日本がアートにおいて「受け入れ」の大国である、と謳ったのは言うまでもなく岡倉天心である。古美術調査のために一年間滞在していたインドで執筆された英文著書 “The Ideals of the East ”(『東洋の理想』)のなかで天心は、「アジア」と名指される広大な領域を行き交う様々な文化を指し示した上で(「理想」を “Ideals” と複数形で表記しているのはそのためである)、それらすべてが流れ込み、失われることなく保存されている特権的な場所として日本を位置づけている。このような天心の美術史観は、有名な「日本はアジア文明の博物館」という言葉によく表れているとされている。 しかし同時に、その言葉の直後に以下のような文章が続いていることを見逃すわけにはいかない。 いや博物館以上のものである。なんとなれば、この民族のふしぎな天性は、この民族をして、古いものを失うことなしに新しいものを歓迎する生け