あとで理解するに関するfuna07のブックマーク (7)

  • SUKEBENINGENSUKEBENINGEN アニメの現状に対し思ってることを(固まってない抽象的な思考を捕まえる為)アバウトにつらつらと羅列してみる。

    アニメの現状に対し思ってることを(固まってない抽象的な思考を捕まえる為)アバウトにつらつらと羅列してみる。 自分はよく美術のコトバや理論を持ち出してきてアニメを叩く、批判する。 アニメは歴史が浅い。せいぜい半世紀ちょい。過去の歴史からは学べない。 価値観も「良い、悪い」しかない。美術には「良い良いもの」「良い悪いもの」がある。オタク(作画オタク)は「良い悪いもの」を刺せない。ソレらを表すコトバを持ってないから。その為に問題が可視化されない、認識できない。 だから美術からコトバを輸入する。例えば「予備校絵」と「サロン的」というコトバ。 美術には何度も危機があった。決して盤石だった訳ではない。主流派は容易く間違える。その度に傍流のチンピラが救い生き長らえてきた、そんな綱渡りな歴史。 世の中に真実は無い。勝者が絶対。ソコにあるのは現実だけ。だから皆それがすべてだと信じ込んでいる。 美術、つまりア

    funa07
    funa07 2009/06/14
    この方の書く文はいつも難しい過ぎてよくわからない。卓越した専門を持つ人は格好よく見えるなぁ。
  • スクリーンショットのストリーミング - やさしいデスマーチ

    最近は勉強会ブームでustを使ったストリーミング配信もよく行われています。ところが、ustの問題点として細かい文字が壊滅的に読めずスライド等はともかくコーディングのデモを見せることは困難です。コーディングのデモを配信しようとしたならば、800x600以上の解像度が必要しょう。しかし、FPSは低くても問題なく1〜2FPSもあれば十分です。ustやその他のサービスを見てもこのような要求を満たすものは見つかりませんでした。 というわけで、ないならば作れということでスクリーンショットのストリーミング配信システムを作ってみました。Screen Shot Streaming Systemといことでs4です。プロジェクトサイトはこちらになります。 s4の仕組みはいたってシンプルで、スクリーンショットを定期的にとりpngに圧縮してサーバに送るs4-capture、サーバから定期的にpng画像をダウンロード

    スクリーンショットのストリーミング - やさしいデスマーチ
    funa07
    funa07 2009/06/12
    まだ詳しく理解できてないけど、「動画配信の時に文字がつぶれたのをフォローするために比較的高解像度のpictureも共に配信する」という感じ?有用なものを公開してくださって感謝。
  • 「父」からの離脱の方位 - 内田樹の研究室

    『1Q84』は記録的な売れ行きらしい。 今の段階で、発売一週間で96万部。 ミリオンを超えることは確実で、『ノルウェイの森』の450万部という記録を塗り替えるかもしれない。 おそらくメディアはこれから、このの文学作品としての意味より、なぜこれがこれほどの社会的な「事件」を引き起こしたのかの方に多くの紙数を割くようになるだろう。 メディアが『1Q84』を「事件」として扱い、膨大な非文学的言説が行き交うようになる前の短い空白の間に、この作品についてまだ誰の感想も聞いていないイノセントな状態で、自分ひとりの感想を書き付けておきたい。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んでい止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフ

    funa07
    funa07 2009/06/06
    たくさんの要素を含んでいて抽象的なところもあり消化するのが難しい。部分的な理解で言いたいことが分かったなんて言いたくない。でも、いつかは消化したい文。
  • ゼロ年代の想像力雑感――主体性とレイプファンタジーについて―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の提示した問題のフレームは確かに興味深いのだが、同時にさまざまな異論をあげたくなるような強引な部分が存在する。それについて、少しばかりメモしておきたい。 主体性の素朴な扱い 宇野常寛の議論にひとつだけ異を唱えろといわれたなら、迷わず彼の「主体」に対する執着をあげる。これは彼の議論の根幹である動員ゲーム論から、細部であるレイプファンタジー批判にまで応用できる。彼は主体が能動的決定者であるように単純化して取り扱うが、実際のところ、主体というのは「われあり」という根源的な部分と、それが世界と向き合うことで発生する「われかくあり」という倫理=表現的部分とに分かれる。そして人間は後者の主体性を生きている、といえる。 このような主体性は、世界と自己との関係性――すなわちコンテクストの中での暫定的なものでしかないにもかかわらず、再帰的に強化されていくという性質を持つ。これを宇

    ゼロ年代の想像力雑感――主体性とレイプファンタジーについて―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    funa07
    funa07 2009/06/06
    この手の一般的な知識が足りないから(及び頭が足りないから)内容がよく分からないけど、ガンスリが出てきたから理解したいと思った。
  • 「理解できない」問題 - matakimika@hatenadiary.jp

    前回(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080701#p2)。「当は相手の主張を理解できるのに「理解できない」というアプローチで絡んでいく人々」の背中を追って。 「賛同できない」を「理解できない」と言い換えるひとが多すぎて、「理解できない」と言うひとは理解力が低いのか、それとも理解力でなく国語力が低いという話なのかがわかりづらい。 「賛同できない」の「理解できない」への言い換えは、感情表現(感情動物としての立場での発言)としてはアリだと思っていて、だから「クールで理知的なオレ」みたいな立ち位置なのに「理解できない」とか使ってるひとは程度が知れるなーと思っている。 「理解できない」はただ「わかりません」と言ってるだけで、「わからないので教えてください」とまでは言っていないわけだから、応答としては「そうですか」「あなたにはむずかしいかもしれませんね」あたり

    「理解できない」問題 - matakimika@hatenadiary.jp
    funa07
    funa07 2009/03/30
    なんか大事なことを言っているように思うのだけど私の頭が足りないのでよくわからない/「理解できない」という言葉を安易に使う人は世の中すべてが「自分が理解できるように在るべき」と感じている気がする。
  • 不在の父と決断する女たち - N.S.S.BranchOffice

    はてなエコーこの文章が碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論――や「ゼロ年代の想像力」に対するカウンターパートになるか、といえば微妙だけれど、エヴァにおける父と子の構図を「決断主義者」と「ひきこもり」の構図として図式化するのはわかりやすいけどそれってほんとに合ってるの? 設定上の構図が持っているイメージだけで語ってないか。と思ったので少し書いておく。もしかするとそこで見落とされている論理展開について。不在の父について。それから決断する女たちについて。そこで思い起こされるのが宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実際には「碇シンジでは碇ゲンドウを止められない」と読むべきである。碇シンジと対比されるべき決断主義者はまず彼が主人公であった「新世紀エヴァ

  • TURN 25 『Re;』の感想(3) ルルーシュが世界にかけたギアスとは?〜罪の十字架にかかることで世界の仕組みを変えること - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    ■ただし残るパラドクス〜ギアス自体は肯定しているんだよね、それはなぜか? 「ギアスは願いに似ている・・・・」 というセリフがありました。このセリフをベースにギアスという意味が、かなりこれまでとずらされているように僕は感じました。「これまで」とは (1)で書いた「人々の個々の意思を捻じ曲げたことが罪である」というという文脈からです。ルルーシュが罪滅ぼしに「死ぬ」ということがなぜ必要だったか?ということの理由を、、倫理に求めると、非常にわかりやすい。 うんうん、人をだました奴は、人の心を弄ぶような「悪」は、死んで当然だ!という、そういう表面的な道徳観が人々にはあます。その表層の薄い理解で言うと、上記で僕が語ったように、人を騙すという「悪」を為した、ルルーシュが自らの命で責任を取った、というわかりやすいドラマツゥルギーがあり、それに涙してカタルシスを得ます。 けど、当にそうか? 当にルルーシ

    TURN 25 『Re;』の感想(3) ルルーシュが世界にかけたギアスとは?〜罪の十字架にかかることで世界の仕組みを変えること - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
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