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2009年5月12日のブックマーク (3件)

  • 下世話なQ&A「キリスト教では同性愛はだめなんですよね?」

    下世話なQ&A このQ&A集は、すべて三十番地教会牧師がじっさいにオフラインで受けた質問に基づいて、構成されています。 質問者 「え? キリスト教、同性愛ダメでしょう?」 30番地教会牧師 「いや、そんなことないですよ」 質問者 「だって、いやーやっぱり、同性愛は異常じゃないですか」 30番地教会牧師 「それはあんたがそう感じてるだけで、同性愛者から見たら、あなたが異性が好きなのが異常に見えるはずですよ」 質問者 「聖書に同性愛はいいって書いてあるんですか?」 30番地教会牧師 「いいえ。むしろ『死ね』って書いてあります」 質問者 「じゃあダメなんじゃないですか、やっぱり」 30番地教会牧師 「でも、そんなこと言い出したら、同じ聖書に『反抗的な息子は死ね』って書いてあるんですよ?」 質問者 「そんなー。ムリですよ。人口が半減してしまう」 30番地教会牧師 「じゃあ、あなたも人にムリなこと要

  • http://twitter.com/asshuku/status/1747627242

    http://twitter.com/asshuku/status/1747627242
    ggg123
    ggg123 2009/05/12
    ボットも苦しむのかな。これが死んでいるでもいいはずなのに。
  • 『聖書』を読む(4) - charisの美学日誌

    [読書] 『ヨブ記』(関根正雄訳、岩波文庫) (挿絵は、同じくブレイクの描いたヨブ。) C.G.ユングの『ヨブへの答え』(原書1952)は非常に面白い。邦訳は二種類(野村美紀子訳/ヨルダン社、林道義訳/みすず書房)。ユングは、神を「集合的無意識」として、すなわち、ある時代の民衆の心の無意識的な働きの対象として捉える。神は物理的事実としては存在しないが、心理的事実としては、十分に実在的である。つまり、神を一種の社会心理学的対象と見るわけである。すると、「神」は決して不変の対象ではなく、歴史的に変容する心理的事実の問題になる。 そのように見た場合、『ヨブ記』は、ユダヤ−キリスト教における神概念の転換を予告する決定的な位置にある。つまり、無意識のレベルに根ざす荒々しい怒りの神であったヤハウェ神は、人間の意識が高まるにつれて、普遍的な愛の神であるキリスト教の神に変容を余儀なくされる。その転換点を象

    『聖書』を読む(4) - charisの美学日誌