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ブックマーク / www.pu-kumamoto.ac.jp (2)

  • 公立大学法人熊本県立大学

  • -日本語の熊手:日本語学小論-

    先日、お世話になった方が異動することになり、送別会を行った。筆者は二胡という中国の伝統的な楽器を弾くので、送別会での演奏を担当することとなった。ありがたいことである。普段より練習に力が入っていたのか、オリジナル曲を書いてはどうかと考えるようになり、絶えず花を咲かせ実をつける様を出会いと別れに見立てて、庭の白梅をイメージして作曲を始めた。そこで、ひとつの疑問が生じた。なぜ音楽についての表現は聴覚を無視するのか。例えば、視覚、味覚、嗅覚、触覚にはそれぞれ白い、甘い、かぐわしい、痛いというようなそれぞれの感覚由来の語が多く用いられる。しかし、聴覚については、うるさい、など限定的な意味を除いて聞こえた音がどのようであるかを言い表すための聴覚由来の語がまるで見られないのである(筆者の語彙量に責任を求めることもできるが、それでも他の感覚語と比較して聴覚の感覚語だけをあまりにも知らないことはやはり疑問で

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