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ブックマーク / www.kk.iij4u.or.jp/~furuse (2)

  • 7月14日のエッセイ

    No more 国語審議会(続) by Yukihiro FURUSE というわけで、続きである。 漢字問題を考えるうえで忘れてはならないのは、「手書き」が字体のバリエーションを増やしてきたという事実だ。私たちはいま、当たり前のように活字に接しているから、正統と異端が漢字の字体にもあるような気がしてしまうけれども、そんなものはありゃしないのである。仏典を書写するときに、字画を省略したら、その瞬間に新しい異体字の完成なのだ。 もちろん、「標準」は存在している。日で有名なのはなんといっても『康煕字典』(こうきじてん)だ。これは清の康煕帝が編纂させた字書であり、1716年に完成したものである。この字典が採用した字体を「康煕字典体」と言っている。さきの国語審議会の批判は、つまり、康煕字典体とそうでないものが混在しているという話である。 正字は政治なのである しかし、これとて、絶対的に正しいものか

  • 7月13日のエッセイ

    No more 国語審議会 by Yukihiro FURUSE JIS漢字の96年改正作業が進んでいる。今回の改正はじつにすばらしい。なにより哲学がある。そのうえ実証主義的だ。こういう規格づくりは応援したい。 それに反して、国語審議会ってのはズレているよなあ。いや、ズレているのは新聞報道かもしれない。7月5日の新聞各紙は、前日に始まった第21期国語審議会が、「ワープロ漢字」を問題としてとりあげたことを報道していた。その報道ぶりは、まさにナ〜ンセンス。「森鴎外」の「鴎」の字体がワープロによってマチマチであることをとりあげ、槍玉に挙げているが、じつはこういった通用字体をまっさきに開発し、使い始めたのは当の新聞だぜ!?。 私は忘れてないぞ なにを隠そう、私は83年版JIS漢字規格に対して、痛烈な批判を繰り返してきたことで、その筋では知られている。その批判の第一は字体を第一水準と第二水準で一部ひ

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