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自我に関するggg123のブックマーク (6)

  • 364: Lesson - finalventの日記

    This holy instant would I give to You.Be You in charge. For I would follow You,Certain that Your direction gives me peace. レッスンは「赦し」が基になっているとはいえるが、振り返ってみると、信頼というのか神へを信頼せよという呼びかけが多かった。同じことの繰り返しで辟易とするのだが、これは同時にいかに赦しというのがきついものかということでもある。 「赦し」というのはそもそも不可能なのではないか。Acimというのはヘレンのオブセッションなのではないか。そういう疑念がなんども湧くし、それを一概に否定もしない。 が、振り返ってみると、「赦し」というのは自我の業ではない。赦すと理解してあとは神に委ねることであり、神を信頼することの一つの帰結である。では、どのように神が信頼できる

    364: Lesson - finalventの日記
  • 人は「対象a」の事について、どう説明すればよいのだろうか? - kuriggen’s diary

    ここで忘れてはならないのは、対象aは欲望の原因であり、欲望の対象とは違うということである。欲望の対象は、たんに欲望される対象のことであるが、欲望の原因は、対象の中にあるなんらかの特徴であり、その特徴ゆえにわれわれはその対象を欲望する。それはわれわれがふつう気づかない細部とか癖で、われわれは時としてそれを障害として捉え、この障害があるにもかかわらずその対象を欲望しているのだと誤解することがある。 ジジェク 『ラカンはこう読め!』 怪物の映画もそうなのだが、映画の構造において、そこで示すべき謎の対象が、あるいは凶暴さを発揮するべき荒ぶれた対象、不気味な対象というのが、一つの映画のテーマになっているような場合の話を考えてみよう。これはよくある映画の構造であり、作り方である。映画的時間の中で出遭われるべき対象について、それを如何に示すべきか、どういうプロセスを措いて示すのか、どのような時間、順序に

    人は「対象a」の事について、どう説明すればよいのだろうか? - kuriggen’s diary
  • ナルシズムとプライド、そして理想自我と自我理想の違い - kuriggen’s diary

    ラカンの用語で、理想自我と自我理想の違い、という言い方が出てくる。ある意味有名な説ではあるのだが、どうもこれをどう理解すればよいのかという段になると、実は相当難しい話なのではないかと思う。それはラカンの説明の仕方自体が、まず難しいということでもあるのだが。 僕が考えていたのは、これは、ナルシズムとプライドの関係を橋渡しする概念と考えたときに、よく理解できるのではないかと思う。簡単に言おうとすれば、「理想自我」とは想像的同一化のことで、「自我理想」とは象徴的同一化という、自我の捉え方における段階の違いを示すといえる。ナルシズムは、個体的成長にとって、常に自然発生しているものと見なされうる。 原始的なレベルでは、個体の自己認識にとって、神経の統覚的安定がイメージの自己充足的な安定感をもたらすものとして、世界と自己の関係の把握、その鏡像的反映、快感原則を媒介にした統覚の自己安定するレベルとして、

    ナルシズムとプライド、そして理想自我と自我理想の違い - kuriggen’s diary
    ggg123
    ggg123 2008/03/27
    [ナルシシズム][プライド][斉藤環]
  • 想像界の機能 - kuriggen’s diary

    例えば、ジジェクは、自我理想と理想自我の違いについて、このように定義している。 フロイトは、主体を倫理的行動に駆り立てる媒体を指すのに、三つの異なる述語を用いている。理想自我(Ideal-Ich)、自我理想(Ich-Ideal)、超自我(Uber-Ich)である。フロイトはこの三つを同一視しがちで、しばしば「自我理想あるいは理想自我(Ichideal oder Idealich)」といった表現を用いているし、薄いである『自我とエス』第三章のタイトルは「自我と超自我(自我理想)」となっている。だがラカンはこの三つを厳密に区別した。「理想自我」は主体の理想化されたイメージを意味する。(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思う自分のイメージ)。「自我理想」は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文

    想像界の機能 - kuriggen’s diary
  • ジャック・ラカン - Wikipedia

    ジャック=マリー=エミール・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年4月13日 - 1981年9月9日)は、フランスの哲学者、精神科医、精神分析家。 初期には、フランスの構造主義、ポスト構造主義思想に影響力を持った精神分析家として知られていた。 中期では、フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたパリ・フロイト派(フランス語版)のリーダー役を荷った。 後期では、フロイトの大義派(仏:École de la Cause freudienne)を立ち上げた。 新フロイト派や自我心理学に反対した。アンナ・フロイトの理論については、フロイトの業績を正しく継承していないとして批判し「アナフロイディズム」と呼び、「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)と主張した。 1901年、カトリックのブルジョワ階級の家に生まれる。初め独学で哲学を学ぶが、転学しパ

    ジャック・ラカン - Wikipedia
  • 自我が邪魔をして心を開けないセックス

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