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ブックマーク / www.relnet.co.jp (5)

  • 玄関扉に見る日本文化論

    レルネット主幹 三宅善信 ▼公私の区別は足許でする 明治維新以来、既に130年以上が経過し、この国における欧化は、あらゆる分野で浸透しているように見える。あるいは太平洋戦争の敗戦後急激に拡大した米化も、すでに半世紀以上に及び、この国のあらゆる面において欧米化が進んだように見える。街を行き交う人々で和服姿(着物・帯・下駄・草履といったようなものをひっくるめてという意味で)の人を見かけることは、何かのイベント(成人式や卒業式等)でもない限り、ほとんどなくなった。日人のほとんど100パーセントが、洋服に姿である。そもそも、洋服という言葉が死語になっているくらい、単に「服」といえば、和服ではなく洋服を指すようにすらなっている。服装の問題はそれほど重要なテーマたり得るのであるか、今回はこの履き物の着脱に焦点を当てて、日文化について、考えてみたい。 明治以来、公的な場所は全て土足(を履いてい

  • アナウンサー歴36年をふりかえって|NHK宮田修アナウンサー講演記録

    7月15日、創立78周年記念婦人大会が開催され、約1,200名の婦人会員が全国から参加した。大会では、NHKアナウンサーひと筋、報道のキーパーソンとして活躍中の宮田修氏を講師に迎え、『アナウンサー歴36年をふりかえって』と題する記念講演を拝聴した。平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の時には、発生直後から冷静かつ的確な報道にあたり、視聴者に感動と安心を与えた。一方で、宮田氏は平成15年6月から千葉県の熊野神社の宮司として神勤奉仕されるなど、ユニークな経験をお持ちである。紙では、数回に分けて、宮田修氏の記念講演を紹介する。   ▼ひょんなご縁で神職に 皆様、日はお招きいただきまして有難うございます。NHKアナウンサーの宮田修でございます。どうぞよろしくお願いいたします。私は履歴書の職業欄に、当然「NHKアナウンサー」と書いておりますが、実はその後ろに「・」(中点)を付けて、「神職」

  • http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-171.htm

    キルケゴールは『死に至る病』の中で、「信仰」を「自己自身を獲得するために自己自身を喪失すること」であると考えているようだが、それは神の前に単独者として立つ自己(真のキリスト者)となるためには、「自己自身を忘却する」ことにより、そして「自己自身を分散する(=気晴らしをする)」ことによって「自己自身を喪失している」自己、すなわち、このような自己(「絶望」せる自己あるいは大衆人の自己)を喪失しなければならないということを意味しているのだと思われる。これを逆の視点から見れば、大衆人(宗教的に実存していない者)は、「神の前の自己」という真の自己自身に関係しておらず、それ故また単独者として絶対者に絶対的な関係ももたないという意味で、「自己自身および神を喪失している」ということを示唆していることになる。キルケゴールのそれ以前の時代に対する批判は、真の自己を喪失し、また神を喪失し、匿名性と無責任性の中で生

  • http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-170.htm

    実存主義とは、いまここに生きるおのれ自身の存在を意味する「実存」を出発点に据える思索の試みを指す。そのモチーフは、デカルト(1596〜1650)の同時代人であり、「人間は自然のうちでもっとも弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」と述べたフランスのパスカル(1623〜62)のもとにも似たような発想が認められるが、通常は19世紀のキルケゴール(1813〜55)に由来する立場を意味する。 キルケゴールは、流行していたヘーゲル哲学に不満を抱いていた。一切を理性によって捉え尽くすことを目指し、それが可能だと主張するヘーゲルの理性を絶対視する立場は、キルケゴールの目には、もっとも大切なものを見落としたように感じられたのであろうか。 彼は、それまでの哲学への不満から、人間を実存するものととらえるが、実存の規定を端的に述べたのが、『死にいたる病』の冒頭文である。それは、「人間は精神であり、精

  • http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-168.htm

    セーレン・キルケゴールは、18歳になった1831年11月、コペンハーゲン大学神学部に籍を置き、神学の研究をはじめた。彼が神学部に籍を置いたのは、彼自身の主体的決断ではあるが、第一に、兄のペーターが優秀な成績でそこを卒業し、神学国家試験に合格し、最短コースで牧師の資格を得ていたことと、父ミカエルが強く希望したことが、影響していると思われる。 彼は大学に入ると神学と文学の学びを同時に始めた。当時の神学はもちろん、アンセルムスを読み、神学の巨匠であったシュライエルマッヘルの講議を直接聞く機会にも恵まれた。さらに、ソクラテス、ゲーテ、ヘーゲル、などの著作にも没頭していった。 そして、彼がコペンハーゲン大学の神学部に入学して、5年目の1835年、彼自ら「大地震」と呼んでいる父の秘密、すなわち、父が少年の頃神を呪ったこと、および父の再婚にまつわる父の不行跡、を知るに及んで、彼の罪の意識が深まっていった

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