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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (77)

  • 好きなアーティスト、嫌いなアーティスト - ohnosakiko’s blog

    前の記事のUst発言起こしの部分で持ち出されている「美大生の好きなアーティスト、嫌いなアーティスト」というのを、自分の講義(名古屋芸術大学での「ジェンダー入門」)を受けている学生対象でやってみた。 講義題に入る前に、出席票の裏に書いてもらう。1. 書くのは強制ではない、2. 美術周辺のアーティスト限定、3. 集計してブログで紹介するかもしれない、ということを伝えてある。 133人のうち7割方がデザイン科の学生で、また1年生が7割くらいを占める。*1回答したのは70人。 集計したが「得票数1票」が非常に多いので、見た目にわかりやすくするため、日人(戦後生まれのアーティスト(画家、美術家として紹介されている人)/戦前生まれのアーティスト/イラストレーター/マンガ家、アニメ作家/デザイナー)、外国人(同じ)の順に並べた。※はそれらに分類できない人。 なかなかカオスです。 ●好きなアーティスト

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    gauqui 2013/10/13
  • 奈良美智とラッセンについてのUstream発言起こし - ohnosakiko’s blog

    有名なアーティストが反応したことでまた「ラッセン」が賑わって‥‥と思ったらニュースになっていた。 「ラッセンとファンが同じ」 奈良美智が関係者発言に怒りまくる:j-CASTニュース 「ラッセン」で検索して上位に出てきた記事を適当に繋ぎ合わせたような内容。*1 これがTwitterでやたら広まっていたが、今度はその記事についての「考察」記事が出た。 奈良美智氏「ラッセン大嫌い」事件を考察してみる(ふじい りょう) - 個人 - Yahoo!ニュース 内容は既にTwitterで多くの人が書いているようなことで新味はなく、この件についての何が「考察」されているのかわからなかった。おそらくこのライターの人は、ラッセンはもちろん元のUstreamも聞いていないのではないかという気がした。聞いていたら「ここで奈良氏の名前が出てくるのはあまりに唐突で、「??」となるのが正直な感想になる」とは書かないと

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    gauqui 2013/10/10
  • 「でも」を重ねる女・・・『女の園』を観て - ohnosakiko’s blog

    木下惠介生誕100年 「女の園」 [DVD] 出版社/メーカー: 松竹発売日: 2012/08/29メディア: DVDこの商品を含むブログ (9件) を見る木下惠介監督作品『女の園』(1954) をDVDで。戦前のような良賢母教育を貫く全寮制の京都の名門女子大を舞台に、旧態依然とした規則で縛る教師と反抗する女子学生たちの軋轢をドラマチックに描いた群像劇(原作は阿部知二『空中庭園』)。 旧世代の女vs若い女という構図は明確で、高峰三枝子演じる厳格な寮母を中心に、学校側の封建性は圧倒的な権力として描き出される。かといって、学園民主化を求める女子学生の側を、ただ賛辞するような雰囲気にもしていないところが面白い。50年代のいわゆる「逆コース」を時代背景とした左翼知識人たちの構図を反映させている部分もありそうだが、後のフェミニズムの中の女性たちのさまざまな相としても見られるところが、個人的にはポイ

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    gauqui 2013/09/30
  • ラッセンは「宗教画家」であり「インサイダーアーティスト」 - ohnosakiko’s blog

    またラッセンかと言われそうだが、一つ前の記事「美術史は歴史修正主義のカタマリ」に、ブックマークコメントでツボにはまる補足説明が入ったので書いておきたい。 Midas ↓美術史家としての立場から補っくと「ラッセンが正統文脈の美術史見直しに入らなかった」のはその『ニューエイジ』が示すように宗教画(イコン)家だから(美術史の系統樹を考えた場合枝分かれしてる点が昔すぎるから) 2013/09/03 http://b.hatena.ne.jp/Midas/20130903#bookmark-160037550 Midas 「ラッセンはインサイダーアート。社会主義リアリズムの亜種」と書いた通り。宗教画は近代に『プロパガンダ』『アウトサイダーアート』へ分裂する。後者が稀に正統史に含まれるのは我々が人格を有すると信じてるから 2013/09/03 http://b.hatena.ne.jp/Midas/2

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    gauqui 2013/09/05
  • 美術史は歴史修正主義のカタマリ - ohnosakiko’s blog

    ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) だんだん記憶が蘇ってきたので、トークイベント実況Togetterに拾われてない自分発言を、若干言葉を補いながらメモしておきます。 「歴史修正主義*1と言うと政治の論争になるのだけど、アートはむしろ歴史修正主義のカタマリ。というか、それまでの歴史を誰がどう書き換えそれを「正史」とするかの、闘争の歴史だった。たとえば椹木野衣企画の『日ゼロ年』展(1999〜2000、水戸芸術館)は「リセット」を謳って、現代アートの村上隆、会田誠など(奈良美智の名を出したけど入ってなかったですね、すみません)から岡太郎や横尾忠則、そして成田亨でしたっけ‥‥(すかさず速水・斎藤両氏から「特撮の怪獣の‥‥」とフォローあり)まで入れていた。アートからサブカルまで横断的に。でもラッセンはそこから漏れていた」*2 ここから補足。 『日ゼロ年』展にラッセン(やヒロ・

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    gauqui 2013/09/03
  • ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) - ohnosakiko’s blog

    8/29下北沢B&Bでのトークイベントにお越し下さった皆様、どうもありがとうございました。 満員のお客さん&著名な論者とのトークという緊張で、自分の喋りが時間に追われた時の講義のように早口(そしてところどころ日語崩壊?)になっていた点を含め個人的にはいろいろ反省点もありますが、概ね楽しんで頂けたようで良かったです。 Togetterに実況が上がっています。発言の骨格はだいたい拾って下さっている印象。多謝>misonikomiodenさん 『ラッセンとは何だったのか?』  出版記念  いま、ここからのラッセン 実況ツイート もちろんこれだけだとわかりにくいところもありますので、主にラッセンとヤンキー問題について、解説と個人的な感想がてら書いておきたいと思います。長いです。 ラッセン・ヤンキー論 話は5年前に遡る。2008年のブログ記事『ラッセンとは何の恥部だったのか』は、『アーティスト症候

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  • 「現代アート」をめぐる溝(ブコメを眺めて思ったことなど) - ohnosakiko’s blog

    先日書いた「うちらの世界」と文化の溝という記事のエントリーページを見たら、現代アートの世界なんて「うちらの世界」とどっこいどっこいかそれ以下ですよね、現代アートってあんなバカやこんな愚行が通る世界ですよね!的なコメントがいくつかあってスターが集まっていた。 はて。わざわざそう指摘されるような変なこと‥‥現代アートは「うちらの世界」と無縁とか、バカも愚行もない世界だとか‥‥言ったっけ。 その記事にアート絡みで書いたことは、 ・『三四郎』には、美術についての教養文化的ステイタスを表すものとして出てくる。 ・それと同じように、当時19歳の地方出身者の自分にとって東京の先端アートの世界は敷居が高く、ついていくのに必死になった。 ・私から見てアートを含む文化系インテリの人々は、自分たちが語る世界こそ他のローカルな世界を含んだ「世界」だと思っているようだった。 ・昭和初期、芸術の世界と大衆との乖離が

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    gauqui 2013/08/15
  • 菜穂子の油絵と1920〜30年代の美術 - ジブリ『風立ちぬ』より - ohnosakiko’s blog

    前記事のコメント欄のやりとりから。 >私は美術大学なので、友人もみな菜穂子の絵にばっちり注目して「めっちゃフォービズムだった」などと話しているものですから 私も、ちょっとだけ映った菜穂子の絵、かなりアヴァンギャルドで気になりました。ブラマンクみたいな荒々しい筆遣いでしたね。もう一回観て確認したいです。 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130730/p1#c1375373636 確認を兼ねて二度目の鑑賞をしてきた。菜穂子の油絵が登場する箇所は、全部で3回あった。 1. 1933(昭和8)年、軽井沢に赴いた堀越二郎が、成長した菜穂子と再会する時。 菜穂子は戸外にイーゼルを立てて油絵を描いている。ちなみにこの場面を切り取った映画ポスターについて、モネが自分のを描いた『日傘をさす女』を下敷きにしているのではないかということは、既にあちこちで指摘されている。

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    gauqui 2013/08/05
  • 「『風立ちぬ』戦争と日本人 - 宮崎駿 × 半藤一利」雑感 - ohnosakiko’s blog

    菜穂子がキャンバスの上に喀血した時の妙に粘性の高い血液と、二郎が設計した飛行機に乗って浴びる逆噴射した黒いオイルは、同じものだ。いくら洗っても取れないよ‥‥。 4日前に観た『風立ちぬ』にいまだにモヤモヤして*1、仕事のレポート採点やるのがしんどい大野です、お暑うございますね。 感想を書いた記事のコメント欄でnesskoさんに教えて頂いた、宮崎駿と半藤一利の対談(文藝春秋8月号掲載)を読んだ。御年83歳の半藤一利は歩く昭和史みたいな人なので、堀越二郎の親友として登場する庄季郎に会ったことがあるとか、堀辰雄のお葬式で司会をやったとか、この対談には打ってつけのエピソードがいろいろ。漱石の話も(氏は漱石の遠縁)。 作品について宮崎駿の語っていることはネットに出ているインタビュー内容とだいたい同じで、半藤氏が述べる「その堀越は、宮崎さん人ではありませんか?周りの欲求がどうあろうと、俺は俺の好きな

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    gauqui 2013/07/31
  • 「男の子」は高いところばかり見ている(あるいは昔、飛行機乗りだった父へ)‥‥『風立ちぬ』感想 - ohnosakiko’s blog

    ”ほっこり感動系の泣けるイイ映画”ではない。もうやりたい放題。すさまじいエゴの嵐。それを「だって仕方ないでしょ、美しいものが好きなんだもん」でぐいぐい押していく。ワクワクするようなドラマの面白さもない。観ている間中、不快だった(いい意味で)。 飛行機のプロペラ音や地鳴りの音などに充てられた異様な「人の声」に、「ほれ、ぜんぶ人力だぞ。ぜんぶ人が作ってるんだぞ」という監督のドヤ顔が目に浮かぶ。そしてメカのディティールの舐めるようなフェチな描写の官能性。ヘアスタイルといい深窓の令嬢という設定といいクラリスを思わせつつ、積極的で健気でエロいヒロイン*1 。まるで鳥のようになまなましく羽ばたく(紙)飛行機。 作り手の抜き難い”業”、というか監督の”体臭”が凝縮されて隅々にまで濃厚に立ち籠り、窒息寸前。 今さら私などが言うまでもなくこれは「宮崎駿」による「宮崎駿」のための「宮崎駿」自身の映画だ。つまり

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    gauqui 2013/07/29
  • 子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    くらしナビ・学ぶ:美術離れ、い止めたい 武蔵野美大、公立小中の出張授業 - 毎日jp(毎日新聞)より 子供の「美術離れ」が懸念(けねん)されている。学力低下が指摘される中、昨年度から完全実施された中学の学習指導要領で、美術や音楽の選択教科が廃止され授業時数が減ったためだ。とはいえ、保護者も芸術よりも学習を重視する傾向にある。国内有数の美術大「武蔵野美術大」(武蔵美、東京都小平市)は「美術だからこそできる教育がある」と、学生や卒業生の出張授業に力を入れている。 多摩美もだいぶ前から、こういう出張授業の取り組みをしていたと思う。学校側も、「外注」した方が子どもを刺激できると考えているのかもしれない。 しかし少なくとも中学校においては、受験科目にない美術・音楽にいずれしわ寄せが来ることは、「ゆとり教育」が終わった時目に見えていたのではないかと思う。生徒にとって美術はほとんど息抜き、”癒しの時間

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    gauqui 2013/07/18
  • 「ラッセン本」に寄稿しました - ohnosakiko’s blog

    昨年夏に、東京の現代アートギャラリーCASHIで開催されて話題を呼んだ「ラッセン展」の関連『ラッセンとは何だったのか? - 消費とアートを越えた「先」』(フィルムアート社)が、6月26日に刊行されます。 ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」 作者: 原田裕規,斎藤環,千葉雅也,大山エンリコイサム,上田和彦,星野太,中ザワヒデキ,北澤憲昭,暮沢剛巳,土屋誠一,河原啓子,加島卓,櫻井拓,石岡良治,大野左紀子出版社/メーカー: フィルムアート社発売日: 2013/06/26メディア: 単行この商品を含むブログ (21件) を見る 編著者は「ラッセン展」を企画した原田裕規さん。私も論考と鼎談で参加させて頂きました。 大衆的な人気を誇りながら、いまだかつてまともに論じられていないラッセンについての論考集、非常に中身、濃そうです。 フィルムアート社の情報サイトより目次紹介。 は

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    gauqui 2013/06/20
  • 千歳樓の思い出 - ohnosakiko’s blog

    少し前にブックマークした、中央線定光寺駅付近の写真。廃墟のたたずまいと周囲の自然の対比に目を引かれる。 【フォト】定光寺駅(駅☓断崖絶壁☓廃墟)-Sakak's Gadget Blog 廃墟は、元は「千歳樓」(「千歳楼」の表記もあり)という昭和3年創業の有名な老舗旅館である。このあたりは瀬戸もので有名な瀬戸の奥座敷に当たり、昔は接待などにも盛んに使われていた。名古屋の青果市場で働いている知人曰く、「千歳樓って言えば、ちょっとしたもんだったもんね。毎日すごく大きな保冷車で仕入れに来てたし」。ピークは90年代中頃で、年商10億近かったという。 2003年に6億の負債を抱えて倒産したが、その数年前にもう営業は停止していたようだ。庄内川に面した建物はそのまま廃墟となり、2011〜12年頃には、白骨死体のある心霊スポットとして話題になっている。 廃墟を見に行ったことはないのだが、昔の千歳樓に夫と一泊

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    gauqui 2013/06/07
  • 『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』を読んで - ohnosakiko’s blog

    話題の新書。amazonでの評価は分かれている。「評価が高い有用性のあるレビュー」(星4つ)が内容を手際良くまとめてあるので、どんなことが書いてあるか知りたい人にはおすすめ。 日の男を喰い尽くすタガメ女の正体 (講談社+α新書) 作者: 深尾葉子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/04/23メディア: 新書 クリック: 1回この商品を含むブログ (14件) を見る 筆者の主張を簡単に言えば、「高度経済成長期以降に増えてきた男性の自殺、離婚、DV、ネグレクト、晩婚化・非婚化の要因は、結婚が専業主婦やそれを志向する女性にとって、生存競争を生き抜くために「幸福の擬装工作」までして男性を”搾取”するシステムとなってしまっているからだ。物質的・経済的な条件に左右される「幸福の指標」は『箍』となって、男性だけでなく女性自身をも呪縛し、今日の日社会の閉塞状況を引き起こしている。これは、戦後

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  • 八代亜紀の絵を描いたのは「誰」か? - ohnosakiko’s blog

    一昨日発売の『週刊文春』5月23日号に、”「『八代亜紀作』の絵は私が描きました」 大物演歌歌手の盗作疑惑を告発”という記事が3ページに渡って掲載されている。 ●リード 演歌の大御所・八代亜紀は「画家」としての顔も持つ。箱根には広大なアトリエがあり、フランスの権威ある展覧会に入選したほどの腕前という。だが、「八代亜紀作」の絵画は当に自分自身で描いたものなのか? 偶然の一致とは考えにくい重大な疑惑が浮上した。 記事のあらましは以下。 証言者の一人目は美大生のAさんで、予備校時代、別の部屋に10人くらいが集められ、アクリル絵の具でや麦わら帽子などの絵を描かされたことが何度かあった。携帯やカメラの持ち込みは禁止。八代亜紀の名前は出されず、絵はすべて回収された。後にバラエティ番組で自分たちの描いたのと同じモチーフ、同じ構図、同じパースの絵が、八代亜紀作の絵と紹介されていて驚いた。 もう一人の現在

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    gauqui 2013/05/19
  • 「ブログを書くのにこんな不利がある」について書く - ohnosakiko’s blog

    ブログを書くことってそんなに素晴らしいか? - 基ライトノベル 「いやブログってのはさ‥‥」と一言言いたい人を集めるような記事です。「不利」って言葉がいまいちすんなりこないけど、自分にとってマイナス面があるということでいいのかな。私もブクマで釣られてみました。 最後の方に「ブログを書くのが素晴らしいと書く人は、あまりその負の側面について書く人がいないので。ブログを書くのにこんな不利がある、と書くブログがそもそも存在しないし。」とあった(最初の「書く人は」の後には「いても」を補えばいいでしょうか)。 普通、そう思った人は黙ってブログを閉じて(あるいは更新しなくなって)去っていくのであって、わざわざブログで「ブログを書くのにこんな不利がある」なんて記事を書かないのではないか。その人にとって「負の側面」より「正の側面」の方が大きいからブログを書いている、つまり「不利」ではないということ。 ただ

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    gauqui 2013/05/10
  • 「真意」と「誤解」 - 猪瀬直樹の発言をめぐって - ohnosakiko’s blog

    朝日新聞デジタル:猪瀬知事「不適切な表現、おわび」 五輪招致巡る発言 - 社会から 2020年五輪招致をめぐり、東京都の猪瀬直樹知事がインタビューで他の立候補都市を批判する趣旨の発言をしたと米ニューヨーク・タイムズ紙が報じたことについて、猪瀬知事は30日、「誤解を招く不適切な表現で、おわびしたい。認識が甘かった。発言は撤回したい」と話した。 この記事のエントリーページで支持を得ていた以下のブックマークコメント pollyanna 「誤解を招いた」という謝り方で相手が慰撫されるケースはほとんどないと思うのだけど(「自分の意図は別のところにあったのに、お前が誤解したんだろう」という主張だから)、なんでこんなに多用されるんだろうね。 yu-kubo news 「誤解を招く不適切な表現」ってのは読者の側に(誤解した)責任を押し付けられて便利な表現だねぇ。 に、少し違和感を覚えてブコメを書いた。 o

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    gauqui 2013/05/04
  • 名前の煩悩とナルシシズム - ohnosakiko’s blog

    大正時代から現在に至る女性の名前の変遷を辿る記事が、ブックマークを集めていた。 女性名から「子」が消えたワケ? 明美が分岐点:日経済新聞 *1 自分のブコメ ohnosakiko [女][資料]戦前生まれの母も義母も「和子」。戦後の「恵子」は女優の淡路恵子や岸恵子人気もあるかも。最近はアニメの影響が強いのかな、こうして並んでいるとちょっと源氏名っぽい(源氏名と言えば遠い親戚に揚羽ちゃんがいる 和子は記事によれば、元号から一文字取った名付け方ということだが、昭和12年生まれの母に以前、なぜ和子という名前をつけられたのか聞くと、「世の中が平和になりますようにっていう願いを込めたって、おばあちゃんが言ってたわ」。日中戦争が始まった年だからむしろ「行け行けドンドン」的な風潮だったのではと思うが、平和祈願も中にはあったのかもしれない。 3ページ目の表2、この101年間の人気の名前ランキングを眺めて

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    gauqui 2013/05/04
  • なぜ誰も「かわいい女の子」ではなく「かわいい子猫」になりたいと言わないのか - ohnosakiko’s blog

    「かわいい女の子になりたいオタク」話が少し前に盛り上がっていた。その話の肝は(こちらのブコメにも書いたが)おそらく「女の子になりたい」ではなく、「かわいい(者)になりたい」。 「かわいい女の子になりたい」が時々「女の子になりたい」という言い方に短縮されているのを見かけるのは、「性別を超越」云々ではなく、そこで”「女の子」=「かわいい」の最たるもの”という図式が前提とされているからに過ぎない。 かわいい男の子をよく「女の子みたいにかわいい」と言ったりする(逆はない)ことからも、「かわいい」を一番効果的に体現している/させられているのは「女の子」である。 だから、「女の子になりたいオタク」の人のほとんどは、「かわいくなくてもいいから女の子になりたい」とは思っていないと思う。「かわいくない女の子」のリアルでの冷遇され具合は、彼女たちを冷遇しがちな立場の者が一番よく知っている(そこでは「かわいくな

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    gauqui 2013/03/11
  • 藤田直哉さんへのお答え - ohnosakiko’s blog

    (※ 長い追記あります。3/5、三つ目の追記加えました) 藤田直哉さんがtwitterで、先日の記事「自意識のセーフティネットを破って」について、疑問を呈しておられました。 大野左紀子さんの「自意識のセーフティネットを破って」、概ね頷くんだけど、やっぱり疑問が三点ほどある。『アート・ヒステリー』文を読んでいないで、この文だけなので、文に答があったら、失礼。d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/201…— 藤田直哉さん (@naoya_fujita) 2013年3月2日 賛同すると同時に疑問なのはここ。「自己の全存在を賭けた描くことの快楽と苦痛の前には、絵が下手とか売れないなんてことは瑣末なことです。「難問」が他ならぬ自分自身であり、何をどう描いても自分の外に出られないとすれば、自分自身の足下をひたすら掘り起こしていくしかないのです。」— 藤田直哉さん (@naoya_fu

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    gauqui 2013/03/04