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この本の書き出しを読んで、上田三四二が亡くなってもう20年になることに気がつき、驚いた。彼の短歌や小説よりも、エッセイや評論が気に入っていて随分楽しませたもらった。本書を手にしたのは、医師という本業を持ちながら、文学的に多くの業績を積み上げてきた、その生き方について評伝的な興味があり、いまひとつピントが合わない感じのする人物像を鮮明にしたかったからだった。 読み終わった結論から先に言えば、評伝としては取材不足の感はぬぐえないが、文学的な業績を丹念に跡づけるまとまりの良い上田三四二文学論だった。歌人、小説家、評論家などの肩書きに見られるように、上田の多面的な文学活動を丁寧に時系列にそって整理してあり、個々の作品に対する評価も中庸を得て公平な感じを受けた。その意味で初めて上田三四二に接するような人への親切な入門書になるような気がした。とりわけ短歌と小説の関連についての論究など、短歌表現の特性と
ず〜っと、気になっている名前があるんです。書店に行って文庫の棚あたりを通りかかると、あ・い・う・・・う・・・う・え・だ と探している著者なのです。上田三四二さん。 そのお名前をはじめて目にしたのは、木下杢太郎の「百花譜百選」の復刻出版案内パンフの中に、何人かの追悼文章が採録掲載してあり、そのなかの1人としてでした。 過不足のない、まったく無駄のない文章というか、必要な言葉が必要とされる場所にきちんと置かれた文章。端正でありながら、哀悼の痛切さが読む者に深い感銘を与える文章でした。文章の力というものを見せつけられた思いでした。 「無私なる写生にこもる勁い精神」と題された文章が以下です。 「中学で、画家を志して容れられなかったこの万能の才の最後の作品が、『百花譜』であることの意味は量りがたく大きい。 戦中の2年と5ヵ月にわたる歳月は杢太郎にとっては死に直結する歳月であったが、その間における彼の
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