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ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (7)

  • 震災1週間目のツイートより: たけくまメモ

    久しぶりのブログ更新を、こういう話題で始めるのは複雑な気分であります。来ならこのブログは、今後まとまった文章を発表する場合に更新することにして、日常的な更新は基的にツイッターで行おうと考えていました。「まとまった文章」は、実は書き始めているのですが、なかなかまとまらないうちに地震、そして原発事故が起きてしまいました。 震災直後からしばらくは、都内の電話も不通になりましたが、唯一インターネット、それもツイッターだけは繋がっていたので、これで肉親や友人と連絡がとれて助かった、という人が多くいます。なんでもツイッターは1パケットで即、送れるので、システム上アクセスの殺到に強い構造になっているからだとか。 その割には、時々クジラマークが出て「しばらくお待ちください」になるのはなぜだか知りませんが、今は問いません。3月11日の震災直後もその後も、少なくとも東京ではツイッターが「使えた」のは事実で

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    fmnaka 2011/03/24
  • 『バクマン。』のネーム原作について: たけくまメモ

    おとといの『バクマン。』の感想で、ひとつ書き忘れたことがあります。それは、主人公のサイコーが、相棒で原作志望のシュージンに向かって 「シュージンの書いたネームが面白いんだったら俺が絵にする」 と、マンガ家の立場から原作者に「ネーム」を求めるセリフが出てくることです。俺は、ここに時代の流れを強く実感しました。 今でこそ、「少年ジャンプ」を始め、多くのマンガ誌の新人賞に「ネーム原作部門」が設けられていて、ある意味では定着しつつある感もあるのですけれど、俺のようなロートルの業界人からすると、じつに隔世の感があります。 俺が「マンガ原作」を一番やっていた90年代中頃くらいまでは、「原作者がネームまでやる」例は滅多になく、仮にそういう志向を持った原作者がいたとしても、マンガ家や編集者に向かって「ネームをやらせてくれ」と言い出すのは、非常に気が引けるというか、一種のタブーというべきことでした。 なぜそ

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    fmnaka 2009/01/09
    労力の削減と、ストーリーと絵柄のマッチング。この進化はすごく面白くて、不動産業の進化にも似ている
  • たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(3)

    ●編集者は作家を選べるが、作家は編集者を選べない agehaメモさんは今回の「雷句―小学館問題」について 《 問題の根っこは、共にサクヒンを作り上げるべき「編集者」が「出版社のサラリーマン」である事、であるように思う。》 http://d.hatena.ne.jp/ageha0/20080610/p1 ↑agehaメモ「雑駁に言うとハリウッドは、東海岸の興行主から逃れた映画人達が形成した。」 と書かれました。問題の質がズバリと簡潔に言い表されている、的確な指摘だと思います。今回の件とはまったく別の話題で、ある有名なマンガ家さんが 「作家に当たり外れがあるように、編集者にも当たり外れがある。でも編集は作家を選べるけど、作家には編集者が選べないんだよ。だから編集者の“外れ”を引いたら悲惨だよ」 という話をしてくれたことがあります。その通りだと思いました。医療の世界では近年「セカンド・オピニオ

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    fmnaka 2008/06/16
    ものすごいビジネスチャンスを感じた。が、それが最終的な顧客にとって本当にいいことなのかどうか?はわからない
  • 今回の「サルまん」連載中止について: たけくまメモ

    以下書くことはあくまで竹熊個人の意見であり、相原コージ氏や編集部の見解とは異なっていることをご注意ください。 まずは、主として俺のワガママで連載中断の事態に至ってしまったことを、ここまで愛読していただいた読者の皆様・連載関係者の皆様には深くお詫び申し上げます。「作者の都合で一方的に連載中止するなんて無責任だ」との批判があることは承知していますが、俺としては、もはや失敗作であることが自分には明らかとなった連載を、このまま続けることに意義が感じられず、そっちのほうが読者に失礼ではないかと思ったということです。 「そこをなんとかするのがプロだろう」と言われれば返す言葉がありません。しかし『サルまん』は相原君と俺の共同作品であることが大前提であり、にもかかわらず両者の作品に対する方向性に違いが生じて、もはや話し合いでどうにかなるレベルを超えてしまっていたということであります。批判は、甘んじて受ける

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    fmnaka 2008/05/27
    そんなことよりファミ通のアレを再販してください(違
  • 川内康範先生の想い出(補遺): たけくまメモ

    いくつかの新聞雑誌から川内先生の追悼文を書いてくれという依頼が舞い込んでいます。できるだけ対応するつもりですが、週末は生憎「サルまん」締切と重なるので、締切の早いところは電話コメントで勘弁していただきました。 川内先生の取材で強烈に覚えているのは、最初の日に取材を終えてホッとして帰宅したら、翌日の朝7時に先生人から拙宅に電話があり、「もう一度インタビューやらないか」と言って来られたことです。 取材日に渡していた「クイックジャパン」創刊号に載っていた石原豪人インタビューをホテルで読んでくださったんですね。「石原くんの記事、読んだよ。俺のインタビューは少し堅かったかもしれんな。もう一度やろう」 こう言われて、内心万歳三唱で再度滞在先の高輪プリンスホテルに向かいました。そうしたら、二度目のインタビューは全然違った。そこで初めて、先生の口から戦争直前に仮病をつかって軍隊から「離脱」した話が出たの

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    fmnaka 2008/04/10
    すごい人には、原体験が必ずあるよなー
  • 独学に勝る勉強はない(1): たけくまメモ

    ※追記:最初にアップしてから少し書き足してあります。 今回書こうと考えているのは、「学校の勉強」についてです。俺は、自分が高卒だから言うのではないですが、「学校の勉強」というのは、当は小学校の六年間で充分ではないかと考えてます。俺自身、胸に手を当ててみても、47年間の人生当に役に立った、と思えるのは小学校で習った「読み書きソロバン(算数)」だけで、これには感謝しています。 でも中学以降の勉強となると、因数分解なんてすっかりやり方を忘れてますし、英語も中二レベルくらいからだいぶあやしい。それ以外の学科の内容もほとんど忘れちゃってる。高校の授業も同様です。中学高校の勉強も、大学以降に気で学問しようと考えたら絶対必要なんだと思いますけど、すべての人間が学者になるわけではない。俺ばかりでなく、ほとんどの人には「受験勉強」以外の意味はあんまりないのではないでしょうか。 でも学校をさぼった記憶

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    fmnaka 2007/11/27
    「才能ある人って、中学あたりでもう才能がある」完全に同意。もっと若くて出ることはあっても、遅くて出ることはまれ。
  • 【業務連絡】「ファミ通のアレ」(仮題)1回だけの復活!: たけくまメモ

    実はですね。『サルまん』の後、俺が「週刊ファミコン通信」(現ファミ通)で羽生生純と組んで連載した『ファミ通のアレ(仮題)』というマンガがあったわけですよね。連載第一回から最終回まで、ついに(仮題)で通したへんな作品なんですけど。 これが、6月の末くらいに「ファミ通」誌で一回だけ復活するんです! なんでも今年は「ファミ通創刊20周年」なのだそうで、その記念企画の一環であります。それを言われたのがつい先週で、もっと早く言ってくれ、て感じなんですけど、まあ1回ならなんとかなるかもと。 それで、こないだ羽生生くんと新担当であるファミ通の後藤聡子さんと最初の打ち合わせをしたわけです。具体的なネーム作業は、羽生生くんの別仕事の締め切りが過ぎたあたりでやろうということなんで、まあ来月頭ですか。一日どこかに缶詰になって、二人でネームやりたいと思っております。 それでまあ、描くのはいいんですけど、問題はで

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    fmnaka 2006/05/25
    なつかし~バカルン超特急!
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