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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (64)

  • 2020年を振り返って: 極東ブログ

    ブログは久しぶりになる。この間、ほとんど日々ツイッターでなにかしらつぶやいていたので、多少なり私に関心ある人がいても私の健在は伝わっていたかと思う。ブログを実際上休止していたのは、ブロクを書く気力がなかったことと、来年に向けて準備を進めていることに注力したかったからだ。後者についてはだいたい準備は終わった。来年の方向も見えてきた。何をするかというと、少しアカデミックな研究をしたい。世の中は「独学」がブームのようでもあるし、私も独学的な人であるが、できるだけそうではない方向になるだろう。 今年を振り返って、もう一つ私事の方向転換で次に心にかかっていたことは、現実に私を取り巻く人々の関連でもあるが、簡単に言えば、4人もいる子育てにそろそろ終止符を打ち、老後の人生に向かうことだ。この夏、63歳の誕生日をきっかけにいくつか年金書類の申請をした。自分が老人になったのだと思った。 さて、このブログにも

  • [映画] ヱヴァンゲリヲン新劇場版(序破Q): 極東ブログ

    この夏見るつもりだった『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』がコロナ騒ぎでふっとんでなんとなく宙ぶらりんだったが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版の3部作(序破Q)をオンデマンドで見た。見たのは初めてある。そう言うとエヴァの初心かのようだが、いちおう事実だけ言っておけば、私は、『新世紀エヴァンゲリオン』とその関連映画は見ている。同時代的に見ているわけではない。NHKが再放送したのをきっかけに見た。すでに世の中には解説が溢れているので、既放送分の謎の全貌がわからないわけではないが、結末が意味不明であり、つまるところ、それゆえに作品としては全体としてのは意味不明という感じが残り、まがりなりにも完結したコミック版も全巻持って、当然いくどか読み返した。 コミック版はアニメのキャラデザの貞義行によるコミカライズでアニメ版よりも少し先行して1994年12月から『月刊少年エース』に連載されていたものだが、完結

  • 「国家の重⼤局⾯」で複数の声はどのように可能なのだろうか?: 極東ブログ

  • これは東京オリンピック中止(延期)かな: 極東ブログ

    ああ、これは東京オリンピック、中止かなと思った。物騒なので書かなかったが、以前からその想定もしていた。が、まあそろそろ言ってもいいレベルになってきたなあと思った。その一番の要因は、トランプ米国大統領が12日、その意見を表明したことだ。 もちろん、「中止」という言葉は修辞的に「延期」とされていたし、実際のところ、まったく中止で以降はなし、というわけにもいかないだろうから、延期にはなる。インディペンデント紙のリードでは、"Olympics should be cancelled amid coronavirus outbreak, Donald Trump suggests"(ドナルド・トランプは、コロナウイルスの発生中にはオリンピックをキャンセルすべきだと示唆した)とあるが、「キャンセル」という言葉も響く。修辞的には「キャンセル」は「中止」とは違うとも言えるが、実質同じだろう。 「キャンセル

  • 「COVID-19」をどう読むか?: 極東ブログ

    COVID-19」をどう読むか? 読み方がわからない。 そもそも、「新型コロナウイルス」という名称は、「新しい型のコロナウイルス」という、どちらかというと一般名称であって、固有のコロナウイルスの名称ではない。 2003年に大きな問題になったSARS(サーズ;重症急性呼吸器症候群;Severe Acute Respiratory Syndrome)もコロナウイルスによるものである。病原体はSARSコロナウイルス。当初、SARSは日では、新型肺炎や非定型肺炎と呼ばれていた。 その10年後に話題のMERS(マーズ;中東呼吸器症候群;Middle East Respiratory Syndrome)も病原体はコロナウイルスである。記憶にあたってみるが、これ、報道上「新型肺炎」と呼ばれていたか定かではない。韓国ではアウトブレイクしたが、日ではどうだっただろう。いずれ身近なニュースでもなく、報道

    globalhead
    globalhead 2020/02/28
    "「新型コロナウイルス」の正式名称は何か?SARS-CoV-2である。ところで、SARSの病原体名は何だったか?SARS-CoVである。この「新型コロナウイルス」はSARSの病原体の一種なのである。"
  • あなたの時間を吸い取る「果てしないプール」: 極東ブログ

    世の中がおかしなことになってきた気がする。というとき、おかしいのは自分のほうかもしれない、とも思う。が、とりあえず自分にとっては、世の中がおかしいという感じはする。 具体的には、2つ思う。1つは、新型コロナウイルス騒ぎである。感染症自体より経済的な波及や社会心理の側面が大きな問題になってしまった。もう1つは、ネットである。端的な例でいうと、Twitterが気持ち悪い。 とかいうと、おまゆう、の類だが、これもそう感じる自分がいる。これに関連していることだと自分では思うのだが、街なかで中年から初老スマホゾンビが増えたと思えることも、気持ち悪い。なんでこんな爺さんがスマホ見ながらぼんやり歩いているのだろう、危ないなあと。スマホ見るのはいいけど、立ち止まるか、座れよ。 この2つをあえて1つの問題意識にまとめる必要はないのだが、それらの根にあるのは、情報のありかたではないだろうか。スマホ経由で入って

  • 日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡: 極東ブログ

    年末、日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡という珍事というか、洋ドラのような話を聞いて、そう、まさに、洋ドラのように面白いなあと思ったのが、第一印象である。いやあ、まじでそういうことがあるんだなと。もちろん、保釈中に国外逃亡という事例が今回初めてというわけではないにせよ、これはさすがに面白すぎるだろう。 で、面白ろがっていていいのかだが、日の国法に対する挑戦であり、日国としては真面目に向き合っていかなくてはならないのは確かだ。が、現実問題、もう済んでしまったことであり、まあ、レバノンという国を考えれば、昭和な人の思いなら当然というべきか、もうどうとなるものでもない。ゴーン被告はもう晴れて自由の身というに近い。 さて、呑気なブロガーとしてこれをどう思うかというのを簡単に書いておきたい。というか、それなりに、正月でもあり、この問題をどう考えるべきか、と、おせち料理をつまみながら

  • ボジョレー・ヌヴォー: 極東ブログ

    ワインが好きでよく飲んだものだが、病気で長く控えていた。が、それだとフランス料理がさみしい。今年辺りから、酔わない程度に少し事に添える程度は飲むようになった。その程度なので、ボジョレー・ヌヴォー(le Beaujolais Primeur)とかは飲む気もなかった。以前、なんどか飲んだときも、それほどおいしいものでもないなと思っていた。コスパも悪いしとか。 が、そうでもなかった。 社会人になった息子がボジョレー・ヌヴォーをもってきた。あのなあ、と思ったが、口には出さず。嬉しいには嬉しい、親としてということか(とほほ)。 一口飲んでみた。う、うまい、んじゃないの? あれれ。自分も年取って状況に反応しているだけかと、もう一口飲むと、うまい。 はあ、これがボジョレー・ヌヴォーっていうやつか。昔飲んでたあれは何?と思ったが、よくわからない。当時も安酒でもなかったように思うが。まあ、これがうまいなら

  • [書評] パスタぎらい(ヤマザキマリ): 極東ブログ

    について書かれたエッセイというのは、概ねおもしろいものである。それがになっているということは、編集者という他者が、これはおもしろいんじゃないかという意識を介していることだ。それなりに見識のある他者の目を介したの話なら自然に他者の広がりへと共感を産むものだ。そのことは、書『パスタぎらい』にも当てはまる。のエッセイとしてとてもおもしろい。だが、この、なんか、度を越しているぞ。 なんというのだろう、揶揄の含みはないが、イカレている、というのだろうか、昔の言葉でいうなら、ぶっ飛んでいる、のである。読み進めるに、ヤマザキマリという人はこんなにも変な人なんだというのが、ぐいぐい迫ってくる。脳がしびれてくるような感じがする。書だけにつけられた彼女のイラストの表紙のあるイカレた感じも、じわじわとくる。 カバー絵の女はなんのパスタべているのか? ナポリタンである。ヤマザキマリは35年もイタ

  • ただ恋があるだけかもしれない: 極東ブログ

    LGBTは、性的マイノリティー(性的少数者)とも見られることがあるが、定義上は違うようだ。概念的には、性的マイノリティーのなかにLGBTが含まれるのだろう。では、その差分は何か。あるいは、LGBTにさらにIやQをつなげてその概念を拡張することもあるようだが、その拡張が性的マイノリティーに至るのかというと、そう考えられるわけでもないだろう。とすれば、ある理想形としての差分がありそうにも思える。それはBDSMなど性的な嗜好を指すのかもしれないが、そもそもBDSMを性的な嗜好という嗜好の概念で捉えてよいかもわからない。PTSDなど何らかの要因が表面的に嗜好のように見えるものを形成しているだけかもしれない。映画『愛の嵐(Il Portiere di notte)』を連想するように。意外とこの問題は難しい。 と書き出して、私は遠回しになにか異論を述べたいわけではない。 あるいは、異論ということではな

  • たぶんそれはこういうことでテロだった: 極東ブログ

    ブログを書かないでいることにあまり違和感もなく過ごしていて、まあ、自分にとってそういう時代になったのかなとも思う。そうした感慨はさておき、それでも心のどかで自分はただのブロガーであるべきだ、つまり、たかがブロガーであるべきだという奇妙な使命感のようなものがあり、それは、市民として複数の声が社会に必要なときには、声をあげようということだった。さて、その時だっただろうか、と思い悩んだのは、インターネットセキュリティー関連会社「スプラウト」の社員、岡顕一郎さん(41)の殺害事件を知った時だった。 彼はネットの世界ではHagexさんとして知られていたらしい。実は僕は彼のことを知らなかった。名前は聞いたことがあるし、話題の炎上案件とかでブログを読んだこともあるが、そのHagexさんという名前での認識はほとんどなかった。たぶん、彼もまた、「finalventさん」は知らなかっただろう。まったく関心が

  • [書評] ごまかさない仏教(佐々木閑・宮崎哲弥): 極東ブログ

    仏教学者の佐々木閑に、仏教者と称する評論家・宮崎哲弥が、仏教とは何かといったことを問うという、出版社あるあるの対談書だろうと、『ごまかさない仏教(佐々木閑・宮崎哲弥)』(参照)について予断をもっていた。というのも、宮崎について、もうずいぶん昔になる、というか曲がりなりにも小林よしのりのゴーマニズム宣言を読んでいたころのことだ、宮崎が仏教者であることがその漫画でおちょくられていた。小林に共感しない私ではあったが、宮崎の仏教観もヘンテコなものだなと思ったものだった。人の宗教観というのは存外に変わらないものだから、宮崎のそれも同じだろうし、佐々木も最近の国際的な仏教学を知識を淡々と語るくらいかな、いずれ私が読むような対談でもあるまいと思っていた。『ゆかいな仏教 』(参照)みたいなかなと。 が、この『ごまかさない仏教』は、そうでもなかった。おもしろい。読み進めるにつれ、勉強になってしまうのであ

  • [書評] 不便でも気にしないフランス人(西村・プペ・カリン): 極東ブログ

    2017年、今年はどういう年だったかと振り返るといろいろ思うことがある。例えば、このブログ、何か月間だろうか、お休みしてしまった。お休みとかいうのは体のいい言い回しだし、まだ再開しましたよというほどの自信もないんだけど(ああ、不安)、つまり、長期に更新しない状態なのか、ブログをやめてしまったのかわからないような状態だった。ブロガー引退かな。もともとブロガーなんていうのは肩書にもならない無なんだけど。 その間、ブログを書かないでいる間だけど、自分が何をしていたのかというのが、ブログの裏面から見る今年の活動ということになる。何だったか。いろいろあった。まずひとつ言えるのが、フランス語を勉強していたということ。 以前からもフランス語を勉強してはいたのだけど、十分ではないなと思っていた。教科書だけではなくオーディオ教材は使ってフランス語を学んでいたものの、実際にフランス人からフランス語を学ぶという

  • Panasonicマルチグリラーで魚や肉をこんがり焼いたらうまかった。煙もほとんど出ない: 極東ブログ

    暑くなるとの趣向を変える。それ以前になんか作るのもおっくうになる。そうなると、私なりに世界の人の調理を見てきた結論でもあるが、適当に材を切って塩をしてオリーブオイルをまぶしてオーブンで焼く。野菜でも肉でも魚でも、それなりにうまくなる。意外に野菜は焼くとうまいものだ。魚は蒸し焼きならホイルしたり、塩釜にしてもいい。それはそれで美味しいのだが、ちょっと不満もあった。 特に魚がそうだが、オーブンだと七輪で焼いたうまさに及ばない。村上春樹の紀行「遠い太鼓 (講談社文庫)」(参照)だったと思うけど、一番美味しい魚料理としてギリシア人が七輪で魚を焼く話があった。この紀行文に春樹さんが雨のカバラを訪問するという話があるが、私もカバラに行って鰺の塩焼きをべた。ああ、塩焼き。 情けないなと思うのだが、毎度おおきに堂の塩焼き秋刀魚がけっこううまい。私は秋刀魚はフライパンにオリーブをひいて蒸し焼きみたい

  • [書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア): 極東ブログ

    昨日、フランス大使館を筆頭に内閣府や森美術館が主催した日仏フォーラム「人工知能は社会をどのように変えるのか?」に参加した。終日にわたる時間を費やした内容の濃いフォーラムであった。得るものは大きかった。フォーラムの紹介文書はいまだPDF形式でダウンロードできる(参照PDF)。 また、この手のフォーラムにありがちな英語=国際語ということもなく、進行案内はすべてフランス語でなされた(ただしフォーラム司会は日語)。つまり、日語とフランス語のみのフォーラムだったのである。その点でも興味深いものだった。熱く語れるフランス語の議論を聞いていると、フランス国内ではこうした熱意で日々弁論が交わされているのだろと確信された。 このフォーラムのパネリストの一人が書の著者ジャン=ガブリエル・ガナシア教授である。発言が興味深かったので、もう少しその思索について知りたいと思っているところ、会場で同書が販売されて

    [書評] そろそろ、人工知能の真実を話そう(ジャン=ガブリエル・ガナシア): 極東ブログ
  • 三酔人徒政問答2: 極東ブログ

    南海 やあ久しぶり(参照)。ところで出席予定だった終風君だが来られなくなった。体調が悪いらしい。こんとこブログにも穴を開けていたしからな。 洋学 別にあんなやついなくてもいいよ。ブロガーがどうたらっていう時代でもないしな。 豪傑 それもそうだが、終風君がポリタスに発表していた『日の「18歳選挙権」は高校改革からやり直せ』(参照)は悪くなかったよ。先日の参院選といい都知事選といい、「18歳選挙」の実現だったわけだが、この問題についてもっときちんと日の社会は対応すべきだったし、今からでも遅くない。 洋学 豪傑君からその言葉を聞くのはちょっと意外だ。君なら、若者の選挙といえば、SEALDsで事足りていると考えていたんじゃないのか。あれもSMAPみたいに解散したらしいがね。 南海 ところで洋学君は、前回の話のとおり、都知事選では「舛添要一」に投票したんだろうね。 洋学 そうだよ。何か疑問でも。

    三酔人徒政問答2: 極東ブログ
    globalhead
    globalhead 2016/08/24
    終風さんが先日59歳になってしまったのか……お誕生日おめでとうございます。
  • [書評] 脳梗塞日誌 病棟から発信! 涙と笑いとリハビリの100日間(日垣隆): 極東ブログ

    ライターの日垣隆さん、と私などは呼びたいようにも思うが、彼は主に、一時期ではあるが「作家」と称していたようにも思う。『「松代大営」の真実 隠された巨大地下壕』(参照)や『そして殺人者は野に放たれる』(参照)などの著作歴からすればジャーナリストと呼ぶのが適切かもしれない。私と同年代(彼が1年ほど年下)ということや、三人の子育てを真摯にされていたこともあり、初期作品からもその著作にはずいぶん馴染んでいたし、初期の彼のメルマガ読者でもあった。 が、2010年頃から彼は、いわゆる作家業よりもビジネス、特に英語学校経営などに取り組まれていたようだ。そしてその頃から私もあまり彼の作品は読まなくなくなっていた。噂ではあったが、糟糠のというものでもないのだろうが、子離れを契機に離婚され若い女性と再婚されまた新しくお子さんをもうけられたように聞いた。実はそのあたりこと、その後の生活のことも知りたくて

    [書評] 脳梗塞日誌 病棟から発信! 涙と笑いとリハビリの100日間(日垣隆): 極東ブログ
  • 「PSYCHO-PASS サイコパス」と比喩: 極東ブログ

    「PSYCHO-PASS サイコパス1」 「PSYCHO-PASS サイコパス1」を見終えた。劇場版のほうはすでに見ていたし、そこからおおよその構成は知っていた。が、アニメのほうも通してみると面白かった。まず、普通にアニメとして面白い。きれいに描けている。脚は緻密だ。しかしそれよりも、長年考えていたことの比喩をいろいろ思い出すきっかけになったことに、自分には意義があった。2のほうを見終えたからなんか書くほうがいいかもいれないとも思うが、そうこうしているとなにも書かなかったりもするので、少し触れておこう。以下、たぶん、ネタバレが含まれることになるので、ご注意。 比喩というのは、オウム真理教事件である。この事件がなんであるかについて、という話とは違う。あの事件がなんであったかは、私には今だによくわからない。ごく初歩的な事実関係ですら、よくわからない部分がある。だが大別して、二つ、ずっと思って

    「PSYCHO-PASS サイコパス」と比喩: 極東ブログ
  • なんとなく見た映画のこと: 極東ブログ

    映画を見たからといってブログに感想を書く必要もないが、記憶の整理がてらに少し書いておいてもいいかもしれない、ということでいくつか。 スターウォーズ フォースの覚醒 いちおうスターウォーズのファンでもあるので、新シリーズも見ておくかなとDVD化を待って見た。上映時いろいろ評価が高かったように思えたので期待していた。が、見終えて、もにょんとした。駄作とまで言わない。レイ役のデイジー・リドリーはよかった。脚や映像も悪くない。というか、スターウォーズってこういう映画だったよな、という違和感はないのだが、いやなさすぎて逆に奇妙な感じだった。「こういう映画だった」という過去形の表現がぴったり。これまでのスターウォーズのパロディではないが、オマージュ作品というか、二次創作という印象が深い。ルーカス人だったらこうじゃなく、新しい映像と世界観とフォース哲学を展開したんじゃないかと思うと、ないものねだりだ

    なんとなく見た映画のこと: 極東ブログ
  • 「暴走地区Zoo」が残念ながら面白かった: 極東ブログ

    正月、まあどちらかというと偶然なんだが、「暴走地区Zoo」というWowow洋ドラマを見ていた。当初、つまらないだろう、大したことないだろう、と高をくくっていた。のだが、ちょっと見始めると面白くて、結局、夢中で見てしまった。 これが、動物全体が突然変異で人間を駆逐しようとするのに対抗して男女5人が戦う、というありえない設定であるうえに、ストーリーの展開はてんこ盛りのご都合主義。おまけに日の原発事故関連の都市伝説的な話題や遺伝子操作産業の陰謀論とか、ネットに転がっているお子ちゃま向けのアホ話を切り貼りしたような内容。これはアカン、というか、こんなもの面白がって見ている私はそうとうにアカンのじゃないかと思ったが、面白かったんだよ。 「ブレイキング・バッド」や「アフェアー」とか、洋ドラマは、中年から初老に向かう男の心情にもぐいぐいと迫るのがあるものだなと注目していたのだが、すべてがそういうシリア

    globalhead
    globalhead 2016/01/10
    題材が何であろうと「観てみたい」と思わせるレヴューが最高のレヴュー。いいね。