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社会と教育に関するgaopikoのブックマーク (6)

  • 25年前の争点に戻すべきではないか - bat99のブログ

    沖縄集団自決に関する教科書検定の問題ではid:buyobuyoさんのそもそも集団自決問題は軍による島民虐殺をごまかすためにお上が持ち出したものだろうにとid:s_kotakeさんの「集団自決があったことそのものが疑われるのではないか?という疑問」という二つのエントリで以前の争点が自決ではなく殺害であることが示されているし、また、この二つのエントリを受けて書かれた「文部省教科書調査官の証言」でApemanさんが教科書調査官の証言を紹介しておられる。 逆に教科書執筆側からの証言を読むと、1982年当時どうあっても日軍による沖縄県民虐殺そのものを教科書に記載したくない文部省(当時)の姿勢が伺われる。 以下の文章は江口圭一著 十五年戦争研究史論、P344〜P349からの引用です。 文部省に提出した原稿(白表紙無記名で製された)で、私は沖縄戦に関する文の注記としてつぎのように書いた 六月ま

    25年前の争点に戻すべきではないか - bat99のブログ
  • 中学生たち - 覚え書き

    中学に勤める知人から聞いた話。「ふられた」「シカトされた」「はずされた」「傷つけられた」等々、生徒さんたちはみんな友だちとの関係に(知人曰く)悩み悶え狂い、泣いたり吠えたりしているのだそうだ。そういう悩みを見聞きでき、中には打ち明けて相談する子もいるのだから、彼女はいい先生なのだろうと思う。思春期に入ったばかりの中学生の不安定さはただごとではないだろうなあ。「でも、もう大変。ふられたと泣くから『どうやって告白したの?』と聞くと、してないと言う。告白もせず、ふられたと決めつけて傷ついたと落ち込む。友だちと気まずくなったと訴える子に、思い当たる理由を聞いても『分からない』の一点張りだし、関係を回復するアプローチをしている子は皆無。どうして自分をシカトするのか相手に聞いてみる子もいない。相手にとっては何気ないちょっとした行為かもしれないのに」「相手に訴えかける言葉も表情も態度も知らない、使い方が

  • 日本人は一人暮らしする前に「ナニワ金融道」を読むべき - 最速配信研究会(@yamaz)

    UIEvolutionの中島さんがMLM(マルチレベルマーケティングの略)に引っかかった若者と話したようだ. 私が「ねずみ講って何か知ってる?」と尋ねると、「聞いたこともない」という(学校ではいったい何を教育しているのだろう)。 非常に同感で,思うところがあるので書いてみる. ずっと前にmixiで書いた奴だけど,加筆しての転載です. - mixiのとあるコミュニティでトピックが立った. 「文字入力で稼ぎませんか?」(当該トピックは消えてしまったのでちょっとあやふや). まぁよくある在宅ビジネスの勧誘だ.mixiは招待制なので, こういう悪いことはやりにくいはずなのにと思ってトピ主を たどってみるとなんと18歳の女子大生! プロフィールを信じるならベンチャー気質の高い超有名私立大学の 新入生の女の子で,参加しているコミュニティを見ると 「ネットワークビジネス」 「ビッグになりたい」 「金持ち

    gaopiko
    gaopiko 2006/12/19
    実家にまだあるかなぁ~?
  • 「公立校」は本当に「ダメ」なのか?(とりあえず、おしまい) - ちゃずけのはてなにっき

    昨日の読み直すと私も結局年収500万で私立に二人子供を行かせた人と教育への自己満足度は 変わらない気がするなあ、、だからホメてってか?自分!当はもっと公立校における子供達の実情の断片を 書こうと思ってたんだけど思いがけず反応をいただいてあわ喰ってうわ言を口走りはじめる小市民な私、、 私がこのタイトルで書きはじめたのは実家の父親が近所の公立中学に通う私の娘にしょっちゅう 「だからあんな学校に」だの「あんな教師が」だの言った事に端を発す。 私の父親は専門分野では大層良心的なインテリなんだが、その他、特に世間的な事に関しては新聞やニュースを すぐ真にうける「亜」インテリで自分の子供達が現役の中学生だった時は忙しくて近所の中学など 全く関心がなかったのに急にオープンスクールなどに出かけてはわざわざ不安材料をあさってくる。 それを孫である私の娘にぶつけるので娘は耐えかねて泣きながら自分の通う学校を

    「公立校」は本当に「ダメ」なのか?(とりあえず、おしまい) - ちゃずけのはてなにっき
  • http://anotherorphan.com/2006/05/post_284.html

  • 女教師ナオ子の、震える夜。 - 女教師ブログ

    教育, 社会 時計が23時を少しまわって、僕はブログを書くためPCに向かった。今回の記事のタイトルは、「フランクフルト学派の現代ポストコロニアル文学との関係における、舞の海と荻原次晴のちっとも上手くならないスポーツキャスター業の一考察」――そう、ブログ界いや思想界でのエポックメイキングでパラダイムシフティングな、金字塔的小論文になるはずだ。ワードを起動し、僕はキーボードに両手を置いた。ちょうどその時、電話が鳴った。姉のナオ子からだった。ナオ子は、開口一番、今夜のTBSを見たか?と聞いてきた。あ、あの討論番組「今、子供たちが危ない」のことかとすぐわかった。ナオ子は長野で教員をやっているからだ。僕が、見たというと、ナオ子は、マジでふざけてんじゃねぇよ!!!とまず最初に叫び、次のようにまくし立てた。 結局、保守派もリベラルも「人のせい」で反吐が出る。子どもの問題は全部他人のせい、自称・教育家たち

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