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ブックマーク / tamarunoboru.cocolog-nifty.com (2)

  • 升田幸三が王将戦で対局放棄した61年前の「陣屋事件」の経緯と真相: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    1952年(昭和27年)2月17日。第1期王将戦(木村義雄王将・名人―升田幸三八段)第6局の前日の夜に、対局場の神奈川県秦野市鶴巻温泉「陣屋」旅館で前代未聞の事態が起きました。升田が旅館に独りで着いたとき、玄関のベルを何回も押しても旅館側が出迎えない非礼に腹を立て、隣の旅館に引きこもったのです。そして升田は王将戦の関係者に対して、対局を拒否することを伝えました。 将棋連盟と棋戦を主催する毎日新聞社の関係者は驚愕し、翌日の対局開始直前まで升田を懸命に説得し続けました。しかし升田の気持ちは変わらず、ついに対局放棄して不戦敗となったのです。この61年前の出来事が世にいう「陣屋事件」でした。 その後、連盟の理事会は升田の行為を不当とし、1年間の公式戦出場停止の処分を下しました。しかし、ほかの棋士たちから「処分が重すぎる。升田を救え」という声が巻き起こりました。また、将棋を愛好した著名人たちが新聞や

  • 昭和棋界の双璧だった大山と升田の珍しいツーショット写真: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    私は青年時代、写真に凝って撮りまくっていました。主な被写体は対局光景や棋士などの将棋関連で、写真はその中の1枚。ピントは外れ、光は中央で分離して、でき映えは良くありません。しかし、とても珍しいツーショット写真として気に入っています。 左は大山康晴(十五世名人)、右は升田幸三(実力制第四代名人)。両者は昭和棋界の双璧として将棋史に大きな足跡を残しました。ともに関西の木見金治郎九段の兄弟弟子で、修業時代は内弟子生活を送って同じ釜の飯をべた間柄でした。暴れん坊の兄弟子の升田は、生真面目な5歳年下の大山をよく可愛いがったそうです。 升田と大山は長じると、タイトル戦に登場して頭角を現しました。両者はタイトル戦で何度も激突し、宿命のライバルといわれました。やがて盤上だけでなく、盤外でも火花を散らすことがありました。升田は朝日新聞社、大山は毎日新聞社と、異なる新聞社の嘱託になったことで、互いの取り巻き

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