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businessに関するgitanezのブックマーク (57)

  • Il a connaisse

  • 欲望を知る: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分が欲しいものがわかっているか。自分がやりたいことがわかるか。 このことが売れるものをつくること、ビジネスを成功させるうえでの最低限の条件ではないかと思うのだけど、どうだろう? ちゃんと自分の欲望に気づく感受性を養えているだろうか? 自分の欲望に気づく感性を持ち合わせていないのなら、他人の欲望を理解することがきわめてむずかしいはず。他人の欲望を解せず、他人にものを売ることは困難だろう。他人が欲するものをつくることはできないだろう。 自分の欲しいものがわかっているか。自分のやりたいことがわかっているか。 それができていないのなら、ものづくりはできない。ビジネスを創造することもできないだろう。 ものをつくり、売るための想像力が欠けているものを売ることから体験を売ることへ。そん

  • プロジェクトの定義とデザインプロセス: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 "Context of use"―。 それはHCDプロセスそのものに対してもいえることではないでしょうか。 どのような手法をどのように用いてプロセス化するかというプロジェクトのデザインは、プロジェクトのコンテキストそのものを定義しなくては決まらない。もちろん、それは人間中心のデザインに限らず、すべての計画、設計、デザインにおいて―。僕はそう考えます。 ゆえに、以下の考えには賛成です。 HCDプロセスの導入は、きっちり決まった手法では無く、案件ごとに流動的なものであります。クライアントの意識や会社風土、ユーザの意識やリテラシー能力など案件ごとに様々ですよね。 HCDプロセスは「こうでなくてはいけない。」という事は無く、もっとクライアントそれぞれのコンテキストに合わせた導入方法

  • 意味論的転回―デザインの新しい基礎理論/クラウス・クリッペンドルフ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すでに何度か紹介してきたクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』ですが、まとまった書評を書いていなかったので、あらためて紹介してみようと思います。 なんといっても、これからのデザインの意味、そして、今後の人間社会の意味を問い直すためには非常に有効なだと思いますので。 さて、書のなかでクリッペンドルフは、 デザインとは物の意味を与えることである。 と述べています。 また、別の箇所では、 デザインは他者に対し現実化可能な人工物を提案することである。 とも言っています。 「物の意味を与える」というのは、僕は人と物とのあいだにインターフェイスをつくることだと理解しています。 もちろん、ここでいうインターフェイスはコンピュータやデジタル機器のGUI

  • マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日「製品中心から人間中心のデザインへ」というエントリーを書いたが、それに関連して「デザインの新しい基礎理論」で紹介したクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』というのなかに、僕がずっと感じているマーケティングやユーザビリティに対するデザイン側からの疑念と一致するくだりがあったので紹介しておこうと思います。 マーケットリサーチはデザインの革新を制限するだけでなく、人工物の生涯におけるきわめて限定された段階、すなわち販売に焦点を当てることで、デザイナーを失望させた。 まずはマーケティングリサーチに関してですが、ほとんどのマーケティングリサーチがデザイナーにとっては意味をなさない結果しかもたらすことができないのではないかと僕もずっと感じています。

  • 真似からはじまる自己の再認識: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 かつて読んだはずなのですが、いま読み返しても感心してしまいます。 まず、自分の信義においてその対象が「当に大切なこと、あるいは価値があるもの」と思うのであれば、徹底的に模範として活用してみること。次に、ひとはどんなに他人のマネをしてもマネし切れない自分を発見するものです。そのギャップこそ他ではない自分自身です。そのとき初めて自分の真実を発見した瞬間と言えるのではないでしょうか。その後はその芽を試行錯誤しながら、育てていく中にだれもマネの出来ない独自性が出来上がってくるように思えます。 「独自性」というキーワードで書かれたものですが、まずは守・破・離や、真似から話を進められています。最近、自分でも「稽古不足 」や「型と形」、「型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ

  • 業務プロセスと人材教育に視点をおいた企業戦略の見直し: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「マーケティング、マネジメントを組み立てなおす」に引き続き、企業戦略の見直しと、そのためのツールとしての戦略マップ、バランスト・スコアカードの利用について書いてみようと思う。 今日は特に、企業における価値生産のための方法、プロセス、そして、そのための人材育成というところにフォーカスして。 CSF:主要成功要因バランスト・スコアカードの基的な考え方は、ビジネス戦略上の目標である重要目標達成指標(KGI=key goal indicator)を達成するために、「財務の視点」「顧客の視点」「業務プロセスの視点」「学習・成長の視点」の4つの視点それぞれに対して下図のように主要成功要因(CSF=critical success factors)を設定し、各CSFの関係性を定義

  • Webマーケティングを組み立てる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ここ最近(というか、すくなくとも1年以上は)、Webマーケティングに関する話題を書いていなかったが、今日はそういう気分なので、ちょっと自分の知っていることを整理してみる(なんとなく自分的には原点のひとつに立ち返ってみようという気になったので)。 最初にこれだけは書いておこう。 はじめにラフな形でも売れるしくみの絵が描けていなければ、マーケティング・コミュニケーションは成功しない、と。最初は木を見るのではなく森を見る視点が必要なのだ、と。 時間は何より大事なので、絵はコミュニケーションをはじめる時点では一部は「絵にかいた」であってもよいが、全体の売れるしくみの絵すら描けていないのであれば、成功はおぼつかない。 やってみないとわからないというのは「絵にかいた」があってはじめ

  • 東洋文化史/内藤湖南: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 原研哉さんとの対談集『なぜデザインなのか。』のなかで、イタリアで活躍しているデザイナーの阿部雅世さんは、デザインというものを日語に翻訳する際に「生活文化をつくる仕事」というふうに訳してみたらどうかということをいっています。そうしたデザインの仕事をするためには、前提として「質のいい暮らしをするためには、自分自身が、文化に支えられた生活をすることが必要」「自分の生活を支える哲学を豊かにすることがたぶん必要」ともおっしゃっています。 今年1年を振り返ってみると僕にとってこの1年というのは、まさにこの「生活文化をつくる仕事」ということを公私ともに考え実践してきた1年だったという気がします。 「公」というのは『ペルソナ作って、それからどうするの?』の出版や情報デザインフォーラム関連

  • iPhoneへの道は一日にしてならず: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「UIだけiPhoneを超えるとおっしゃるんですか?」の補足として。 僕みたいにほとんどiPhoneについてまともに考えてみたこともない人間の言葉より、えふしんさんがちゃんと考えてくださってるこちらの文章がおすすめ。 以上はUIとしての話であって、iPhoneとしてのメリットは、タッチパネルの特性であるプログラマブルなUIを生かした、ゲームやさまざまなアプリによる、App Storeの存在が重要だ。 えふしんさんは「結局、iPodという音楽再生デバイスから脱皮した先に、マルチユースの携帯デバイスというコンセプトを実現するために、タッチパネルを採用したと考えてみる」と書いてらっしゃいますが、僕もこの視点は重要だと思っていて、iPhoneがいきなり生まれたと捉えるより、iPod

  • UIだけiPhoneを超えるとおっしゃるんですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    うーん。情報デザインフォーラムなどで普段ご一緒させていただく山崎さんも絡んでるので、あんまり否定的なことは書きたくないですが、いちお、自分の意見は示しておきます。 HCD-Netで「iPhoneに超えるには」というイベントがあります。 イベント自体は「iPhoneに超えるには」というテーマになっているようですが、内容をみるとなぜかUIのことばかりなのは大いに不満です。UIだけiPhoneを超えてどうするつもりなのでしょうか。ユーザーがiPhoneUIだけを期待してiPhoneを使っていると考えているのでしょうか。それがHCDなんでしょうか。 僕がHCDをどう捉えているかは著書『ペルソナ作って、それからどうするの?』で「ウェブサイトでなく人びとの暮らしをデザインする」と書いているとおりで、あくまで人びとの暮らしや仕事のなかでの問題をどう解決するか、その具体的な解決策を提示することだと考えて

  • 宝が欲しけりゃ、手柄は他人にゆずれ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトルはちょっと韻をふんでみました。 と、そんなのんきなことを言ってる場合じゃなくて、これ、大事なことだと思うんですよね。 自分で手柄を立てるのではなく、部下に手柄を立てさせる特に人の上に立つ人ならなおさらで、部下の働きは正しく評価し、自分の働きがそこに加わっていたとしても、手柄は部下にあたえて持ち上げるくらいが必要だと思います。 この知識社会、情報化社会において、部下の能力をいかにのばしてあげるかは上に立つ者にとっては大事な仕事だと思うんです。それには社会やまわりの人間から部下が認められるようなサポートをしてあげなくてはいけません。いかに自分の手柄を立てるかではなく、いかに部下に手柄を立てさせるかこそ考えるべき。 もちろん、部下がやってもいないことを部下の手柄に見せる必

  • どこに「心を配る」のか: DESIGN IT! w/LOVE

    数日前に紹介した『「はかなさ」と日人―「無常」の日精神史』のなかで竹内整一さんがこんなことを書いています。 「はかる」という営みは、人がある意図・計画をもって生活するときには、必ず求められる基的な営みということができます。(中略)こうした発想が第一義になっている社会が、いわゆるbusiness(busy-ness=忙しさ)社会とのことですが、そこでは何より「はか」がいくこと、はかばかしくも結果を手に入れることが求められます。結果や成果から、今現在のあり方やふるまい方を決めるべく要請されてくるということです。 これを僕は「「はかなさ」と日人―「無常」の日精神史/竹内整一」というエントリーのなかで、デザインの問題でもあるなと考えました。 デザインとは、はかりごとにほかならないのですから。 では、そのとき、何をはかるのか? 生産性ではないことは「デザインへの理解を深める」で、「デザイン

  • 続・デザインへの理解を深める:デザインの業界分類について: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1つ前のエントリー「デザインへの理解を深める」では、<デザインとは、どうつくるかではなく、どう使われるかを考えること>ではないかと考えてみました。 おそらく、読んで「へー」と思われただけの方がほとんどで、自分なりにそれがどういう根的な変化を現在のデザインの現場にもたらしうる可能性をもっているかに気づかれた方はそう多くはないでしょう。 でも、ちょっと考えてみてください。 <どうつくるか>よりも<どう使われるか>を第一義的に考え、優先するとどうなるか?を。 これ、結構、ラディカルな変化をデザインの現場にもたらす可能性をもった爆弾なんですよ。 つくるもの別ではなく用途別のデザインのカテゴリー<どうつくるか>よりも<どう使われるか>のほうを優先するということは、言い換えれば、つく

  • 「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史/竹内整一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視野が狭い人が多くなっているのではないでしょうか。 一手先までしか読めない人。自分の専門分野のことしかわからない人。他人の気持ちが想像できない人。 とにかくすぐ目の前のことしか考えられないし、自分の狭い視野の外にあることを想像しようとしないし、想像できるよう努力したりもしません。 いまできることベースでしか考えることができず、わからないことがあったら単にギブアップするだけで、たとえ1ヶ月くらい猶予があってもその間にわかるために関係するを10冊読むとか、片っ端からネットや人から情報を集めてのりきろうという努力もしようともしません。 さらにやっかいなのは、自分の「できない」はすぐに認めるくせに、他人の「できない」は見逃さないし、できる人にはただひたすら頼るばかり。 なぜ自分で

  • Web業界の人だからこそ、Web屋はこれから何つくるんですか?と言っています: DESIGN IT! w/LOVE

    はっきり言っておきます。下記の質問に対する答えは"NO"です。 その原因が、何を作っているかわからないというのは、それぞれのウェブ屋が持っているプライド(お客に納品したものの品質)そのものを疑っているというわけじゃないのですか? そんなことは疑ってはいません。これっぽっちもね。いや、疑うどころか、先のエントリー「Web屋さんって何をつくるお仕事なんですか? その職業の方は必要なスキルが多いんですか?」ではその点に関してはまったく問題にもしてません。見ず知らずの人のことまではわかりませんが、すくなくとも自分のまわりの人間の納品物に関しては何も疑うところはありません。疑うくらいなら、現場で文句いいますよ。 ここだけはいったいどう誤解をすればそんな話になっちゃうのと書いておきたいと思います。 上記のエントリーは、まったく僕の書いていることを読み違えているとしか言いようがありません。とはいえ、僕の

  • Web屋さんって何をつくるお仕事なんですか? その職業の方は必要なスキルが多いんですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    井の中の蛙じゃないでしょうか。 ホームページを作る人のネタ帳さんでは、職種に対して職能を分解しているが、全部できる人なんていないから。 ただWeb屋が他のIT職種の中でも広範囲なスキルを求められるのは事実だ。 Web屋が他より広範囲なスキルを求められるなんてウソでしょ。 それって単にWebに閉じた人たちの妄想なんじゃないでしょうかって僕は思います。 他の分野のこと想像して言ってる?確かに、Webをつくるのにどんだけの作業が必要かを想像しない人に、作業量と見合わない予算と期間を提示されて「これでやってよ」っていわれることは多いはずだし、仕事のプロセスや職能の分化がきちんと行われていない業界だから、ひとりに求められるスキルの量が多いって感じられることはあると思います。 だからって、Web屋の仕事に求められるスキルがほかより多いかどうかってのはあやしいんじゃないでしょうか? それって単に隣の芝生

    gitanez
    gitanez 2007/12/23
    井の中の蛙大海を知らず、されど、空の深さを知る
  • ゴールがお好き? それともプロセスのほう?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ありがとうという姿勢はいいと思う。ただし、その前提には違和感がないわけではありません。 好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。 ありがとう。 今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。 違和感を感じるのは、何も好き嫌いは仕事に対して感じ追い求めるものではないと思うからです。きっとあまり好きでない仕事をしてる人も、ほかに好きなことがちゃんとあるんじゃないかと思うんです。 まぁ、もちろん、それもない人だって中にはいると思いますが、その人だってもしかしたら生きていくことが好きなのかもしれないじゃないですか

  • 日本のデザイン環境におけるデザイン教育に必要なもの: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日は横浜デジタルアーツの浅野先生にお呼ばれして、多摩美・上野毛校舎で行われた「情報デザイン教育プロジェクト研究会」に行ってきました。 武蔵野工業大学 環境情報学部の小池先生や専修大学 ネットワーク情報学部の上平先生の講演があったり、フリーのディスカッションがあったり有意義な時間を過ごさせてもらいましたが、今日書くのはその内容じゃありません。 ここで書くのは、研究会の編がお開きになった飲みの席で、浅野先生から聞いた「情報デザイン系の学校は就職はいいけど、学生が集まりにくい」って話です。 「情報デザイン」という名前は高校生にはわかりにくい?正直、へーそうなの?って思いました。 浅野先生がいうには、「情報デザイン」という名前が、高校生にはわかりにくいんじゃないかということ。確

  • 「主」と「客」の非対称性:なぜ、おもてなしが必要なのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    「おもてなしの姿勢:「主」と「客」」や「デザインとこれからの時代の経営課題についての一考察」、「まことのこころ、数寄のこころ」などのエントリー、ここ数回続けて、おもてなしや「主」と「客」の非対称性などについて、ごちゃごちゃ書いています。 ところで、なぜ、おもてなしが必要なのか? それはね・・・。 職人は、それがどんな職種であれ、客の奴隷である。そして客には「潜在顧客」も含まれる。すなわち素人である。 そう。職人・専門家はすべて客の奴隷です。これこそ、まさしく「主」と「客」の非対称性です。 客をもてなす気はあるの?職人として客を自らの領域に招いた以上、客をもてなすのが主人の役目です。 「口が悪い職人」とかいうイメージがありますが、それは「まことのこころ、数寄のこころ」でも書いた数寄の精神を極端に広げた上で、それが粋なものだという「奇」の精神の系譜の上で成り立っていることを忘れては成り立ちませ