→紀伊國屋書店で購入 「損得の彼岸の輝き」 津村記久子(小説家) 以前は、大人になればもうちょっと楽に息ができるようになるだろうと思っていた。それは二十代で働くようになって、少しの金銭的な自由を得たことによって叶えられたかのように見えたのだけれど、それからまた年を食って、どんなふうに生きればいいのかがまたわからなくなってきている。 筆者は三十三歳なのだが、単なる学生時代からの友達というだけの集まりの中にも、独身、既婚、子持ちの専業主婦など、様々な立場の女の人たちがいる。彼女たちと話をすると、それぞれに悪くてそれぞれに良く、とにかく正解がないということが正解、と思えてくる。自分と同じように独身の女の人であっても、映画と音楽とスポーツ番組にしか興味のないわたしを揶揄(やゆ)したりもする。主婦は、たくさん働いてえらいなあと言ってくれる。一緒に遊び回るなら、既婚でまだ子供のいない友人がいちばん気楽
『ラカン派精神分析の治療論』(赤坂和哉)、第四章まで。明晰な記述で、今まであいまいだったいろんなことが明確になる感じ。 ラカン前期においては「大文字の他者の大文字の他者は存在する」(「父の名」として)。しかし、中期においては、「大文字の他者の大文字の他者は存在しない」(「対象a」による享楽が、その「みせかけ」として機能する)という風に変化する。おそらく、前期のみをみるならばラカンの理論はそれほど難解ではない。要するに、二項の関係(想像的な関係-愛)に規定されている欲望は相手方に依存するものだから駄目で、父の名による象徴的な去勢を受け入れて、二項関係に依存しない第三項としてのシニフィアンの連鎖のなかで、自分自身の欲望を「歴史的な真理」として引き受けなくてはならない、と。 ここから見れば、ラカン派によるクライン派への批判も分かり易い。クライン派の分析は想像(鏡像)的な二者関係(愛)に退行してい
「来ても10人くらいだろうから、ちっこい部屋でいいや」という予想を大幅に上回る30名の方が参加された「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性・第一回研究会」を、無事終了致しました。(無事、といってもちょっと研究会本体の時間を長く取りすぎて、最後はみなさんお疲れでしたが...。) 備忘録として、ここに当日の様子を書き留めておきます。 午前11時からは筒井の報告。研究会が始まる前から、午後に報告してくれる酒井泰斗さん(id:contractio)をすぐに認識できなかったり(6年ほど前にお会いした時と多少違って見えた)、予告なしに姿を見せられた稲葉先生(id:shinichiroinaba)をこれまたすぐに認識できてなかったり(ウェブの写真と違う...)、多少の焦りはありましたが、報告(「計量分析はどのようになされているのか:回帰分析を中心に」)自体はまあうまく行ったかなと思い
bibliography for ethnomethodology (-1989) (emca.net内) B.J.Fehr, J.Stetson, 水川による1989年までの網羅的EMCA文献リスト。 ETHNO/CA NEWS: RESOURCES ポール・テン・ハーヴ(Paul ten Have、元アムステルダム大学)によるEMCA文献リスト・オンライン文献リンク集。 1991年まで 『エスノメソドロジーの現実』, 1992, 世界思想社: 末尾文献表 (水川喜文・好井裕明 作成) 1991から1998年まで 『エスノメソドロジーの想像力』, 1998, せりか書房: 末尾文献表(pp.301-274)(山田富秋 作成) 1991年から1998年まで 『会話分析への招待』, 1999, 世界思想社: 末尾文献表(pp.223-255)(岡田光弘 作成) 1998年から2001/200
Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press) 作者: Matthew M. Hurley,Daniel C. Dennett,Reginald B. Adams Jr.出版社/メーカー: The MIT Press発売日: 2011/03/04メディア: ハードカバー購入: 3人 クリック: 105回この商品を含むブログ (16件) を見る 第5章 ユーモアの認知的進化的理論にかかる20の疑問 ハーレーたちは第4章でこれまでの理論を概観した後に,自分たちの理論が備えていなければならない性質を明確化している. <望ましい理論が備えているべき特徴> 全ての楽しみをもたらすユーモアを含み,楽しくないものを含まないように記述できる なんらかの予測ができ検証できる 例:こうするとジョークが冴える どのよ
和田敦彦 (2011年8月5日刊行,新曜社,東京,362 pp.,本体価格4,300円, ISBN:9784788512504 → 目次|版元ページ|著者ブログ) 【書評】※Copyright 2011 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 歴史的・時空的に変遷する「系譜」としての蔵書本書は,予想した通り,前著:和田敦彦『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』(2007年2月28日刊行,新曜社,東京,ISBN:9784788510364 → 書評|目次|版元ページ)を発展させた内容だった.個物としての“トークン”である書物ならびにその集合体としての蔵書がたどってきた歴史(著者は「リテラシー史」と呼ぶ)を,主として日米間の図書流通の事例を通して探る.序章で述べられている著者の問題提起は本書全体を貫く柱となる: 書物の流通や収集,所蔵,管理といった問題
現代という時代の気質 (晶文選書) 作者: エリック・ホッファー,柄谷行人出版社/メーカー: 晶文社発売日: 2002/11メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 26回この商品を含むブログ (11件) を見る またもやエリック・ホッファー『現代という時代の気質』からの抜書き。 第1章「未成年の時代」から。 (前略)とくに二十世紀にはほとんど全世界的な規模で少年化の現象がみられる。共産主義、ファシズム、人種的偏見(クー・クラックス・クラン団)、その他世界の低開発地域で現在勃発している大衆運動の少年的性格は誰にでもすぐわかるだろう。新興国あるいは復興国の指導者はほとんどすべてがその性格形成にきわだって少年的な要素をもっている。(pp.16-17) (前略)少年性というのは年齢の問題というよりもむしろ精神の状態ではないだろうか。ティーンエイジャーはどの年齢層にもいるのではないだろうか。一五
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飯島夏香「既視感覚」 @ex-chamber museum 〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町1-1-6 小浦第一ビル2階a 070-5567-1513 2/10(土)~2/25(日)月火水休(2/12開廊) 木金:15:00~18:00、土日祝:12:00~18:00 プレスリリース インスタレーションビュー Natsuko Iijima "Kishi-Kankaku" @ex-chamber museum Koura-Daiichi BLDG 2f-a, 1-1-6, Nihonbashi-Kayabacho, Chuo-ku, Tokyo, Japan 81-70-5567-1513 February 10(Sat)~February 25(Sun) closed on Mondays to Wednesdays (2/12 is open) Thursdays and F
SF作家・山本弘のblogです。小説・アニメ・特撮・マンガから時事問題にいたるまで、いろんな話題を取り上げていきます。 HPはこちら。 山本弘のSF秘密基地 http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/ 今日は別のことを書くつもりだったんだけど、面白いニュースが飛びこんできたので、そちらを優先したい。 ニュートリノが実は光より速かったというのである。 最初に言っておくと、今回のこの発見、間違いである可能性が高い。 報道されているように、もしニュートリノが光より0・0025%も速いと、小柴昌俊教授のノーベル賞受賞のきっかけになった超新星1987Aの観測と矛盾してしまうのだ。 超新星1987Aは大マゼラン星雲の中にあり、地球からの距離は推定16万光年。爆発の光が地球に届くのに16万年かかる。ニュートリノが光より0・0025%速いと、それより4年早く地球に届く
1982年の話。 映画ファンはこの年をどのように振り返るでしょうか? この年日本公開された映画を振り返って、ジェームズ・キャメロンが『殺人魚フライングキラー』で、角川春樹が『汚れた英雄』で、それぞれ劇場用長編映画の監督として微妙なデビューを飾ったことを遠い目で思い起こす人もいるかもしれませんし、別の方にとっては『E.T.』と『蒲田行進曲』の盛り上がりで記憶しているかもしれません。また『ブレードランナー』や『U・ボート』といったカルト的に根強い人気作のスロースタートによって記憶する人もいるでしょう。 ちなみに当時小6か中1かだったはずの私にとっては、『伝説巨神イデオン 接触篇/発動篇』とクリント・イーストウッド監督『ファイヤーフォックス』の年だとひとまず言えます。 ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』の続編が公開される。...続編というのは正確ではなく、前回舞台となったアメリカ基地
137 :本当にあった怖い名無し:2011/09/22(木) 02:06:15.74 id:sPWlE4u50 慶応幼稚舎の問題でも頑張って解くんだ 138 :本当にあった怖い名無し:2011/09/22(木) 02:53:28.28 id:iv6pwH4v0 やべぇ、7がわからん… 140 :本当にあった怖い名無し:2011/09/22(木) 03:00:30.37 id:N2b+RrQt0 >>137 6はこのバスがどの国のバスであるか明示していないので 答えの出しようがない 日本だと仮定するならBだけど 142 :本当にあった怖い名無し:2011/09/22(木) 05:11:05.14 id:mkBdvVLo0 どうせ自分はアホだよ 問1,5,7がさっぱりわからん 145 :本当にあった怖い名無し:2011/09/22(木) 06:56:20.14 id:v3RAl/mR0 全部分
日本におけるロースクールの低合格率が話題になったが、アメリカの法曹制度に関する多くの論考が集められている。ここでは、ロースクール制度のもとのなったアメリカでロースクールを廃止すべきと主張している論考を紹介する。ちなみに著者のHas Baderはハーバードロースクール出身の弁護士だ。 Hans Bader on Abolish Law School Requirement, Keep the Bar Exam? Lawyer licensing should not be completely abolished, but it should be made radically easier and cheaper by abolishing the requirement that lawyers attend law school to sit for the bar exam, and
大阪大学の大竹文雄氏と小原美紀氏が、2005年とだいぶ前になのだが、「消費税は本当に逆進的か」と言う記事を出している。 消費税が逆進的になる理由は、高所得者は低所得者よりも消費性向が低いと言う明白な傾向から言えるものだで、それに疑義を投げかけており興味深い。しかし、奇妙な話になっている。 1. 生涯消費性向で考えると、消費税に逆進性は無い? 大竹氏と小原氏は、現役中における両者の消費性向の差を認めつつも、引退後の年金生活における消費も加味して考えるべきだと主張している。つまり、ライフサイクル仮説によると、老後においては貯蓄を切り崩して消費を行うので、高所得者と低所得者の生涯消費性向の差は、現役時代の消費性向の差ほど大きく無いそうだ。高所得者と低所得者が貯蓄を使い切って死ぬなら、消費税負担率は生涯所得に関係なく一定になる。大竹氏・小原氏の試算では、むしろ累進課税になっている。 2. 金持ちと
このようなものを見かけました⇒茂木健一郎さん kenichiromogi 「サンプリングは、もしやるとしたら、まじめにやった方がいい。」 - Togetter ※アットマークを外した これは、twitterにおいて茂木健一郎氏が世論調査についてつぶやいたのをまとめたものです。その意見を見ていて、ちょっと首を傾げた所がいくつかあったので、検討してみます。 さま(1)そもそも、統計には限界がある。「5年後に生存している確率が30%」と言ったって、自分が実際に5年後に生きているかどうかは0%か100%のどちらかだ。それでも統計的真理を追うのはある程度は仕方がない。問題は、サンプリングをちゃんとやること。 統計的なデータが、個人に起こる出来事を完全に予測出来るものでは無い、というのはその通りです。起こってしまったらその人にとっては100である、みたいな言い方もしばしば見られます。しかし、その事が、
2011年09月23日 02:50 カテゴリサイエンス最前線〜脳 なぜヒトはボケるのか〜前編 Posted by science_q No Comments No Trackbacks Tweet なぜヒトは齢をとるとボケるのでしょう?なぜって、そんなの古くなった機械の調子が悪くなるのと同じで、古くなった脳がボケるのは当たり前じゃないの?なんて思ってやしませんか?いやいや、それはちょっとあきらめが早すぎるというものです。最近報告された2つの論文は、ボケることが絶対に避けられないものなどではない可能性を指摘しているのですから。 ■ ケース1 ちょっとしたことを数分間覚えておくのに必要なワーキングメモリー(作業記憶)と呼ばれる記憶の形態があるのですが、このワーキングメモリーも齢をとるにつれて衰えることが知られています。ついさっき置いたカギの場所を忘れるとか、トランプの神経衰弱が苦手になったりと
印刷 関連トピックス東芝国産初の攪拌式電気洗濯機(川崎市幸区・東芝科学館)=国立科学博物館提供日本初のポケットベル(東京都千代田区・逓信総合博物館)=国立科学博物館提供 日本初の電気洗濯機やポケットベル、国産初の白熱電球など20件について、国立科学博物館は、科学技術の発達の歴史上重要な成果を示すとして、重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録し、27日に東京・上野の同博物館で企業などの所有者に登録証を授与する。 国民の暮らしや経済、文化に大きな影響を与えた物が、技術分野ごとに系統化され、未来技術遺産として登録される。2008年に始まり、登録された遺産は今回で計92件となった。 「国産一号攪拌(かくはん)式電気洗濯機」は1930年に芝浦製作所(現・東芝)が製作した。1台の値段は当時の銀行員の初任給約5カ月分と、一般の家庭には高価だったが「女性を家事の重労働から解放する」製品の第1号とし
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 I. 芸術、社会、美学 1. 芸術の自明性の喪失 今日、芸術に関して自明であることはもはや何ひとつないということが自明になった。芸術の内部や芸術の社会全体との関係においてだけでなく、その生存権すら自明ではないのである。反省や問題意識なしに行われ得るものの喪失は、反省の対象となるべき生成され得るもの(möglich Gewordene)の開かれた無限性によって、補償されるわけではない。拡大は多くの分野において収縮として現れる。1910年頃に革命的な芸術運動が予感さえ及ばない海へと漕ぎ出して行ったが、その海も約束されていたような冒険的な幸運を与えることはなかった。そのかわり当時解き放たれた過程は、その名のもとで始められた諸範疇を侵食していった。新しくタブー化されたものの渦へと引きずり
「芸術」って、そんなにいいもの? リチャード・シュスターマン『ポピュラー芸術の美学 ―プラグマティズムの立場から』(秋庭史典訳、剄草書房、1999年、3400円+税) 増田聡 一読して感じるのだ。「真面目な学生の卒業論文のようだ」。ああ、なんと愚直なまでの善意と理想に燃えた、生真面目な人なのだろうか、この人は。 本書はRichard Shusterman 'Pragmatist Aesthetics: Living Beauty, Rethinking Art',(Blackwell, 1992) 全9章のうち、著者自身の編集によるドイツ語版にならって5章分を訳出したものである。ポピュラー芸術(と彼が呼ぶもの)を「生と美的経験の有機的結合」という倫理的理想の為に、綿密な議論をもって擁護しようとするシュスターマンの善意は確かに認めるべきものであるし、ポップ・ミュージック
In his film "Strike", Eisenstein abruptly cuts from a shot of the slaughter of workers to one of the slaughter of a steer. Such a cutting is understood as a typical example of film metaphor, while it has been not incontrovertible among theorists whether it is a real metaphor. Do film metaphors or, more generally, visual metaphors exist in the world? We could enumerate three types of traditional th
ハムさん @hillhamlet @zmzizm 昨日の「自称缶切りも缶切りでは」問題に対するロウの反論は以下です。「缶切り」の定義は、「缶を切るように意図されたもの(自称缶切り)」ではあり得ない。理由は以下。「缶切り」は作ろうと意図することのできるものである。 2011-04-27 14:15:23 ハムさん @hillhamlet @zmzizm 「私は缶切りを作ろうと意図する」という文は妥当なので、もし缶切りの定義がそれなら「私は缶を切るように意図されたものを作ろうと意図する」も妥当な文になるはずである。しかし、その文の内容は理解不能である。よって「缶を切るように意図されたもの」は缶切りの定義ではない。 2011-04-27 14:16:09
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