シンシア・ブジョーの「詩篇を歌う」(参照)を読みながら、聖書の詩篇についていろいろ考えた。心に残っているうちに一部をメモしておきたい。 ブジョーの本はよく書けているが、意図的かはわからないにせよ関連しているはずなのに抜け落ちたかに見える話題もある。一つはプロテスタントと詩篇の関わりである。これは別途扱いたい。もう一つは、砂漠の教父たち黙想をカッシアヌスやベネディクトゥスに結びつけていく説明は見事だが、おそらく砂漠の教父たちの信仰にはそれ自体に独立した形式を伴った朗詠が含まれていたことだ。砂漠の教父たちのチャンティングは実際にはどのようなものだったか。 砂漠の教父たちの朗詠の原形の一端は、おそらくイエス・キリストも服しただろうユダヤ教の儀礼があるだろうが、それだけではなく、現代のコプト教会やエチオピア教会に残る、呻るようなチャンティングもあったのではないか。これらは、聴き方にもよるが日本の木