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![【第1章】 誰が主権者を吊るせるか? (3ページ目):日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)
隣人の死刑囚の姿を目の当たりにしたことも、死刑廃止を考えるきっかけになりました。そもそも実際に取り調べを受けてみて、大きな矛盾を感じました。 我が国の裁判は、(1)犯罪の事実関係の確定、(2)被告人の犯行とされる行為に対する認識、(3)犯罪の事実関係と被告人の認識に対する法律専門家の評価で成り立っています。 つまり、事実、認識、評価という構成ですね。実は、犯行を行った人間の認識は、密室の中での検察官の取り調べでいかようにも作り上げることができます。それは職人芸と言っていいほど見事なものです。検察官が「上手に」取り調べ、その過程で、元来は被告人が持ってもいない「認識」を引き出し、もっともらしく文書(検察官面前調書)に整える。 実際の犯行時と異なる「認識」であるのに、それが認識だ、と法廷で確定され、それに従って裁判が進んでいくケースが圧倒的に多いのです。そういうプロセスによって、犯罪がいかよう
国家とは何か、権力とはどう使うべきものなのか、死刑には何の意味があるのか。これまで日本では真正面から議論、考察されたことがあまりないテーマについて、現在最もホットな作家である佐藤優氏と伊東乾氏が5時間以上にわたって熱く議論した。自ら512日間も拘留された経験や地下鉄サリン事件の実行犯を同級生に持つ作家たちだけに、観念論に陥ることなく具体論で喝破していく。迫真の議論をテーマ別にシリーズでお届けする。(司会進行は本誌編集長 川嶋 諭) 伊東 佐藤さんが雑誌「創」誌上で「拘置所経験を通じて死刑廃止論者になった」とお書きになっているのを拝見して、ぜひお目にかかってお話をうかがいたいと思いました。私自身は、実は廃止論というより、死刑制度うんぬん以前に、まず現行法の枠組みの中で、いま進行している裁判で何がどこまでできるか、ということの方に、興味を持っているのではあるのですが・・・。 佐藤 日本の裁判制
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