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映画と批評に関するgauquiのブックマーク (101)

  • http://www.seiryupub.co.jp/cinema/2012/10/post-55.html

  • 映画・言説・フォーマリズム・イデオロギー

    土屋誠一 @seiichitsuchiya ちょっとまとめて映画を観ようと思い、ノーラン作品全然見てないので、まずは「ダークナイトライジング」を観たいのだが、その予習のために「ダークナイト」をひとまず購入したものの、「バットマンビギンズ」がその前作であるということを今更知るという罠。「ライジング」までたどり着けない……。 2012-08-28 12:24:56 土屋誠一 @seiichitsuchiya ノーラン作品を観ようと思ったきっかけは、明らかに先月の『ユリイカ』特集に触発されてなのだが、まずは全作品を見てから各論考を読もうと画策しているものの、こんなことでは特集号にたどり着けるのはいつになることやら……。 2012-08-28 12:33:53

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  • ジャック・ランシエールのフリッツ・ラング論 - alacantonade

    *Jacques Rancière : D'une chasse à l'homme à une autre : Fritz Lang entre deux âges, in La Fable cinématographique (Seuil, 2001) フリッツ・ラングがハリウッドで撮った『ルージュ殺人事件』(1956)は、ドイツ時代の『M』(1931)のある種のリメイクと見なすことのできる作品だ。 いずれも孤独なサイコパスによる連続殺人事件を扱っている。 いずれにおいてもラング一流のラディカルな相対主義が善悪の基準に激しく揺さぶりをかけ、痛烈きわまりないアイロニーをかもしだしている。 『M』の犯人は悪漢たちの自警団に裁きを受ける。『ルージュ殺人事件』では、ジャーナリストたちが殺人犯以上の悪人として描かれる(物語の中心は犯人探しではなく、新聞社内の権力闘争である)。 ジャック・ランシエ

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    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

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  • 講演「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」

    講演「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」 2005年1月22日 蓮實重彦(映画評論家) (次の作品における「投げるシーン」の抜粋を連続上映:『リバティ・バランスを射った男』『三人の名付親』『幌馬車』『静かなる男』『月の出の脱走』『荒鷲の翼』『リバティ・バランスを射った男』『長い灰色の線』『鍬と星』『荒鷲の翼』『新人王』『静かなる男』) 今日は「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」としてお話しをさせていただくつもりだったのですが、昨夜遅くまで準備したのにもかかわらず完結いたしませんでした。今、ご覧いただいた抜粋を30セットぐらい作らないと完結しないのですが、とてもそこまではできませんでしたので、とりあえず「非完結編」としてお聞きいただきたいと思います。 21世紀に入り、映画歴史が110年ほど過ぎたところで、何が明らかになってきたかと言うと、人類は「運動」が好きではないというこ

    講演「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」
    gauqui
    gauqui 2011/12/02
    蓮實重彦
  • 偽日記アーカイブ(2003/10)

    03/10/31(金) (10/22、10/27からの続き、阿部和重『シンセミア』について、ネタバレ。) ●『シンセミア』の第六部「The Everlasting Now」。そうくるのか、という最終章。意図的に、ある種の「典型」に落とし込んでゆくのが阿部氏の趣味なのだろうし、そこには確かに阿部和重的な「痛快さ」があるのだろうし、それがいわゆる「文学的な風土」においては挑発的なものにみえるのかもしれないけど、この小説の第一部から第五部までの展開をずっと追ってきた者にとって、このような「きれいな」終わり方はあまり納得の出来るものではない。あっけらかんと典型に落とし込んでゆくずうずうしさのもたらす痛快さよりも、むしろ、あらゆる伏線をきっちりと回収し、それなりに決着をつけ、説明しなければ気が済まないという「律儀さ」の方が目についてしまうし、この律儀さと典型が結びつくと、いかにも「終わり」に向けて無

  • 映画ノート 7 - IMAGON 3

    ■ アニエス・ヴァルダ 『カンフー・マスター!』 その2 恋愛はどこにでもある。それらはいくらかありふれている。しかし、死に至る恋愛の狂気、それは恋愛そもののからはもはや逸脱した過酷な形態であり、差し当たってありふれてはいない、と言える。ところで狂気としての恋愛、それを映像化するにあたり、プロダクションは、作家はいかなる方法を取るのか。ある種の映画史は教えるだろう。恋愛を過度に演出すると「キッチュ化(紛い物化)する」ということを。キッチュの吸引材、それは視覚中心主義的スペクタルがもっとも観客の内奥部での視覚的インパクトを必要する局面である。枚挙にいとまがない。例えば、男への愛憎から、結果、自身がたったいま使っていたフォークで目をえぐり取るベアトリス・ダル(『ベティ・ブルー』1986)。例えば、暗闇に全盲の男と一緒に暮らし、女も半盲から全盲へ至るという時に、視覚性の愛の剥奪から、それを埋め合

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  • 『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観て - ohnosakiko’s blog

    覆面のストリートアーティスト、バンクシー*1の初監督作品。 ”アート業界への痛烈な皮肉”だけには留まらない深さをもった傑作ドキュメンタリー。*2 やっと先日観てきた。 まずざっと内容紹介を(ネタばれあり)。 主人公は、ロスの古着ショップがそこそこ成功しているフランス系アメリカ人のティエリー・グエッタ。何でもかんでもヴィデオ撮影するのが趣味のティエリーは、たまたまいとこがストリートアーティストだったことから、警察の目をかいくぐって行われる彼らの活動に興味をもち、どこへでも付いて行って撮影しているうち、ある日ひょんなことから世界的なストリートアーティスト、バンクシーと知り合う。すっかりストリートアートに魅せられていたティエリーは大興奮。 最初は警戒していたバンクシーも、ティエリーの人の良さと忠義ぶりにほだされ、次第に信頼関係を築いていく。「ストリートアートを撮ったのを、一の作品にまとめないの

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  • ゴダール『愛の世紀 Eloge de l'amour』-United Statesに抗して/王寺賢太

  • 性別役割分業の最南端ファンタジー「コクリコ坂から」を見る【ネタバレ】 - 腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-

    日記 性別役割分業で育った団塊ジュニアたち 「父が稼ぎ、母が専業主婦なんて家庭で育ったのって団塊の世代を親にもった団塊ジュニアだけだよ。 ちょうど、今の30代〜40代。一番、性別役割分業を叩き込まれてるのかもね」 友人は電話口で淡々といった。 「コクリコ坂から」はコクリコ壮という下宿を高校生で切り盛りする海と「カルチェラタン」という高校の部室をあつめた魔窟のような建物の取り壊しに反対する風間との恋物語を横浜を舞台に描いたアニメ映画である。原作は1980年から「なかよし」で連載されていた同名マンガだ。 物語は朝ごはんをつくる海の様子を丁寧に描くことから始まる。そのとき流れている朝ごはんの歌の歌詞はこうだ。 みんなで朝ごはん わたしが作ったゆっくり べてねでも遅刻しないでね みんなで朝ごはん わたしが作ったいそいで いそいで でも味わってべてね 「朝ごはんの歌」作詞:谷山浩子/宮崎吾朗 そ

  • 九州帝國ブログ板:映画『ムカデ人間』の愚劣さ

    2011年07月12日 映画『ムカデ人間』の愚劣さ (注意:この記事には映画『ムカデ人間』に関する、いわゆる「ネタバレ」が含まれます。) 私たちは氾濫する無数の言葉に取り囲まれている。その言葉は、現実の似姿としての「情報」というかたちで流通しており、私たちは「情報」を与えられれば与えられるほど、出来事を見る力や聴く力、それを名づける力を奪われている。ネット上で更新された情報を配信する仕組みのことを「フィード」というが、「フィード」というのは動物に餌をやることだ。私たちは大量で色とりどりの糞のような餌ばかり与えられているあいだに、自分で獲物を狩ってう力を奪われている。 そんな問題を考えるために「3・11」などという符牒を持ち出さなくてもよいのかもしれないが、電力会社の虚偽情報に翻弄され、マスコミにリークされた情報に浮き足だち、自分たちが何ら関与できない回路のなかで政治家の下した決定が、また

  • 連載:魔法少女のいるところ/第1回「秘やかで孤独な祭典のために」

    第1回「秘やかで孤独な祭典のために」 大久保 清朗 (C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS少女が曠野を歩いていく。最後になるかもしれない死闘のために、風に抗い、たったひとりで。 目前に魔物が立ちはだかる。白い屍衣を待った巨大な死神たちだ。それでも少女は立ち止まることはない。彼女の背中に黒き怨念の影が広がる。翼のようにも見えるが、この世界のすべてが彼女の小さな双肩にのしかかっているようにも見える。そのとき、暁美ほむらの耳許で囁きが聞える。まぎれもない。それは親友鹿目まどかの声だ。ほむらは、かすかな微笑みとともに飛び立つ。文字どおり黒い火焔となって。 『魔法少女まどか☆マギカ』は――冒頭が映写機の輪転音とともに始まったように――カタカタと音をたてていた輪転が途絶えて終わる。かつて『仮面/ペルソナ』で、イングマール・ベルイマンもこの古風な機械音

    gauqui
    gauqui 2011/06/04
    面白そうな魔法少女論の連載始まった
  • flowerwild.net - 無限に拡散する自己「像」を肯定できるのか? <br>——D・アロノフスキー『ブラック・スワン』

    『ブラック・スワン』は、ナタリー・ポートマン演じるニナが、プリマドンナに選ばれ、不安と苦悩を乗り越え、大成功する話である。 ……と要約しても間違いではないといえば間違いがないのだが、それは所謂一般向けの惹句に過ぎない。確かにストーリーラインだけを見ればその通りであるが、それを期待して観に行くと大いに裏切られる。 ニナの母親は元ダンサーで、夢を娘に託している。ニナは人生のほとんどをバレエに捧げている。ニナ自身は不安の強い神経症的な性格であり、ふたりの関係は典型的な「過剰に密着した母娘関係」である。ニナはほとんど潔癖症か強迫神経症ではないかと思われるほどであり、快楽や娯楽をほとんど忌避し、禁欲によって目標へ接近しなければいけないという精神状態になっている(これはマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』で論じた、資主義を駆動させる心的態度のようである)。 とはいえ、

    gauqui
    gauqui 2011/05/20
    藤田直哉さんの
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    gauqui
    gauqui 2011/03/27
    これはいい書評 「ゴダール的方法」早く読まなきゃ
  • ゴダール・ソシアリスム(ジャン=リュック・ゴダール) - KAZUO NAKAJIMA 間奏

    すでに昨年末に東京で見ていたのだが、今ひとつ何かを語る気が起こらなかった。やれ「音と映像がすごい」とか、「女性が美しい」とか、言わずもがなの当たり障りのないレビューやコメントや、作品を切り刻むかのごとく必要以上に精緻なそれがあふれ、あいかわずのゴダール業者たちによるゴダール囲い込みが盛んである。 それは、昔さんざん見た光景――ゴダールは毛沢東主義だからダメだとか、逆にゴダールを毛沢東主義者とだけは言わせないとか――の弱い反復でしかない。 言うまでもなく、ゴダールは毛沢東主義にイカれた「から」面白いのである。にもかかわらず、どうやら、あいかわらずゴダール業者たちは、この新作を、何とか「社会主義」とだけは遠ざけておきたいようなのだ。 それに対して新作のゴダールは、こう言っているように思える。「何をごちゃごちゃ言っているんだ。画とか音とか言うまえに、まずタイトルを見てくれよ」。 これほどまでにス

    ゴダール・ソシアリスム(ジャン=リュック・ゴダール) - KAZUO NAKAJIMA 間奏
    gauqui
    gauqui 2011/03/01
    直球
  • [CINEMA]『アンチクライスト』クロスレビュー「自身に内在する形の無い恐怖が統制能力を超えてしまう事をホラーというのなら、この世界はホラーに満ちあふれている」

    今作の公開にあたり、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『奇跡の海』といった作品で贖罪をテーマにしてきたラース・フォン・トリアー監督は、うつ病のリハビリテーションとしてこの作品の台を執筆したこと、そしてその行為が彼にとってセラピーであることを告白している。ウィリアム・デフォーとシャルロット・ゲンズブール演じる夫婦が、愛し合っている最中に息子を転落死させてしまったことのトラウマを克服しようとする。彼女が深層心理で恐怖の対象とする森の中の山小屋にその原因があると、ふたりはその山小屋で治癒を試みる。この物語を作って行く行為そのものが、監督にとってこころを解放する作業だったということは、セックスとセックスに対する無意識の嫌悪感が引き金となるストーリーに色濃く反映されている。 ラース・フォン・トリアー監督は、不意に訪れる怒りと暴力や、ホラーさながらの凄惨な描写、超自然的なビジョン、そして屋根裏部屋の秘密

    [CINEMA]『アンチクライスト』クロスレビュー「自身に内在する形の無い恐怖が統制能力を超えてしまう事をホラーというのなら、この世界はホラーに満ちあふれている」