この記事をnoon75氏と彼を知る者たち、彼を知らぬ者たちに捧ぐ。 小説一本書か(け)ないでも小説理論家という人種はいくらもいて威張っているが、建築は実際に何かを造ってみせてなんぼという特異な世界だ。理屈がいつも、もの造りの「実体論」に揶揄されてしまうなかなか面白い世界の中で、たかだかこの100年一寸という建築「史」、建築「批評」が自虐的に理屈を尖鋭化していく様子が面白いし、痛ましい。 たしかに小説は実体を持つわけではない。しかしやはり、小説理論の歴史を持たないわが国では、小説理論の語れない小説家はさして問題にされないが小説の書けない小説理論家は不審者であり、揶揄の対象となる。そして実作側からやってくる揶揄によって理論が尖鋭化してしまうことだってある。 ときには、物議をかもした高橋源一郎の「小説は小説家にしかわからない」といった発言もあるものの、「実作側からやってくる揶揄」というのはおもに