「(なになに)したときあります」 という使い方は違和感がある。 「(なになに)したことあります」 じゃないのか。 過去の行動を表すときに、なぜか時を示す代名詞っぽい「とき」を使う場合は 「(なになに)したとき(なになに)した」 ということなら違和感がない。 これは「とき」「こと」の後に「は」をつければ判別できることを発見した。 「(なになに)したとき"は"あります」 ↑ときはあるということでは意味が変わる 「(なになに)したことはあります」 ↑違和感無い 「(なになに)したとき"は"(なになに)した」 大まかな意味は変わらん。 ちなみに 「(なになに)したことは(なになに)した」 ↑おかしい 自分が「とき」を使われて違和感がないのは、他の動詞を修飾する場合だ。 そうでないと「とき」が主体になってしまう。 これらのことがどういうことを示しているのよくわからんが。 おおまかに、おそらく主体が語
![とき、こと、の使い分けについて。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)