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ブックマーク / kataokayoshio.com (34)

  • 日本語は室内用の私的な言葉だ。男と女のとりとめのない会話から始まる、思いがけないこと

    gcyn
    gcyn 2019/05/04
    『恋愛は、とりとめのない会話から出発して、やがて到達する真の対話の関係だ。真の対話は、現状というものを改良していく力を持つ。まともな言葉の蓄積をとおして、新しい事実が生まれてくる』
  • 国語の勉強は、実はほんとうの社会科の勉強だったという話

    この教科書を手にするのは、いったい何年ぶりだろう。じつになつかしく、複雑な気持がする。厚い紙にクロスを貼って、がっちりと仕上げた造だ。すこし古ぼけているけれど、昔のままだ。FUN WITH ENGLISH というタイトルの、国語の教科書だ。小学校1年生のときのものだったと思う。このタイトルを、日語になんと訳せばいいのだろうか。「英語の楽しみ」「楽しい英語」「英語で楽しく」「英語は楽しい」と、いろんなふうに言えそうだが、どれもみなピンとこない。FUNという簡単な言葉にもいろんなニュアンスがあり、FUNはFUNとして体験的におぼえる… 底:『ブックストアで待ちあわせ』新潮文庫 1987年

    国語の勉強は、実はほんとうの社会科の勉強だったという話
    gcyn
    gcyn 2019/04/06
    『こんなふうに詩を読んでその文学的な香りを鑑賞するだけの科目は』『クラシックスという別な科目になっている。国語の勉強は、さくらが咲いただけではすまない』『生徒たちは、とにかく、喋らせられてばかりいる』
  • 「と思います」をめぐって

    「私は作家になりたいと思います」という言いかたのなかにある、「と思います」の部分は、少しは日語がわかるという段階の英語世界の人たちには、なかなか理解しにくいようだ。作家になりたい、ということを思うとは、どういうことなのか。言葉が二重になっているぶんだけわずらわしいし、言いあらわそうとしている意思は薄められてしまうではないか。なりたいという願望があるなら、それをそのまま、なりたい、と言えば充分ではないか。 このような疑問が彼らの頭のなかに次々に浮かんでくる。もっと日語がわかる人だと、なりたい、という願望の直截な表現と…

    「と思います」をめぐって
    gcyn
    gcyn 2019/01/04
    『自分とは、ほとんどすべてのことに関して、なにはともあれ、思う人なのだ。自分のなかにあるいちばん大事なものは、思いなのだ』『それはそれでいい』『それは自分にとっての内的な葛藤であり続ける』
  • 波乗りとは、最終的には、心の状態だ

    gcyn
    gcyn 2019/01/02
    『波乗りは、全員のものだった』『男と女が、階級をこえて、いっしょに楽しめる』『サーフィンの口承伝説には、恋物語が多い』『男と女が、おなじひとつの波に乗って岸までたどりつけば』『かなり親密になって』
  • ヒロの一本椰子

    gcyn
    gcyn 2018/12/29
    『鳥の羽根でケープをつくるには、珍しい鳥をつかまえてきれいな色の羽根をあつめるのだが、鳥を殺したりはせず、一羽からすこしずつ注意深く羽根をぬいては放してやり、再び羽根が生えるのを待った』
  • ガールたちの戦後史

    ガールという言葉は、それ単独では、日語として定着していない。日におけるガールの始まりはモダン・ガールだと思うが、たとえばこの例のように、なにか別の言葉と結びついて、ガールは日語のなかに組み込まれてきた。このモダン・ガールはモガと略される場合が多かった。モダンはモのひと文字に短縮され、ガールはガの一音へと省略されたのだ。 戦前の日でモダン・ガールから始まったガールの系譜は、戦争とその時代によって断ち切られたと言っていい。そして戦後となり、その混乱期が二、三年ほど経過してから、まずパンパン・ガールが登場した。戦前…

    ガールたちの戦後史
    gcyn
    gcyn 2018/11/25
    『戦後の日本社会に彩りを添えただけではなく、その実態の形成にかなりのところまで関与したガールたちだったが、五十数年という時間のなかに推移した時代のそこかしこに、すべて消えてしまった』
  • 風と紅茶の一日 – 片岡義男.com|作家・片岡義男の電子書籍作品公式サイト

    gcyn
    gcyn 2018/11/15
    『自分だけの熱い紅茶に唇をつけて飲むとき、いつも素敵な風が吹く』
  • 世界はただひとつ – 片岡義男.com|作家・片岡義男の電子書籍作品公式サイト

    太平洋でのアメリカとの戦争をめぐって、もう戦争は終わりにしようと言う一派と、徹底的に戦って最後には日土でアメリカと決戦するのだと言い張る一派とが、国民はなにも知らないところで、権力争いを続けた。戦争は終わりにしようと言っていた一派が、その権力闘争に勝った。日に原爆が二発も投下されたのは、このような権力闘争のさなかだった。 対日ポツダム宣言を日は受諾し、降伏した。日人一般としては、もうこの戦争に勝ち目はないとは思っていたものの、降伏そのものは、自分たちはなにも知らないところで、いきなり決定された降伏だった。だ… 底:『日語で生きるとは』筑摩書房 1999年

    世界はただひとつ – 片岡義男.com|作家・片岡義男の電子書籍作品公式サイト
    gcyn
    gcyn 2018/11/11
    『わかったつもりで先へ進むことが出来るという状態』『いまの日本人が持っている言葉は、自国内部のしがらみ以外には、なにについても語ることが出来ない、という種類の言葉だ』
  • 一九四五年秋、民主主義の始まり

    gcyn
    gcyn 2018/09/15
    『ひょっとしたら自分たちよりも賢い人たちかもしれないと、心の底から謙虚に思ってそのとおりに行動するための、民主主義の第一歩を我が身の上に確認する拍手だったら、なんと良かったことだろう』
  • 帰って来る死体の映像

    gcyn
    gcyn 2018/08/08
    『ヴェトナム戦争に反対する(略)意識は、いわゆる戦争反対ではなく、自分の国とはなになのか、アメリカとはなにか、政府とはなにか、そして自分とはなになのかという、深刻をきわめた根源的な懐疑の念』
  • 会社員が老いていく国

    僕に思い出すことの出来る範囲で、キー・ワードをひとつだけつまみ出すなら、それはロマンス・グレーという言葉だ。この言葉は確かに兆候だった。日は老人の国になる、という認識が確定されていく兆候だ。ロマンス・グレーという言葉を、いまは誰も使わない。したがってそれは死語だから、意味を知らない人も多いはずだ。僕なりに解説しておこう。 グレーとは、白髪がそろそろ目立ち始めた男の髪のことだ。そのような髪の持ち主は、中年後期の落ち着きや渋さとともに、社会的な地位や評価をそれなりに手に入れ、まだ少しは残っている若さが男の色気のように残… 底:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年

    会社員が老いていく国
    gcyn
    gcyn 2017/08/04
    『新入社員のいきつく先は、孤老死なのだ』
  • 競争の時代とはなにか

    gcyn
    gcyn 2017/08/03
    『たとえば規制緩和と言うけれど、規制を手にしたままその緩和を裁量したり調整したりするのは国家だから、緩和によって国家の介入はさらに強化される方向へと向かう場合が多い』
  • 森永ミルク・キャラメルの箱

    gcyn
    gcyn 2017/06/10
    『野球の巨人がもはや永遠でもなんでもなくなったいま、永遠という座につくべき正当な存在は、森永ミルク・キャラメルの箱ではないか』
  • 対等に開放された関係の物語

    『エドワード・ヤンの恋愛時代』はなかなか面白い。面白い、という言いかたは、僕の言葉づかいの癖のひとつだ。見ていて盛んに笑うことが出来た、というような意味ではない。いろいろと考えて楽しむきっかけを作ってくれるから、見ておいてよかった、というような意味だ。 製作を終えて完成された映画は、すでに過去だ。だから現在の台北と言うよりも、つい昨日の、あるいはほんの一昨日の台北を、この映画は背景として持っている。経済活動を中心にした熱気や活気が縦横に渦を巻いて巨大な喧騒を作り出し、それが周囲のいたるところにエネルギーをまき散らし、ぜ… 底:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年

    対等に開放された関係の物語
    gcyn
    gcyn 2017/05/14
    『面白い、という言いかたは、僕の言葉づかいの癖』『見ていて盛んに笑うことが出来た、というような意味ではない。いろいろと考えて楽しむきっかけを作ってくれるから、見ておいてよかった、というような意味だ』
  • 『山の音』

    ──失われた日、消えた昭和。半世紀以上も前の映画に触発されて蘇る、淡い記憶の数々。 一九三五年(昭和十年)に『乙女ごゝろ三人姉妹(きょうだい)』、そして一九五一年(昭和二十六年)には『舞姫』と、成瀬巳喜男は川端康成の小説を原作に得て二映画を作っている。一九五四年(昭和二十九年)に公開された『山の音』は、成瀬にとって三作目の、川端康成・原作の作品となった。映画化されたとき原作はまだ未完だった。だから映画としての物語の決着のしかたは、脚を書いた水木洋子による創作だ。 この時代に刊行された文芸作品の単…

    『山の音』
    gcyn
    gcyn 2017/04/26
    『この時代に刊行された文芸作品の単行本を古本で買うと、一例として、「東宝企画室」といった丸いゴム印が見返しに押してあるものを、かなりの頻度で手にすることになる』
  • 東京で電車に乗ると、なにが見えますか

    gcyn
    gcyn 2017/04/11
    『それに、女性を待ちかまえている会社員の妻という世界に対する、女性たちの拒否の姿勢も、花婿のいない広告ポスターの中に、読み取ることが出来る』
  • なにも言わない人

    戦後の日人にとって、人生とは会社に勤めることだったようだ。なんらかの会社組織に雇用されてそこに所属し、仕事をして給料をもらい、なおかつ生活のほぼ全領域を会社に依存させること、これが戦後の日人の人生だった。どこからも文句は出ないという意味では、非常にしばしば、それは立派な人生でもあった。 そして戦後の日とは、規格製品を大量に生産して販売する経済活動であったことは、すでに誰にとっても明らかだ。日に林立した会社群がそのような経済活動を直接に担い、国家は強力に会社群を保護した。日株式会社と外国から言われ、自らもそう… 底:『日語で生きるとは』筑摩書房 1999年

    なにも言わない人
    gcyn
    gcyn 2017/03/25
    『閉鎖性がもはやちょっとやそっとのものではない』『なにがもっとも人を困らせるかというと、重要なことがいつまでもなにひとつ明らかになっていかない』『裏ルールに反対するための正当な発言の場や言葉はない』
  • 六〇年代

    gcyn
    gcyn 2017/02/26
    『食べ終わってボウルの底に残っているミルクが〜アメリカ的に悲しかった』『どんなにたいへんな時代であっても、日常生活、特にこまかなディテール部分は基本的にとても呑気なものなのだ』
  • カートゥーンという素晴らしいものが、アメリカから消えてゆく

    gcyn
    gcyn 2017/02/24
    『カートゥーンは、カートゥーニストがギャグ・アイディアまで自分で考えるときもあるが、ギャグはギャグでそれ専門の人が知恵をしぼっている場合も多い』 あらまあ、さすがアメリカ!
  • 日常の現実にかまけていると本を読む時間はどこにもない

    gcyn
    gcyn 2017/01/31
    『京都はいまよりもっと密接に東京とつながる』 観光都市というのは過去向き過ぎてちょっとどうかと思うところがあるんですけどこういうのは良いな。良いホテルサービスというのは観光とは切り離して考えたいですし