、いったんあるキャラを好きになってしまえば、そのキャラがほかのキャラと絡む、それだけである種の快楽性が生まれる。『人間ノック』でいえば、玖渚友がちらっと出てきてわがまま言っているだけで何となく楽しい。 『涼宮ハルヒの憂』でいうなら、ハルヒとキョンがいつものように絡んでいるだけで一応おもしろいし、評判のよくない〈ネギま!〉の新作アニメも、お馴染みのキャラが出ているだけでそれなりに楽しく見れたりする。 涼宮ハルヒの憂 1 通常版 [DVD] 出版

    fm963
    fm963 2009/01/02
    「「キャラ萌え」にかんする「抑圧」が薄れたことによって、本当に「物語」が衰え、作品が断片化したのかということも、慎重に考えていくべきだろう。」
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    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

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    fm963 2009/01/02
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    fm963 2009/01/02
    「そういった事を踏まえて、もし僕が努力によって力を内面化する/与えられた特殊な力を外部に備えるという境界線を引くなら、それは70~80年のどこかになるだろう。」
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    27年ぶりのYUKIライブ 2024/8/11。僕は埼玉の戸田市文化会館で行われた”YUKI concert tour “SUPER SLITS” 2024”に参加した。前にYUKIの歌声を聴いたのは1997/05/27の代々木第一体育館。実に27年の歳月が経ってしまった。 なぜそんなに間が空いたのか。なぜ、それでも参加しようと思ったのか…

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  • ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 1 名前: ネチズン(アラバマ州) 投稿日:2008/12/25(木) 02:05:49.62 ID:A5/Fu8Gk ?PLT 視聴者の欲望をいかに捉えるかを、常に考えているテレビアニメの監督たちに、時代の欲望を見通してもらう連載企画「アニメから見る時代の欲望」。 今シリーズは「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」の水島精二監督にお話をうかがう。 「売れているもの」には脊髄反射的なアンチがいる 批判でも、種類があると思うんです。それこそ“クラウンへの期待”みたいな、「もっとこうして欲しい」 という声ならばむしろ積極的に聞きたいのですが、一番最初に僕ら制作スタッフに聞こえてくる声は そうじゃないですね。「何だあれ」とか、「かっこ悪い」とか、“脊髄反射”みたいな反応なんです。 ―― 脊髄反射だなと

    ガンダム00の水島監督「ネット上の“脊髄反射的なアンチ”が制作側のモチベーションを下げている」 : 痛いニュース(ノ∀`)
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「--脊髄反射だなと思うのは、どんなところですか」「作品を見て批判をしているわけではないんです。フィルムを観て 物語を追おうとしているのではなく、絵だけを追って、見た目だけで批判をしてくるのですね。」
  • Pasteltown Network Annex|Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション

    Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション Original Created (v0.01) 2004/02/19 Last Updated (v0.02) 2004/02/22 おねがい このページは、Fate/stay night のネタバレありのゲームインプレッションです。このため、ゲームをコンプリートした上でお読み頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 ※直リンクから飛ばれてきた方々へ トップページはこちらになります。よろしければどうぞお立ち寄りください。 なお、ネタバレゲームインプレッションはとてつもなく長いです。(^^;) 長文の上、駄文で申し訳ないですが、気楽にのんびりと読んでいただければ幸いです。 はじめに 作品は非常に注目度が高かったこともあってか、すでに Web 上に数多くのレビューやインプレが上がっており、さまざまな議論を呼んでいるように思い

  • OnePiece - Nobody tells the story

    ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス) 作者: 尾田栄一郎出版社/メーカー: 集英社発売日: 1997/12/24メディア: コミック購入: 11人 クリック: 296回この商品を含むブログ (247件) を見るワンピース 尾田栄一郎 漫画の読解力を鍛えるべく、修行の一環として五巻まで読んでみた。 やっぱセンス良いよなぁ。二巻で敵の海賊、バギーの登場シーンって多分『AKIRA』の鉄雄のパロディだと思うんだけど、それだけで上手さが分かるよね、というお話。 そういうセンスや上手さは凄いけど、やっぱこの作品きついなー。というのも僕がもう大人になってしまったからだ。この話って「子供の価値観」が「大人の価値観」を打ち破る話なんだよね。麦わら海賊団のキャラクターって根的に他者を必要としていない。それって他者が不在の世界=子供の世界なわけで。 それを思春期を過ぎてもなお保てる彼らは間違いなく強

    OnePiece - Nobody tells the story
    fm963
    fm963 2009/01/02
    「そういうセンスや上手さは凄いけど、やっぱこの作品きついなー。」「この話って「子供の価値観」が「大人の価値観」を打ち破る話なんだよね。麦わら海賊団のキャラクターって根本的に他者を必要としていない。」
  • 鳥は自由に羽ばたかない - Nobody tells the story

    なんかマーケティング所感を書こうとしたら、ネギまの話になった(笑。 マーケティング 最近の日人の消費行動には傾向があるそうです。 近くの人が密集している方へ向かう 近くの人たちと同じタイミングと方向性を合わせようとする 近くの人たちと似すぎないようにする この様な消費行動なわけですが、鳥に喩えるとわかりやすいです。 近くの鳥が密集しているほうへ向かう 近くの鳥たちと同じ方向、同じ速度で飛ぼうとする 近くの鳥や物体に近づきすぎたら、ぶつからないように離れようとする こういった行動形態は自然界の動物の群れによく見られる行動で、CGなどの作成に動物の行動アルゴリズムを上記のようにしてやると「らしく」見えるそうです。 動物化するポストモダン オタクから見た日社会 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2001/11/20メディア: 新書購入: 42人 クリック:

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    fm963 2009/01/02
    「それはともかく、普通ストーリーをデザインするためにエピソード(断片)が描かれるわけですが、逆にエピソードのためにストーリーが存在することもありえるわけですよね。」