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ブックマーク / monmon99.blog.shinobi.jp (5)

  • デカルト

    『倫理という力』前田英樹 デカルトはラ・フレーシュ学院を卒業する時、学校が教えるすべての学問、社会に流布するあやふやなすべての教養と手を切る決心をした。ヨーロッパ各地を一人で遍歴しながら、時には傭兵となって戦場を駆け回ったりしながら、あらゆる幻想システムの外に自分を置くこと、そこに自分が<在ること>を習練し続けた。それが、「我思う、故に我在り」の意味である。(p104) 『方法序説』を読めば、彼の仕事の動機もまた、学校で教えられる、ものの役に立たない学問への失望に発していたことは明らかである。あれこれの学問が、ではない。およそ学というものが言語や記号に依存するそのやり方において、彼は根底からの不信、憎悪、失望を味わった。こうした諸学が、ないものをあるかのように言い募る手口、それが人を騙し、人の上に立って組織を作り、偽の権威やしたたかな虚栄で社会に働きかける手口、彼はそういうもののすべて

  • ゴッホ

  • 覚え書き おのれとり分て人につたふべきふしなき事

  • 覚え書き 藤樹

  • 覚え書き 批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ

    『兄小林秀雄との対話』高見沢潤子 批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ 兄は、評論家である。四十年近くも、評論を書きつづけている。そして、なぜ評論家になったのか、とよくきかれるそうである。 兄は、評論を書きたいと思って書きはじめたのではないという。書きたいものを、書きたいように書いたら、それが、批評ということになってしまって、それを四十年間、あきもせず、くりかえしてきたのだ、という。 佐古純一郎さんの書斎には、 批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ と書いた、兄の色紙がかかっている。兄は、色紙を書くのがきらいで、めったに書かない。だから、 「わたしは、特別にもらったんですよ。」 と佐古さんは自慢している。 わたしも、よくこの色紙のことばを借用して講演をするが、学生などが反問してくる。この意味はわからない。自分をなくしちまったら、批評はできなくなるではないか、というのである。わたしがそ

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