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ブックマーク / technique.hateblo.jp (112)

  • ジャパン・タイムズ「ひきこもり」記事の失態 - Freezing Point

    横浜でご一緒した日仏ひきこもり比較研究のチーム(参照)が、 『The Japan Times』にインタビューを受け、記事になっています*1。 http://www.japantimes.co.jp/text/fl20111120x3.html 【※以下、英語は原文のままですが、日語訳は当ブログ主がやっています。】 興味深い話がいくつも紹介されているのですが*2、そこに次のようなくだりが。 N.T.(Nicolas Tajan): Yesterday (at a meeting of a support group in Yokohama run by ex-hikikomori) we met a famous ex-hikikomori who has written about it. Most people there were in their 40s and 50s, and

    ジャパン・タイムズ「ひきこもり」記事の失態 - Freezing Point
  • 集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point

    以下のセミナーを聴講。 「断片的主観性:主観性の生産プロセスをめぐる冒険」(第23回ときめき☆セミナー) 講師: ステファン・ナドー(ヴィル・エヴラール病院)*1 日時: 2011年10月31日(月) 15:00〜18:00 場所: 大阪大学(吹田キャンパス) 生命科学図書館4階 AVホール いまの問題意識を、率直にメモしておきたい。 まずナドー氏は、基幹となる問いを 《誰が話すのか(Qui parle?)》 とし、 「ホメロスは当に実在したのか」をめぐる3つの立場を解説する。 (1) ホメロスという1人の詩人が、多くの詩人を止揚した。 プラトン-カント-ハイデガーと繋がる、超越論的哲学に代表される立場 (2) 砂の中から砂金を発見するように、不純物としての他の詩人を取り除き、ホメロスという1人の天才を発見すべき。 「1つの主体=1つの実体」という、アリストテレス的な立場 (3) 詩を書

    集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point
  • 臨床活動の条件としての病い? - Freezing Point

    http://d.hatena.ne.jp/impuissance/20110928 より(強調は引用者): アルトーにとって作品制作は非常に重要な仕事であった。アルトーは、社会の側から見れば精神病者であるが、アルトー自身から見れば社会のほうが狂っているので、自身は健康そのものであるという認識を持っている。アルトーの作品制作は自己治癒のためではなく、社会を回復する、あるいは狂気から救う目的で創られている。そもそも自身を健康だと自認しているのだから自己治癒もクソもない。しかし、社会の側から見ればアルトーは異様で理解困難な、つまり通常の認識を逸脱した作品を作り続けている病者として映る。病者だからこんな作品を作るんだと。アルトーの作品はこうして、アルトー自身から見れば社会の健康の回復のために、社会から見れば逸脱した狂気の表れとして理解されるという、回復と狂気の二面性で捉えられることになる。別の言

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    gauqui 2011/10/03
  • 解体=再編として生きられる、schizo-analyse - Freezing Point

    以下に引用するのは、 『現代思想』 1984年9月 臨時増刊(vol.12-11) 総特集: ドゥルーズ=ガタリ*1 に掲載されている、ガタリへのインタビュー「スキゾ分析の方へ」(聞き手・訳は宇野邦一氏)の末尾である。 今回あらためて読み返して、「1984年の時点でここまで言っている、それがちゃんと訳されていたのか!」という驚きがあった。 私が続けている議論にとって、どうしても参照したい部分について、引用してみる*2。 なお、太字や赤字等による強調、補注やリンクなどはすべて引用者によるものだが、「1984年に読めていた文献事情」を再現するため、訳文は宇野氏による原文のままであり、修正などは一切していない。カッコ内のフランス語も原文のままである*3。 pp.27-29、「スキゾ分析と現場」より 最後に精神病院での仕事と、きみ自身の思索の軌跡との関連について語ってほしい。ボルドのクリニック*4

    解体=再編として生きられる、schizo-analyse - Freezing Point
  • 社会性こそがルーチン化している - Freezing Point

    社会学を専門にされる関水徹平氏の論文を幾つか拝読*1。 なかでも論考 《「社会性」概念の再検討》*2 は、直接的に支援とかかわる。 「文化的判断力喪失者 cultural/judgemental dope」は、もとの文脈でもっていた意味に留まらず、臨床実務上の機能を持ちうる概念にみえる。以前に酒井泰斗氏とのやりとりでも取り上げた(参照)。 私は、議論であれ活動であれ、「その事業が何をしようとしているか」に注目する*3。 関水氏の論考は、事業趣旨を私と共有するわけではないかもしれないが、自分の趣旨を問い直す機会になった。何が耐えられなくて考えざるを得ないか。 「自分は何を引き受けてしまっているか」を忘れた事業は、《嗜癖=惑溺=dope》となっている*4。 「それを考えないでどうするんだ!」を忘れるところに荒廃がある。 関連メモ ガチガチに硬直した引きこもり状態では、《永遠の現在》しか生きられ

    社会性こそがルーチン化している - Freezing Point
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    gauqui 2011/09/29
  • 「倫理的実務としての臨床」と、合意形成 - Freezing Point

    酒井泰斗(id:contractio)氏*1へのお返事の続きです。 上山のレポート: (1/12)「『概念分析の社会学』 合評会」 酒井さんのコメント: 「『概念分析の社会学』合評会拾遺(その1)」 酒井さんのコメント: (1/17 早朝) 「『概念分析の社会学』合評会拾遺(その2)」 上山の応答1: (1/17)「《臨床》という言葉の周辺(メモ)」 酒井さんのコメント: (1/18) 「『概念分析の社会学』合評会拾遺(その3)」 上山の応答2: (1/19)「場所の方法論」 酒井さん【合評会拾遺(その1)】より: フィールドに出かけていって研究する人たちは、そこでしばしば軋轢やトラブルが生じることをしっていて しかも、中にたいへん たちのわるい(or 困った)研究者がいることをしっていて、 そのことを非常に気にかけており、明示的にも たとえば「調査倫理」といったタイトルでもって、そうした

    「倫理的実務としての臨床」と、合意形成 - Freezing Point
  • 作品活動はセラピーなのか - Freezing Point

    公開シンポジウム「美と病のトポロジー」を聴講した。 シンポジウムは、美と病の交錯を「トポロジー(つながり具合、位相を明らかにする学)」の観点から総合的に論じることにより、これまでの成果をさらに掘り下げようとするものです。精神医学・美術批評・文学研究等を専門とする研究者およびキュレーター、セラピストなどの実践家が、芸術療法の思想的な位置づけ、治癒における作品のクオリティーの問題、マーケットや障がい者アートの問題などをめぐって多角的な問題提起をおこないます。 以下は直接的な批判や報告ではなく、私の問題意識のメモ。 夏目漱石は統合失調症だったという説があるが*1、では彼の創作活動は、「アートセラピー」の枠に入れるべきだろうか。あるいは病気でなければ、「立派な芸術」になるのだろうか。 芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成、etc... の自殺は、セラピストとして振る舞うべき編集者の失態であり

    作品活動はセラピーなのか - Freezing Point
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    gauqui 2011/09/27
  • 言葉や事物の配置、オイコノミア - Freezing Point

    「組立、配置、エコノミー、arrangement」(togetter) 細かく読みこんだり周辺を調べたりしながら、静かに興奮していた。 これまで、思想や芸術がどうとか、精神医療がどうとか、 バラバラに読み散らしてきたことが、次のつぶやきで繋がった。 柳澤田実編『ディスポジション 配置としての世界』(現代企画室)立ち読みしたら、面白そうだった。このではフィーチャーされてないけど、dispositioというのは、oikonomiaのラテン語訳なわけで、エコノミー論とディスポジション論を接続したら、何か出てきそうだよね。 2011-08-25 15:09:43 via Twitter for iPhone 言葉や事物の配置を工夫することが、 「オイコノミア」 つまり 《家政=経済》 の工夫であり、 それには神学的な含意がある。 詳細は上のやり取りをぜひ読んで欲しいが、たとえば 《神は無意識的で

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    gauqui 2011/09/04
  • 「ふつうの精神病」の周辺 - Freezing Point

    ジャック=アラン・ミレール*1による、「ふつうの精神病(psychose ordinaire)」という議論をめぐって。*2 座談会 「来るべき精神分析のために」 十川幸司×原和之×立木康介 (『思想 2010年 06月号 [雑誌]』pp.8-59)*3 立木康介氏の発言(pp.9-11)より: ところが、1990年代後半になると状況が変わってきて、フランスの分析家たちも自分たちが臨床で相手にしている患者さんが今までと違ってきているのではないか、という感触を持ち始める。それがはっきりとした形で出てきたのが、1998年に ECF(École de la Cause Freudienne=フロイトの大義派)の大きな会合で精神病の問題が扱われた時でした。ジャック=アラン・ミレールが「普通の精神病(psychose ordinaire)」というタームを掲げて、それがまたたくまに ECF の中で広まり

    「ふつうの精神病」の周辺 - Freezing Point
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    gauqui 2011/09/02
  • 「つながりの作法」 - Freezing Point

    拙ブログにおける、時系列の大まかな履歴です*1。 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20090430/p2 臨床家や社会学者は「仲間が大事だ」というが、コミュニティ(つながり)の作法が提案されていない。 つながりの作法を旧来型に放置して、ベタに “つながり” を呼びかけてもダメ。 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20090507 宮台氏は、ご自分がどういう《つながりの作法》を提唱しているかに、自覚的ではありません。 性愛的なものも含めて、人間関係や集団には、すでに或る《つながり》の制作作法が生きられています。その作法を対象化せずに、「つながる」という結果だけを目指しても、暗黙の前提のようなものを押し付け合うことにしかなりません。 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20090526/p1 ある議論を遂

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    gauqui 2011/08/22
  • 超自我を受け入れるスタイル(制度順応のありかた) - Freezing Point

    制度論の研究を続けていて、理解と興味が飛躍した瞬間が何度かありました。 その一つが、以下の箇所を解読したときです。 ここは、《制度に順応する》ということが、反抗的なイデオロギーによってというより、症候的な反応によってできなくなっている状態を主題にし、そもそも《順応する》という事態そのものを変質させることを論じています。 「psychothérapie institutionnelle」を考える上で、一つの決定的ポイントであることは間違いないと思うので、精読しました。 なお、私の解読が間違っている可能性も考慮し、先達の邦訳ふたつだけでなく、原文と、それを私がどう解読したかの実態も詳細に記しました。誤りや、皆さんなりの解釈があったら、ぜひ教えていただけませんか。 よろしくお願いします。 既存邦訳と、グァタリの原文 杉村昌昭氏による邦訳『精神分析と横断性―制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)

    超自我を受け入れるスタイル(制度順応のありかた) - Freezing Point
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    gauqui 2011/08/18
  • 芸術活動と医療行為 - Freezing Point

    「精神の運動失調」という拙エントリにある、 患者さんの主観性や周囲との関係性、あるいは臨床の場が、固まってしまってはいけない という指摘ついて、画家・永瀬恭一氏からコメントをいただきました。 @nagasek 無論「患者」を美術家・鑑賞者・批評家に代替可能。 @nagasek 更に「患者」を「カオスラウンジ」と置き換えてみよ。 カオスラウンジが引き起こしているのは上山和樹さん@ueyamakzkが提唱する「制度分析」なんですよ。「分析なき参加(上山和樹永瀬恭一メール公開)」URL これをカオスラウンジ問題を念頭において読むと面白いと思うんだけど。 2011-08-03 09:41:56 via web 「私は、制度分析を話題にすることで、そのつどトラブルの可能性に怯えるようにもなっています。それほどトラブルになりやすい話題だと思うのです、これは。いわば、相手のナルシシズムの前提になっている

  • 精神の運動失調 - Freezing Point

    ジャン・ウリの講演「構造分析とメタ心理学(Analyse structurale et métapsychologie)」(PDF、2009年)より拙訳: Ou alors, comme le disait Erwin Stransky , un rival de Bleuler... あるいはそうですね、ブロイラーのライバル、エルヴィン・ストランスキーが言うように・・・ Au congrès de 1950, j'ai entendu le vieux Stransky. 1950年の会議で私は、老いたストランスキーの話を聞きました。 C'était pénible car il pleurait presque: 彼はほとんど泣いていたので、辛いものでした。 "Pourquoi on a choisi la Spaltung de Bleuler alors que j'avais p

  • 「やらなければいけないことは、手の届かないところにある」と自分が感じていること - Freezing Point

    衆議院 厚生労働委員会 参考人説明より 児玉龍彦氏*1 【7月31日夜の追記】: 下の動画は、「YouTubeの利用規約に違反したため削除された」とのこと。 同じ動画は、「衆議院TV 2011年7月27日(水)」にある、「説明・質疑者等(発言順):」⇒「児玉龍彦(10時00分)」の箇所をクリックすると、動画ソフトの選択画面が現れて、手順に従えば視聴できます。 【文字起こし】 国会発表の資料: 【概要】 【詳細】 全体を2回視聴し、文字起こしも精読しました。 根拠をもつ政治的な怒りが、これほど感動的とは。 わめき散らすだけなら、心を動かされなかったと思います。 ――ではひるがえって、自分の領域では、どうすればいいのか。 「このままじゃまずい」の怒りはあっても、それが単純に「科学」を口実にできない場合は*2。 追記(2011-07-31) 政治的整備が必要である以上、理論的理解は必要な条件整備

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    gauqui 2011/07/29
  • 場所を再生する分析 - Freezing Point

    ≪分析のスタイルとは、「意識のまとめ方」≫からのつづき 「分析的 - 詩的機能(fonction analytico-poétique)」 と 《新生自己 emergent self》*1 に関連して、 グァタリがほかの場所でも語っている。 フェリックス・ガタリの思想圏―“横断性”から“カオスモーズ”へ 作者: フェリックス・ガタリ,ジル・ドゥルーズ,杉村昌昭出版社/メーカー: 大村書店発売日: 2001/07/19メディア: 単行 クリック: 12回この商品を含むブログ (8件) を見る邦訳を参照しつつ、訳し直す努力をしてみた(引用部分については、強調は引用者)。 以下、原文はいずれも「Pratiques écosophiques et restauration de la Cité subjective」(PDF)より。 邦訳によると、これはグァタリの生前最後の語り下ろしテクスト(遺

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    gauqui 2011/07/24
  • 分析のスタイルとは、「意識のまとめ方」 - Freezing Point

    カオスモーズ 作者: F・ガタリ,宮林寛,小沢秋広出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/01/11メディア: 単行購入: 3人 クリック: 14回この商品を含むブログ (22件) を見る以下、強調は全て引用者による。 わかりにくいところを訳しなおす努力をしてみます。 分析について以上のように考えてみれば、時間も受動的にこうむるだけのものであることをやめ、こちらから能動的に動かし、方向づけを与えることのできる性質的変化の対象に変わります。 Dans cette conception de l'analyse, le temps cesse d'être subi ; il est agi, orienté, objet de mutations qualificatives. 分析はもはや、もとからある潜在内容に応じた、転移をともなう症候の解釈ではなく、実存を分岐させる可能性

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    gauqui 2011/07/23
  • 社会性は、臨床的配慮に重なる - Freezing Point

    樹徳中高一貫校 「医療倫理・医系 小論文講座 特別講演会&シンポジウム」*1 講師: 松卓也氏(精神科医/自治医科大学附属病院) 医療目線を問い直すイベントを中高生向けに企画していること、そしてレベルの高い話をなさった講師がまだ20代の精神科医であることが、すばらしい。 「こんなイベントを、医療目線におびえていた10代の自分が聴けていたら・・・」と思わずにいられない。 わたしたちは、一般に、医師は「くもりのない眼で」「ありのままに」患者の病気を診ている、と思いがちです。しかし、松先生によれば、そもそも「くもりのない眼」や「ありのまま」の対象のあらわれなんてありえないのだ、ということです。 医師の「患者」へ迎えるまなざし、「治療」という観念、そして「患者」や家族の要望さえも、その時代や社会に特有な「構造」によってすでに規定されている、のです。そうすると、医学は「進歩してきた」のでなく、た

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    gauqui 2011/07/22
  • 医療の労働と、社会環境を支える労働 - Freezing Point

    さわ病院 理事長 澤温(さわ・ゆたか)*1 「これからの精神科病院」(PDF) より: 例えば60人の人を大きな一部屋に入れて一人の看護者が少し高いところからみていればどの人が問題かは一目瞭然である。しかし6人部屋や4人部屋に分かれると一人では看れず、何人かで何回も巡視することになる。これが個室になればもっと必要になる。さらに地域に散ればさらに多くの人が必要になるのである。 看護スタッフ数は一般科でも日は先進諸外国の23.7%〜71.9%である。 先ほどの大部屋の理論でもわかるように地域化するほど日では多くの職員を必要とするのである。従って医療費は地域化するほど跳ね上がることになる。欧米は地域化するほど医療費が下がったが、それはもともと日の入院費が欧米のそれのやく20〜30%であるからである。 かねてより筆者は地域化を阻む「ないない4重奏」として、医療者、患者人、患者家族、地域の人

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  • 死ぬことの助け合い - Freezing Point

    僕に死ぬ権利をください 作者: ヴァンサン・アンベール,山知子出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2004/04/25メディア: 単行購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (7件) を見る 【プロフィールといきさつ】: 1981年生まれ、もと志願消防士。 2000年9月24日、19歳で交通事故に遭い、9ヶ月間の昏睡状態に陥るが、奇跡的に意識と聴覚、わずかな視覚だけを取り戻す。 それ以上の機能改善があり得ないことを知り、安楽死を望むが、どうしても聞き入れられなかった。 2003年9月24日(事故のちょうど3年後)、実母の手で決行*1、その2日後に死亡。 「訳者あとがき」によると、原書はフランスで34万部(2004年3月時点)*2。 この事案をきっかけに安楽死論争が激しくなり*3、2005年の「レオネッティ法」制定につながった。 【参照】*4 著者ヴァンサン・アンベール

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  • 仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point

    『ビッグイシュー(168号)』に、中島岳志氏と、 『お寺カフェ』*1、『彼岸寺』*2 の松圭介氏 の対談が掲載されている(参照)。 仏教については、虚無をめぐる考え方がずっと気になっているのだが、 父が死んだときの葬儀屋と僧侶が、あまりに耐え難い人たちだった 俗世秩序を単に肯定し、変革を否定する抑圧思想ではないかという疑念*3 などから、少なくとも現存する社会インフラとしては、「巻き込まれてはたまらない」と思っていた*4。 以下、上の記事より(強調は引用者): 中島岳志: 私は今36歳なので、20歳の時が95年なんですね。松さんは? 松圭介: 79年生まれ、31歳です。 中島: 95年にオウム真理教事件と阪神大震災があったんですが、私はポストモダンの延長上にある思想に非常に違和感を覚えていて、親鸞とか保守思想みたいなところに軸足を置いていったんです。松さんが学生だった90年代後半は

    仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point
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    gauqui 2011/06/03