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思想に関するgaopikoのブックマーク (6)

  • noteにおける反ワクチン記事の方針について|深津 貴之 (fladdict)

    noteが運営方針として、反ワクチン記事などをどう扱っていくかについて。 先日、TwitterとFacebookが、SNS上での反ワクチン言論への対策を始めました。これは、米国におけるはしかの再流行騒動に対応しての流れだと思われます。 よい機会なので、反ワクチンやフェイクニュースに対して、僕たちもいったんスタンスを明確にする時期かなと考えています。現状はnote公式というよりは、「CEOやCXOがどう考えているか」です。まもなく、公式の意思決定も定まるでしょう。 noteにおける反ワクチン情報の現状歴史的な経緯として、noteチームはワクチンの正しい普及運動を応援しています。子宮頸がんワクチンの啓蒙活動をされ、『10万個の子宮-あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか』を出版した村中璃子さんも、noteを利用しており、彼女の書いたnoteは大きく話題となり、新聞の論調を変えるに

    noteにおける反ワクチン記事の方針について|深津 貴之 (fladdict)
  • Hisakazu Hirabayashi * Official Blog - FC2 BLOG パスワード認証

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    gaopiko
    gaopiko 2009/04/29
    特にまえがきの出だしから迫力がありました。 「戦後、日本の右翼はマーケティングを誤った」という趣旨から、切り込んできます。
  • なぜオタクは女を抱きあきたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    商品として構造化される女性身体 形而上学の表れの特徴はデリダも指摘したように二項対立にある。精神と身体、動物と人間。まったく同様な意味で女性の裸体は形而上学的である。処女と非処女。性器と非性器、乳首と非乳首。 処女と非処女。処女信仰は古くからあるが、いまも男性に、すなわち社会で根強く信仰されている。乳首と非乳首。グラビアアイドルが乳首を出すか、出さないかは大きな境界となるだろう。異なる職業に分類されるといってもいい。 性器と非性器もまた不可思議だ。特に日では性器の描写は禁止されている。猥褻罪でつかまった写真家が性器の写真を前にどこまでが性器か線をひけと、警察に詰め寄ったという話がある。このように女性の身体は形而上学的二項対立により切り刻まれ、構造化されている。 ・・・化粧をする/髪をそめる/ピアスをあける/卑猥なことをいう/キスをする/ビキニ水着をきる/乳首をみせる/ペッティングをする/

  • なぜ高度資本主義では人はナイーブで孤独なのか 耕作技術としての国家論1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    規律訓練権力=畑を耕す、生権力=作物を育てる フーコーが指摘した近代に全面化した権力、規律訓練権力と生権力の関係をわかりやすくたとえてみよう。規律訓練権力とは荒れ地を耕すことである。近代初期に国家により大改革が行われたのである。学校、病院、市場、流通、監獄、軍隊、都市整備、公衆衛生・・・最初に荒れ地をたがやかすのはたいへんである。そこには強制的な力が働く。しかし一度、耕された畑は次には労力は少なくてすむ。社会が規律訓練装置として整備されてしまえば人は幼いときから高い規律をもち育つ。 生権力は「生かす権力」である。耕された畑に種を播き育てることといえる。作物は育つように訓練することはできない、ただのびのびと自由に育つように環境を「調整・管理」するのみである。 作物はまず耕された農地がなければ育たない。荒れ地をいくら管理しようが作物はそだたない。耕された土地に種をまき、継続して管理する。規律訓

    なぜ高度資本主義では人はナイーブで孤独なのか 耕作技術としての国家論1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ

    ①「モンスターハンター」はなぜおもしろいのか 「モンスターハンターポータブル 2nd」(ASIN:B000GWKY9Y)にはまっている。リアリティあるグラフィックのモンスターと格闘し狩るというこの興奮はなんだろう。モンハンはアクション性が強いゲームであり、RPGのように続けるうちにキャラクターの経験値が上がり強くなるのではなく、経験はプレイヤーの操作の熟練に求められる面が大きい。キーの操作やアイテム使いのタイミングなど、プレイヤー自身の条件反射的な上達が求められる。だから格闘中はまわりが見えなくなるほど画面に集中し、体が緊張し、興奮する。 しかしこのような「身体的な没入」とは別に、人はかならずこの状況を俯瞰するメタ視線がある。鏡をみてそれが自分であると認識できるように、どんなにヴァーチャルなリアリティが向上しても、これがゲームという「劇」であることを忘れることはない。そしてゲーム機の中の「

    まなざしの快楽 - ネットは市場主義的「コンビニエンスな解決」以外のものを生み出せ
  • web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。

    昔何かで見かけた話に、 どこかの、日よりは先進国ではない国から来た人が、 普通に、店の入り口にある傘置き場を見て、 盗みたいというわけじゃないけど、、持って行きたくなりますね、、。 とコメントしていた、というのがあった。 その人の国だと、無防備に放置されたものなんて何でも、 盗られてしまう感じなんだろう(そして放置したほうが悪い)。 どのくらいのものまで放置されていて大丈夫なのかはわかんないけど日、 傘くらいだったら盗りはしないよ、っていう豊かさはあるんだなあということと、 後はまあ、人様のものを盗むということの 卑しさというか心の貧しさというか恥みたいなものを、過剰に教育されたので 相当切羽詰ってもそれだけはやりたくないものだ、と結構みんな思ってるんじゃないかなと、 (違う??かなあ。でも他の国の人は、盗んだら臆面も無く勝ち誇りそうだけど、日人は割と、恥しそうに盗むよね、盗む人も、

    web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。
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