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ブックマーク / murrari.hatenablog.com (19)

  • 風が吹き、桶屋はともあれ、そのあとになにが起きているのか - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「営業」終了になった展覧会について書く。 2月3日に終了した「MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる」展(以下「風」展)は、「MOTアニュアル史上」最高レベルの入場者数になるらしい。会期終了直前に、入場者数が歴代1位(22,636人)の「MOTアニュアル2010 装飾」展(56日)を抜いたとのフライング情報が流れたものの、結局のところ現段階での、「風」展(80日)の「首位」獲得は、「公式」的には「見込み」の段階である(多分)。 「風」展が、「営業成績」の「首位」に「輝く」にしても、「2位」に「甘んじる」にしても、歴代「MOTアニュアル」の入場者数20,000人前後というのは、恐らくは「同期出来る他者+α」の上限的な数字であり、「MOTアニュアル」という展覧会に於いては、それ以上を望むのは困難であるというの

    風が吹き、桶屋はともあれ、そのあとになにが起きているのか - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
    gauqui
    gauqui 2013/02/10
  • 身近の誕生 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 それ(鉄道)が(場所として)与えるのは、大抵は互いに遥かに遠く離れている出発駅、停車駅、そして到着駅だけである。鉄道が侮蔑的にも通り過ぎ、無益な見世物としてしか与えないその間の空間と、鉄道は何の関係も持ってはいない。 シャルル・デュノワイエ(1840年) 日テレビ系列で放送されている紀行・鉄道旅行番組「ぶらり途中下車の旅」の「旅人」が、「途中下車」をする切っ掛けは極めて「気儘」に見える。番組中の「旅人」は、多くの場合、鉄道車輌の窓越しに気掛かりになった場所を発見し、その後でそこに立ち寄る為に「途中下車」をしている訳では無い。「旅人」の「立ち寄り先」は、その大部分が車窓からは目撃不可能な場所であり、「車窓風景」といったものが事実上存在しない「地下鉄」沿線の「途中下車」すらもある。「旅人」は常に、「何となく」や「この辺りに◯◯があったと聞いている」という理由で「途中下車」をする。「

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    gauqui
    gauqui 2012/12/21
  • インスタレーション - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 その部屋からは、芝生の中庭が見えた。幸福そうに見える車椅子を含めた数人と、白衣の二人が日を浴びている。質問は続いていた。「ところであなたは大学生だという事ですが、大学では何を学んでいるのですか」。答える。「美術です」。「すると油絵か何かを…」。「いいえ」。「彫刻とか」。「いいえ」。そこで言葉に窮した。「空間芸術」と言えば良いのか。いや違う。「環境芸術」と言えば良いのか。それも違う。「総合芸術」と言えば良いのか。それでは阿呆丸出しだ。しかし考えてもみれば、ここから先を説明する事は、この場に於いては全く無意味なものに感じられた。この一連の質問は、あなたの個人的な好奇心から発せられているものではないのか。 言ったところで理解はされないだろう事について、極めていい加減な返答をした。それが正鵠を射ている表現であるかどうかを、以後検証するつもりも無い相手に対してはそれで良いと思った。何よりこ

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    gauqui 2012/10/12
  • 商標 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「§CHAOS\LOUNGE(カオスラウンジ)」の商標権(登録番号:第5492088号)が、「カオス*ラウンジ」関係者以外の人物によって、ヤフーオークションで売りに出されているという話題は、興味深いと言えば興味深い。但し、一連の経緯を詳細に追うのも面倒臭いので、興味のある向きはその仔細を各々検索して頂きたい。 参考:「【速報】カオスラウンジの商標権がヤフオクで1円スタート【pixiv現代アート騒動】」 http://togetter.com/li/370955 ヤフオクの当該ページは、「オークション > 、雑誌 > 雑誌 > アート、エンターテインメント > 美術総合」にあり、オークション・タイトルは「【現代アート最終章】カオス*ラウンジ商標権【そして茶番へ】」とされ、そこにはわざわざ「カオス*ラウンジ ディス・ソリューション宣言」なるテクストへのリンクも付いていたりしている訳であるから

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    gauqui 2012/09/16
  • 「ラッセン」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 あの「ラッセン展」は一昨昨昨日に終了した。すっかり始まった頃に見て、すっかり終わった後にこれを書いている。「ラッセン展」とは、喉の奥に残り続ける小骨の様な存在なのかもしれない。だからこそ、少なからず存在する「終了→そんな事もあったよね→忘却」という展覧会では無いのだろう。この「ラッセン展」もまた、すっかり「終了」したその時からが「小骨」として「開始」になる展覧会という印象がある。 - 1970年代から1980年代に「遊」という「雑誌」が存在した。「オブジェマガジン」とも称していた。1970年代から1980年代に掛けての「工作舎」刊であるから、その構成は、当然の事ながら「編集工学」の人、松岡正剛氏によるものだ。1978年刊の「遊 1001」の「特集」は、「相似律 観相学の凱歌のために」というものだった。表紙デザインは「杉浦康平」氏+「赤崎正一」氏。「遊」という手書き漢字の、正確な「

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    gauqui
    gauqui 2012/08/29
    CASHIのラッセン展に行けなかったのはしばらく後悔しそう。
  • Kurisuchan Rassen - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 半年程前の事、展示に使用する自作品を入れる額を探しに、地方都市の額専門店へ行った。作品のサイズが大きいので、どれを選んでも結構な出費になる。自然と「現品限り」というフロア置きの魅力的なラインナップに目が行った。しかし、なかなか希望のサイズの額が見付からない。それなりの量の「現品限り」を店内で探すこと約30分。ようやく3枚程見付けたものの、その内の2枚には、「クリスチャン・ラッセン」氏の「A全」程の大きさの、エディション入りの作品が既にマウントされていた。残りの1枚は「ヒロ・ヤマガタ」氏。いずれも額付で5千円前後。しかし寧ろこの5千円は、この額専門店的には額の価格なのであり(何も入っていないものとの価格差は無い)、そこに入っている「クリスチャン・ラッセン」氏や「ヒロ・ヤマガタ」氏の作品は、この店の扱いとしては「額の付属物」であると思われた。恐らくこの額専門店のスタンスは、「これを購

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    gauqui 2012/08/25
  • 惑星 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 アブストラクトの様にも見える「初期画面」。このセンター部分を "Enhance" して600倍にするとこういう絵になる。 ここまで来ると、ピンと来る人はピンと来る。「あそこ」だと判る。そして今夏このエリアで見聞した「大規模国際展」を思い出したりもする人も、その面積に相応しく世界人口70億人(2011年10月現在)の1万分の1程(70万人)はいる事だろう。果たして「国際展」の「国際」が、一体何を意味するのかは判らないが、それでも多くの場合、「国際」という概念が「無上」の意味を持つ存在として機能する事は知っている。例えば「国際連合」と言えば、嘗ての日人はその「国際」という語から、理念的な上位概念を感じていたものである。しかし日語の「国際連合」は、 "United Nations" の「誤訳」であり、来は「連合国」と訳すべきである事も、今では広く知られている。実際嘗ての「連合国」

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  • コンポラ - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 「スナップショット」である。 但し「スナップショット」ではあるものの、「脳と眼と感情の協働作業を伴う(involves a joint operation of the brain, the eye and the heart. : "The Decisive Moment" : Henri Cartier-Bresson : 1952 )」様な 、 「絵-物語(picture-story)」 であるとは言えない。その意味でのみ、恰も購入したばかりのカメラ性能を測る試し撮りの様にも見えるこの「スナップショット」は、「反=アンリ・カルティエ-ブレッソン」的ではあるだろう。 「素朴なスナップ」で「横位置」の、「日常ありふれた何げない事象」、「誇張したり、強調したりするようなことはしない」、「主義としての明確な論理」が無いこの写真が、例えば「1960年代後半〜1970年代前半」の「日

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  • 想像の建築 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 「東京スカイツリー」が、そろそろフィニッシュワークに入る。ガワ(外側)はほぼ出来ていると言えよう。今は、石材屋さんとか、クロス屋さんとか、電設屋さんとか、水周り屋さんとか、そういう人達が多く働いておられるのだろう。それから什器等が運び込まれ、美装が入り、併せてスタッフの研修が行われ、2012年5月22日に、バタバタとその「瞬間」の「直前」に左右に張られたばかりの紅白のテープを、建設最後の「工具」である「金色の鋏」でカットして、即ち「ビルド」した直後に「スクラップ」して、それで電波塔=送信アンテナ「東京スカイツリー」は目出度く「完成」である。 ここは「世界に誇る」都会の送信アンテナであるから、「門前町」や「門前市」ならぬ、「送信アンテナ町」や「送信アンテナ市」を、送信アンテナの回りに、経済のタービン装置として作ろうというのである。少なくとも、高層建築物界からすれば低層建築物である「

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  • 纏ったもの - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 それにしても「ぬぐ絵画」なのである。 或る意味で、このタイトルは、画家の描くそうしたものの質を、かなり見誤っていると言える。「デッサン室」や「アトリエ」で、「ヌードモデル」を前に、実際に絵を描いた事の無い人、或いは芸術家の実際を知らない人の手によるものではないかという疑問すら湧いてくる。画家や彫刻家が描いたり作ったりする「あれ」は、決して「ぬぐ」事によってもたらされる「はだか」ではないのだ。 嘗て画学生だった自分もまた、黒田清輝門下の、そのまた門下の、そのまた門下のと辿っていった、その端っこにいたりした訳で、必然的に「ヌードモデルを描く」伝統の中にいた事もある。モデルさんが部屋の中に入ってきて、そこに設えられた貧相な更衣スペースの中で衣服を脱ぎ、画学生の前に「ネイキッドな身体」を差し出す。画学生は、その「ネイキッドな身体」を参考にして、「人体」を描いたり彫塑したりする。ここでは

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    gauqui 2011/12/16
  • はじまり - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【プロローグ】 チャールズ:ダーウィンに端を発するとされる、所謂「進化論」を全否定する思想を持つ人々の数は、地球上の無視し得ないパーセンテージを占める。 http://j.people.com.cn/95952/6593652.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3 アダムとイブ以前に「人」は存在しない。「神」とは似ても似つかない、醜い「猿」からの連続性で語られる「歴史」など、嘘っぱちの「偽史」である。「人」は誕生した時から「神」の似姿でなければならない。そうした思想を持つ、無視し得ない数の人達からすれば、「罪」という概念の根

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    gauqui 2011/12/15
  • 私的複製 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 汲めど尽きせぬ「位相ー大地」。時と所を問わず、様々な言説のハブになると思わせるところが、美術史に通ずる者をして、「位相ー大地」を「記念碑的作品」と言わしめるところなのかもしれない。そうした「反復」を可能なものとするのが、「歴史的資料」の第一の条件なのだろう。要するに「歴史的資料」というものは、大抵「ネタ元」として「使い出」があるのだ。従って、またしても「それ」から書き始める事にする。 - その前に、「位相ー大地」誕生のエピソードというのは、なかなかに興味深いものがある。 関根は高校生時代には岡太郎の著作をバイブルのように読み、多摩美の大学時代は日美術史や庭園のに親しみ、京都にもしばしば訪れていた。もともとは油画が専攻科目。斎藤義重の指導を受けた。須磨離宮公園での現代彫刻展に出品することになったのは、68年5月の第8回現代日美術展に「位相」と題して出品した半立体(レリーフ)

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    gauqui 2011/11/27
  • 位相ー大地 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【プロローグ】 「神戸ビエンナーレ2011」で、「現代美術ファン」の関心を引きそうなのは、恐らく「関根伸夫『位相―大地』 再制作プロジェクト2011」という事になるだろう。神戸ビエンナーレの会期そのものは11月23日までだが、この「位相ー大地」のみ10月14日までの「会期」となっている様だ。一体何度目の「再制作」になるのかは知らないが、神戸では1968年の「第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」以来、「関根伸夫オフィシャル」としては43年ぶりであるという。関根伸夫氏が、神戸芸術工科大学大学院の客員教授である事から、神戸芸術工科大学キャンパス内の扇形広場に、「立入禁止」の単管パイプの防護柵と共に「復元」されるという、そうした事の様だ。 これもまた果たして「前回」になるのかどうか判らないが、「40年ぶり」に「関根伸夫オフィシャル」な形での「位相ー大地」の再制作とされているのは、2008年の「多摩川

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    gauqui 2011/11/18
    あの有名なあれの話
  • 京都「妖怪」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    ‘I have never seen angels. Show me an angel and I will paint one.’ "The Oxford Dictionary of Art" から引いてみた。ギュスターヴ・クールベの、有名過ぎる言葉だ。「私は天使を見た事が無い。天使を見せてくれれば、私はそれを描く」。 見た事の無いものでも、それでも「絵」はそれを、文字通り「絵空事」として描く事が出来てしまう。「天使」はその一つだ。だからこそ、このクールベの突っ張りは、突っ張りとしての意味を成す。では「天使」を「写真」に収める事は可能だろうか。Google で検索してみると、幾つかの「天使」の「実在」を「証明」する「写真」がヒットする。 それらの「写真」を見ると、伝統的に「絵」に描かれた「天使」と、外形イメージが極めて「同じ」ものである事が判る。この一事から、古今の画家の「天使」に対する

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    gauqui 2011/11/16
  • 青梅「不穏」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 普通の何が不穏なのか。美術家の手が加わっていない離れの書斎はこうなっている。 ガラスで隔てられた「吉川英治」の側に、座卓、座椅子、座布団、書棚、書籍、茶碗、眼鏡、文鎮、萬年筆、地図、天眼鏡、箸置、硯、握り鋏、ゴミ箱…・。そして不在の吉川英治。それだけで十分に不穏だ。 ここに同行させるべきは、真野康彦こと、通称「ヤス」が良いだろう。 ヤス「しょさい です。よしかわえいじは ここに いました。」 ヤス「なにを しらべますか?」 ボス「むしめがね」 ヤス「どこを しらべますか?」 ボス「ここだよ ここ!」 ヤス「ねんだいものの めがねです。」 ヤス「では、 しょうこひんとして もっておきます。」 「記念館」。それはまた「事件現場」の如きものである。「訪問者」はこの書斎を見て、「恰(あたか)もたった今、不在になったばかり」の「吉川英治」という存在の痕跡を見ようとする。萬年筆はケースから取

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    gauqui 2011/10/31
  • 収集 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    未完の儘に荒れ果ててしまった壮大な邸宅の孤独な老人。力尽きて、3インチ程の大きさの世界の果てを持つ小宇宙の中の、小さな一軒家に雪が舞い落ちるスノーグローブを床に落とし、「Rosebud(バラのつぼみ)」という最期の言葉を遺して死んでいったのは、新聞王チャールズ・フォスター・ケーンだった。 オーソン・ウェルズ24歳の時に製作が開始され、26歳の時に公開された " Citizen Kane(市民ケーン)" のラスト10分程は、ケーン翁が、自殺未遂をした二番目のスーザンに去られ、スーザンの部屋の、彼女の為に買い集めた「コレクション」を壊しまくるという、彼の執事であるレイモンドの回想から始まる。「コレクション」を壊し、壊し、壊す老人。そしてあのスノーグローブに目が止まる。彼の破壊は止まり、涙ぐみながら一言「Rosebud(バラのつぼみ)」と呟き、そのスノーグローブをスーツのポケットに入れると、多

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  • 代謝 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    そりゃ仕方ない。何故ならば「迷う」様に作られているからだ。だから今回も行ったり来たりをした。全くジョン・ジャーディったらである。 迷うのに疲れれば、お茶の一つも飲みたくなるでしょう。ここには沢山素敵なお店がありますよ。いいえ、絶対ここではお茶など飲んでなんかやりません。お茶を飲んで疲れを癒したとしても、そこから出たらまた迷って、すぐに疲れてしまうに違いないのですから。心無しか、お店の人も暇そうではないですか。要はこういうややこしい場所からは、とっとと去るのが良いのです。「迷宮」は「迷宮」らしく、「(外の)人を拒む場所」としてあれば良いのではないでしょうか。「(外の)人を集める迷宮」って、それだけで自己矛盾ではないでしょうか。それともこの「迷宮」は、一種の "Proving Grounds(試練場)" なんでしょうか。 こうした箱庭を「周遊性」とか「回遊性」などと言って憚らない人は、大抵ドロ

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  • 利得 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    ペットになり得る「動物」には様々なものがある。そのマスボリュームは犬やという事になるが、その他の哺乳類、鳥類にしても、爬虫類にしても、両生類にしても、或いは昆虫から、果てはミジンコまで、「愛玩」や「共生」の心あるところ、ペットの種もまた尽きまじだ。 当然「愛玩」や「共生」の対象であるから、そこは「無償の愛」の世界であり、「ペットと一緒の生活」という「ライフスタイル」の利得を獲得しようとする人々で動物商は賑わう。そこでは通常「飼い主」は、ペットで「元を取る」とか「儲ける」という形での利得を考えないものであり、ペットに掛けた金は、常に「掛け捨て」であるのが普通であり、そのペットの一生を見届けるというのもまた普通である。「普通」ならば。 しかしペットの世界にも「マーケット」は存在する。その代表的なものは「賢明な交配」の「優生学」的「血統書」が幅を利かす世界だろう。とは言っても、流石に「優生・純

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    gauqui
    gauqui 2011/09/25
    美術マーケット
  • 第三芸術 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    "Ars longa, vita brevis, occasio praeceps, experimentum periculosum, judicium difficile." 「アルス・ロンガ、ウィータ・ブレウィス、オッカースィオー・プラエケプス、エクスペリメントゥム・ペリクロースム、ユーディキウム・ディッフィキレ」。 古代ギリシャのヒポクラテスのアフォリズムだ。「医術(医の技術)は長く、人生は短い。好機はすぐに過ぎ去ってしまい、経験的知識は危うく、判断は難しい」と訳される。言わば「トライ・ハード」的な意味を持つ箴言である。しかし、文中の "ars(アルス=τέχνη;テクネー)" が、いつの間にか「芸術」を意味すると矮小化され、このアフォリズムは、今日の日では「芸術は長く人生は短し」などという形で訳されている。そして通常「芸術家の生命は短いが、芸術作品は作者の死後も後世に残り、長く

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