借り物ではない、自分だけのマンガ関連のトピックを書いていきたいと思ってます。都立板橋高の卒業式「妨害」、元教諭に罰金刑 東京地裁 http://www.asahi.com/national/update/0530/TKY200605300124.html --- 定年まで勤務していた東京都立板橋高校の04年の卒業式に来賓として訪れた際、開式前に保護者らに国歌斉唱時に起立しないよう呼びかけたなどとして、同校元教諭・藤田勝久被告(65)が威力業務妨害罪で在宅起訴された刑事裁判で、東京地裁は30日、無罪主張を退け、罰金20万円(求刑・懲役8カ月)の判決を言い渡した。村瀬均裁判長は「式の遂行は現実に妨害された」として威力業務妨害罪の成立を認めた。一方で「元教諭に対する非難は免れないが、元教諭は式の妨害を直接の目的としたのではなく、式もほぼ支障なく実施された」と述べ、懲役刑ではなく罰金刑が相当
今週のニューズウィーク日本語版のカバー「学歴難民クライシス」が面白かったといえば面白かった。高学歴になるほど就職しづらいという話だ。「就職できない一流大卒が急増 ブランド校を企業が警戒する理由」と補足されている。記事のほうの標題は「世界にあふれる高学歴難民(Overeducated & Unemplyed)」。リードはこう。 有名大学や大学院を出ても企業から冷たくあしらわれ事務職や短期雇用に甘んじる「学歴でっかち」が増殖している まあ、そんな話。 いきなり個人的な述懐になるが、自分もいつのまにか大学からはるか遠く離れ、かつてそこで学んだものがビジネス的にはなんの役にもたってないなとはっきりわかるので、こうした話にそれほど違和感はない。 では大学での学問になんの意味がなかったかというと、それはそれなりにそうでもなく、世界の眺め方が変わったなとは思う。いずれにせよ、済んだことは良いように解釈し
「週刊エコノミスト」をランチタイムに読みました。明日にはおっさんになってしまうかもしれません。 特集がウェブ2.0とはなんぞや、で、後ろのほうには私も参加したLAの「LOHAS10」の模様とLOHAS事情の記事が。ちょうど昨日原稿を書いていたのでなかなか面白く拝見。というか先に読んでおけばよかったぜ。 2.0がらみの記事では、梅田さんのインタビューの中の「『エリートと大衆』の間にかなり質の高い第三の層(中略)が台頭することが大きいと思う。」という部分、 こんな人がソトに対して発言できる機会が多くなるのは社会にとって益というお話なのですが、『ウェブ進化論』の同様の内容の記述ではあまりピンとこなかったのですが、 内容の実例で、 「今まではあまり外に対して発言をしてこなかったけれど、『中学や高校のクラスの上から5人』とか、『親戚という小さなコミュニティーで一番敬意を持たれている人』とか」 ってい
昨日ご紹介した辻大介さんのエントリーとも関連して。chikiはスウェーデンという国のことなんて何も知らないし、話題にしたこともなければ思い入れも何もないのだけれど、バックラッシュ系の議論の中で「スウェーデン」という名前が頻繁に話題になっており、見かけるたびに首をかしげていました。要するに「これまでバカフェミはスウェーデンを目標にしようとかヌルいことを言っていたけど、実はこんなにひどい国なんだぜ。バーカバーカ」というような言及のされ方がされるわけですが、これって本当なのかなあと。 「スウェーデンを見習えさえすればハッピー」という単純な主張をしている人がいればどうかと思うけれど、同様に「スウェーデン=犯罪大国」みたいなのもちょっと信じがたい。今日も、キャンペーンブログのエントリーを書こうと『正論』とかを読んでいたらこの話題をみつけたので、既に賞味期限切れの話題っぽいけれど(?)ちょっと調べてみ
上のバナー、サイズ間違えてるジャン。 続きを読む 相変わらず、林道義の文章を読んでいるのですが。「六 離婚と犯罪の比例関係──スウェーデンの国家的破綻を直視せよ」という項目に。 犯罪数が人口当たりアメリカの四倍、日本の七倍。強姦が日本の二〇倍以上、強盗が一〇〇倍である(武田龍夫『福祉国家の闘い』中公新書、二〇〇一年、一三四ページ)。なんとスウェーデンという国は世界に冠たる犯罪王国なのだ。 という記述があり、どうも実感とかけ離れているので色々と調べてみた。 続きを読む まず、そもそもなぜわたしは「スウェーデン犯罪大国論」に疑問を持ったか。 なぜなら、犯罪の発生率と家族制度の崩壊が易々と関連付けられるとは思えない。 家族制度などというものは各国家、各民族が、それぞれの歴史、宗教、文化を背景に形作るものであって、そのありようが単純な比較になじむとは思えないし、犯罪の発生率についても同様に様々安背
(このエントリには残酷な描写がありますよ) 怒り、恐れ、憎しみ、悲しみ…負の感情を与える小説を探してきた。特に読後感がサイアクの気分を味わえるような、そういう小説を探してきた。読むだけで嫌悪感、嘔吐感、恐怖感を掻き立てる、イヤ~な気分にさせる小説。「感動した!」「お涙ちょうだい」なんて糞喰らえ。読んだ記憶ごと抹消したくなる"劇薬"をよこせ。 …という企画「劇薬小説を探せ!」[参照]で、皆さまのオススメを片端から読んできた。一口に"劇薬"といってもカゼ薬からシアン化ナトリウムまでいろいろ。 「隣の家の少女」という劇薬 毒素の高いものランキングすると、こうなる こうなっていた。 1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム) 2.獣舎のスキャット(皆川博子) 3.暗い森の少女(ジョン・ソール) 4.ぼくはお城の王様だ(スーザン・ヒル) 5.砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹) 6.蝿
あなたの身近にいるパソコンにあまり詳しくない人について、その人のイヤなところ、やめて欲しいこと、改善して欲しいこと、ダメな点などをお聞かせください。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
あのー、すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですが。 皆さんは、ぼくの以下のテキストをすでに読んでいますよね。 →「劣化ウラン弾のせいで奇形の子供が」という画像は本当か で、以下のところにある画像が「劣化ウラン弾のせいだ」ということは半信半疑ですよね。 →DUによる重篤な先天性の奇形 で、以下のところにある画像なんですが、 →アジアの安全な食べ物:中国の7色に輝く河川と食品 ↑これについても半信半疑ですか? いや、以下のブックマーク・コメントを見て、 →はてなブックマーク - アジアの安全な食べ物:中国の7色に輝く河川と食品 なんか、ぼくの思っている以上に信じている人が多いのに驚いたんで。 で、画像が置いてあるエントリーのコメントから。 →アジアの安全な食べ物:中国の7色に輝く河川と食品 こういうのやめたら?という人がいますが、知っておいて損する話ではないです。信じられない人は、まんま
敵が称揚する価値を否定してその逆を主張している限り敵の言論空間の内部にいるのは、なるほどそうかもだ。言論空間の内部で対立する価値などにこだわっていてはらちが明かないってか、言論なんてぬるぬる。問題は利害。利害ってのはゼニ。対立的言論空間それ自体はただの反撃の名目に過ぎず、やるときは裏でがんがん実動部隊を相手の空間に引き入れて壊滅しなければ、完全な勝利を収めることはできない。 揉め事に、勝ちも負けがないなんてわけがない。ないとすれば、そもそも実利害がなさげなekken V.S. yuki大論争のように異なる価値観のぶつけ合いにすぎず、冷笑であり、一瞬の勝利の美酒であり、徒労に終わる。そのように愉快なネタを得たいが為に揉め事を行うプロはいないってば。きちんと事をやるにあたってはきちんと落とし前とか威嚇とかが起きるよう努力されている。 とはいうものの、このような考え方そのものも、また価値観の上に
森見登美彦氏は先日来、不運の神につけねらわれていた。 「幸運の女神」というぐらいだから幸運を司るのは美しい女性に決まっているが、不運の神は小太りの三十男で、肌がつやつやしている。そしてつぶらな瞳である。なぜだか登美彦氏はそう思いこんでいる。いまいましいこと、この上ない。登美彦氏はその不運の神に「ふわふわ太郎」と名をつけた。そういう暢気な名で呼べば苛立ちがおさまるかと考えたからだが、逆効果であった。 登美彦氏はますます腹を立てた。 ふわふわ太郎はさまざまな災厄を登美彦氏へもたらした。 執筆は行き詰まり、雑務は増え、睡眠は減り、新作を書くため一人で嵐山見物へ出かけたらカップルと女性ばかりで身の置き所がなく、さらに編集者との約束を忘れて遅刻し、寝そびれて夜中にウイスキーを飲んでみたら一人で飲んだのに二日酔いになり、バスに向かって走ったが追いつけなかったので別路線のバスに乗ろうとして走ったらそちら
こんなはてブコメントを書く予定だったのが、長くなってしまいこちらに転載。 ●[雑記][ネット世界]ネット半離脱して思うこと。 こんなモテな意見にはがんがんコメントしていくべきだと思っているので、ネットに育ちネットで生活してきた非モテとして、その嚆矢とすべくコメントさせて頂く。まぁtommyさんとはよく話す間柄だしね。 そもそもはてなをはじめとするウェブログやウェブ日記は、どう考えても「自分の日記を書く場所」であり、交流目的で作られた場所では断じてない。加えて「実態の分からない無数のネットだけの存在を相手に思考」すんのが嫌だったらプライベート日記にするなり自分で対処すればいいんだし、しかもネットウォッチしてるだけなのに何故「実態の分からない無数のネットだけの存在を相手に思考」なんてするのだろうか。なんというか海に来て「何で牛が釣れないの!」とか言われている気分だ。牛が食いたければふらんす亭に
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
2024/7/7(SUN), 7/13(SAT) Cornelius 30th Anniversary Set 7/7(日) 東京ガーデンシアター open 16:30 / start 17:30 7/13(土) ロームシアター京都 メインホール open 17:15 / start 18:00 2024/9/3(TUE)- 9/6(FRI) Cornelius "Dream In Dream" World Tour 2024 9/3(火) Paradiso - Amsterdam (NL) 9/6(金) Barbican - London (UK)
新作アニメ オタレイバー2 the Movie 〜AKIBA War〜 オタク・イズ・デッドがよくわからなかったので、アニメの紹介風に整理してみたよ。 ■あらすじ (amazonより引用) ロフトプラスワンに投下された1発の涙と情報操作により架空の戦時下におかれた秋葉原。何者によってこの状況は作り出されたのか、その目的は何か。事態を収拾するため、すでに別々の部署に配属されていた特車2課第2小隊『オタレイバー』の面々が再び集結する―― ■オタレイバーとは? サブカルチャーの急速な発展と共に、あらゆる分野に進出した汎用人間型ヒキコモリ機械『オタク』。しかし、それはオタクの内輪もめと呼ばれる新たな社会的脅威をも生み出すことになった。警視庁は続発するオタクの内輪もめに対抗すべく本庁警備部内に特殊車輌二課を設立し、これに対抗した。通称「特車二課」、パトロール・レイバー中隊――『オタレイバー』の誕生で
思わせぶりな伏線が本当に思わせぶりなだけで終わるなど、 物語の結末が十分に「オチてない」状態を指す ……なんちってな。 なんか思い返すたびに違和感が増してきたので改めて書きます。 (/rhymester/blog/2006-05-25参照) 長い上に多分つまらなくて (特にすでに映画『半落ち』を観て泣いちゃったりしてる人には) 不快な文章だからみんな読まなくていいよ! 自分用! アルツハイマー病を患った妻を献身的に介護し続けてきた、 超優秀な刑事であり誰もが認める人格者、が、 半ば本人に請われるかたちでその妻を殺害した、と自首してきたと。 ある種古典的な嘱託殺人として落着するかに見えた事件だったが、 なぜか彼は、殺害から自首までの二日間の行動に関しては、 頑なに口を閉ざしたままだった。 彼がそこまでして「守りたいもの」とは何か? 真相を究明すべく彼に接触した
「ファビョン」について、改めて書いてみたい。 「改めて」と書いたのは、1年くらい前にファビョンについては一度書きかけたことがあるからで、そのときはどうにもうまく続けることができず、中途で止めてしまったのである。 そもそもそのときは書き方がまずかった。 日本のネット界では、「ファビョン」ということばは、韓国人が「議論で反論に窮した場合などに冷静さを失って感情的になる」ようなときに使われる。しかし、それは悪意ある歪曲であり、実際の精神疾患としてのファビョンはそうじゃないのだ、精神科医として本当のファビョンの意味を教えて上げよう、という啓蒙的なスタンスで何気なく書きはじめたのだが、よくよく調べてみれば、ことはそう簡単ではなかった。 「ファビョン」は韓国特有の「ハン」(恨)の感情に関わる疾病概念であり、韓国文化と密接につながっていたのである。つまりファビョンを語るにはまず韓国文化を知る必要があると
そうかも。 なにが主張されているかということより、どういう文体で書いてあるか。 ってか、文体というのが思考なり、表出された主張のメタになっている。 で、文体というのは一種の雰囲気なんだろう。 雰囲気ぼわーんというのがあって、それが文体になって、なんか主張のように見える。 ブログでいい文章をいかに書くかとかあるが、結果論的に、まずブログには文体があるのだろう。 そして、その文体がどういう偏差をもっているかがブログの主張より重要なのだろう。 メディアはコンテンツであるというのの応用かもしれない。 じゃ、ネタは? ネタというのはある。ネタというのは文体で消化される。 それとあとは文化戦争というかカルチャー・ウォーの概念を入れれば、とりあえず、ブログっていうクラスは定義できるのではないか。 ああ、あと空気っていうのはあるか。 ネタ、空気、文体、カルチャー・ウォー、このくらいかな。 ネタは次元には入
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