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ブックマーク / blog.livedoor.jp/tristanetsamuel (16)

  • [書評] Theodore Sider, Writing the Book of the World : ページからページへ

    gauqui
    gauqui 2012/11/13
  • 『現代形而上学論文集』(柏端達也、青山拓央、谷川卓編訳、2006年、勁草書房)再読 : ページからページへ

    『現代形而上学論文集』(柏端達也、青山拓央、谷川卓編訳、2006年、勁草書房)再読 カテゴリ: 学会・イベント 現代形而上学論文集 (双書現代哲学2) 販売元:勁草書房 発売日:2006-02-16 クチコミを見る ふとしたことで書を通して読み返す機会を得た。 このが店頭に並んだ当時、まだ業界の状況について右も左も分からぬ身であった私はその存在にずいぶんと鼓舞された記憶がある。そして曖昧なものをいかように曖昧であるか明示化するというルイスの鷹揚な発想に我慢がならなかったものだ。またサイモンズの論文を読んでフッサールの印象が劇的に好転した思い出もある。ただし『論研』はまるで理解できなかったのだが。何やらもうひと世代も前のことのような気がするが実際には3年半しか経っていない。いや3年半もと言うべきか。 せっかくなので今あらためて感想をしたためておきたい。 なおきちんとした書評を所望される場

  • Susan Wolf(1987), 'Sanity and The Metaphysics of Responsibility' : ページからページへ

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    gauqui 2012/11/01
  • 聴講:知覚の哲学(10/17/2012) 概念とは何か : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(10/17/2012) 概念とは何か カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 知覚経験についての概念主義論争は、知覚内容が概念化されているかどうかを論じる対立である。 ではそもそも内容が「概念化されている」とはどのようなことなのか。これを理解するには概念がどのようなものかを明確にする必要がある。概念についての哲学的理論は大きく四つ、(1) 心的表象として概念、(2)フレーゲ的意義としての概念、(3)能力としての概念、(4) 非実質的概念としての概念とに分けられる。 (1) 心的表象としての概念 概念を心的対象、つまり概念は心に依存して存在する何かしらのものと捉える立場である。近世哲学のロックやヒュームなどの言葉を使えば観念に相当する。現代的に言えば、概念は、Jery Fodor やMillikanなどに支持されている、いわゆる思考の言語仮説と結び付いて理解されることが多い。また

  • 聴講:知覚の哲学(10/9/2012) 概念主義論争についての状態説と内容説 : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(10/9/2012) 概念主義論争についての状態説と内容説 カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 【概念主義論争:知覚内容は概念化されているか】 知覚の哲学における概念主義論争とは、知覚内容が概念化されているかどうかに関するものだった。内容が概念化されているとは、内容を構成するものそれぞれを主体が把握しているということである。たとえば、概念化された内容として信念内容が挙げられる。「『2丁目のスーパーで売っているりんごは赤い』と太郎は信じる」という太郎のもつ信念文の場合、信念内容に出てくる「りんご」や「赤」「スーパー」などの要素をそれぞれ太郎は正しく把握している。 それでは、信念内容とは別種の心的状態だと考えられる知覚の、知覚内容は概念化されているだろうか。言い換えると、知覚内容を構成する要素をその知覚の主体はそれぞれ把握しているのだろうか。たとえば「『このりんごは赤い』ことを

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    gauqui 2012/10/11
  • 聴講:知覚の哲学(10/2/2012) 概念主義論争への導入 : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(10/2/2012) 概念主義論争への導入 カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 【復習】 知覚の哲学は何を扱う分野なのか。その課題は大きく分けて、(1)現象学的課題と(2)認識論的課題に分けられる。現象学的課題とは、知覚経験の<意識に現れる>という性格をどのように説明するかという課題である。こうした特徴は知覚経験の現象的性格と呼ばれている。一方、認識論的課題とは、知覚がどのように経験的知識の基的な資源としての役割を果たすのか、説明するものである。知覚経験が知識とどのように結び付くかをどのように説明するかという課題ともいえる。 ・知覚理論 知覚経験とはどのようなものか。これを説明するための理論はいくつかあるが、その中でも目下有力なのが<志向説>と<選言説>の二つである。志向説では、知覚経験とは何らかのものを表象する心的状態であり、知覚経験が表象内容をもつとみなすところに特徴

  • David Lewis, Post Script to "Mad Pain and Martian Pain" :Knowing What It's Like : ページからページへ

    David Lewis, Post Script to "Mad Pain and Martian Pain" :Knowing What It's Like カテゴリ: 勉強記録 心の哲学 David lewis, Post Script to "Mad Pain and Martian Pain" :Knowing What It's Like, in Philosophical Papers Vol.1, 1983, Oxford Unievrsity Press, 130-132 'Mad Pain and Martian Pain'のあとがきとして論文集で付け加えられた箇所である。 機能主義と唯物論を採用しつつ経験の現象的性格(クオリア)を比較的明快に説明している。 ルイスの心の哲学における立場は唯物論と機能主義である。唯物論とは、心の性に関する立場の一つであり、この世界に存在

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    gauqui 2012/09/21
  • 聴講:知覚の哲学(6/19/2012) 選言説 : ページからページへ

  • 聴講:知覚の哲学(6/12/2012)知覚内容の個別化 : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(6/12/2012)知覚内容の個別化 カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 志向説とその周辺の議論も大詰め。引き続き知覚内容とその個別化の説明である。 さらに志向説のライバルである選言説にも突入。選言説に関しては次回にまとめて基的な主張のメモをとりたい。 【知覚内容】Perceptual conetntsについて 志向説は知覚経験を心的状態の一種と見なす立場である。この心的状態の内実は知覚内容と呼ばれる。そして知覚内容は何から構成されているのかを巡っては大きく以下の三つの立場に分けられる。 ・Russelian conetnts 知覚内容は個体とその性質の順序対だとみなす。 ・Fregean contents 知覚内容は個体の表象のされ方だとみなす。 ・Possible world contents 知覚内容は可能世界だとみなす。 <知覚内容の個別化> ある知覚内容を他の知

  • 聴講:知覚の哲学(5/15/2012) : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(5/15/2012) カテゴリ: 勉強記録 *5/15に5/22の講義内容の一部を加筆。 今回の一連の講義でも中心となる志向説にいよいよ突入。プロトタイプとして紹介された信念獲得理論よりも、知覚経験の現象的性格を説明する上では有利そうである。が、物理主義と親和的という要素と共通要素原理(知覚と錯覚/幻覚には共通する要素があるという理解)が調和するかというと、ひと筋縄ではいかないように思える。今後の展開が気になる。 【志向説】 intentionalism / representationalism 志向説は知覚経験をある種の心的状態とみなす立場である。より精確にいえば、主体Sが性質Fを有する視覚経験をもつ only if SはFが例化されていることを表象する一階の心的状態Rにある、という立場である。共通要素原理と表象原理を認め、現象原理を否定する点は信念獲得理論と志向説は

  • 聴講:知覚の哲学(5/1/2012) : ページからページへ

  • 聴講:知覚の哲学(4/24/2012)その2 : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(4/24/2012)その2 カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 ・知覚の理論(ii) 【副詞理論】 Adverb theories 副詞理論は、知覚、錯覚、幻覚に共通する要素がある(共通要素原理)を認めるが、知覚経験の対象が外界の事物を表わしている(表象原理 )ことを否定する。ここまではセンスデータ理論と同じである。しかし、意識に現れるものは何らかの仕方で存在する(現象原理)ことを否定する点で異なる。 副詞理論では、主体Sが性質Fを有する視覚経験をもつ iff SがF-lyに感覚することである。これはどういうことか。たとえば、ジョンが赤いりんご見るとは、ジョンがりんごを赤く[redly]見ることである。ここで重要なのは、りんごを「赤くrealdy」見るというのは、知覚経験を変容させるその仕方であって、知覚の対象として存在してはいない点である。「赤く」と副詞で表現できるという

  • 聴講:知覚の哲学(4/24/2012)その1 : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(4/24/2012)その1 カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 先週に引き続き知覚の哲学の講義を拝聴した。今日は知覚の理論のうち「古いタイプ」のセンスデータ理論と副詞説を概観するというもの。 ・知覚の理論 Perception (Problems of Philosophy) クチコミを見る 現代のセンスデータ論者Howard Robinsonの著作。 【センスデータ理論】Sense datum theories 主体Sが性質Fを有する視覚経験をもつ iff SがFを有するセンスデータDを感覚しているとみなす立場。【共通要素原理 】および【現象原理】は認めるが、【表象原理】は拒絶する。センスデータ理論では「幻覚論法は正しい。したがって、知覚対象は物理的対象ではなく、センスデータという別種の対象なのだ」と考えられている。センスデータとは、意識されるもの、物理的ではない、主体の

  • 聴講:知覚の哲学(4/17/2012) : ページからページへ

    聴講:知覚の哲学(4/17/2012) カテゴリ: 勉強記録 知覚の哲学 知覚の哲学を扱った講義に潜り込み、Evernoteにメモをとりつつ拝聴。 聴く、書くを同時に行なうのは大変勉強になる。しかし意外と疲労する。 学部生の頃はこんなハードなことを連日していたかと思うと、よく理解できずにぼんやりしていたことも多かった。 優秀な学生がきらきらと眩しく感じてしまうのだが、そこはやはり大学のレベルが違うということにしておこう。 せっかくなので、解説のあった知覚の哲学の基用語のメモを載せておきたい。 ・基用語 【真正な知覚】genuine perception 知覚の対象が存在しており、かつその対象を正しい仕方で知覚すること。 【錯覚】 illusion 知覚の対象が存在しているが、その対象の仕方を間違って知覚すること。 【幻覚】 hallucination 存在していない対象を、あたかもある

  • ジュリアン・バッジーニ、ピーター・フォスル『哲学の道具箱』( 廣瀬 覚、長滝 祥司 訳 2007年、共立出版) : ページからページへ

    ページからページへ ・主として哲学に関連した勉強内容の記録や、メモをとるために利用しています。 ・ご意見ご質問のある方、および誤解や間違いにお気づきの方はコメント欄または連絡先までご一報いただければ幸いです。 西條 玲奈 SAIJO Reina。 北海道の大学院を出て現在は研究員(ポスドク)。教育と事務の仕事が生活の中心。専門は芸術の哲学(および美学)と分析形而上学。 連絡先:r.saijo@gmail.com Read&Researchmap の情報(研究や業績の紹介)はこちら

  • 英米倫理学史に学ぶ哲学の方法論——児玉聡『功利と直観』再読 : ページからページへ

    英米倫理学史に学ぶ哲学の方法論——児玉聡『功利と直観』再読 カテゴリ: 倫理学 児玉聡『功利と直観―英米倫理思想史入門』(2010年、勁草書房) クチコミを見る 児玉聡『功利と直観』(2010年、勁草書房)の六、七章を再読した。 やはりこの二つの章が一番胸に迫る。 分析形而上学の研究に携わりながら自分で抱えていた方法論上の悩みが、半世紀前から倫理学者達の論争の中に見事に具現化されている。何かというと「哲学的理論と直観(常識的理解)の関係とバランス」の問題である。理論は直観を記述するものなのか、改訂する規範性を有するのか、それとも全く無縁のものなのか。もちろん倫理学上の議論を形而上学含め他の哲学の分野にそのまま適用はできない。だが、適宜変更すれば思考実験の役割や「直観」の身分など、方法論を反省する材料としてとても参考になる20世紀の歴史が紹介されていると思う。 書第六章では、功利主義が

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