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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (8)

  • 『ユリイカ』2008年6月号「特集:マンガ批評の新展開」 - shinichiroinaba's blog

    id:boxman氏の「おめーらのアングルにはのれねーよ」てなぼやきで一部で有名な誌を紀伊国屋の店頭で見かけた。 ユリイカ2008年6月号 特集=マンガ批評の新展開 作者: 荒川 弘出版社/メーカー: 青土社発売日: 2008/05/26メディア: ムック購入: 4人 クリック: 48回この商品を含むブログ (51件) を見る 評論はともかく荒川弘と島田虎之介のインタビューがあったので即買い。 まだきちんと読んでいないのだが、とりあえず荒川のあらゆる意味での――人間として、創作者として、プロとして、社会人としての――まっとうさに気圧される。やはり日まんがの2000年代をしょってたつのは荒川弘とよしながふみなのか。『PLANETS』インタビューでベタほめしたので、『Invitation』時評では少し批判的なコメントをしたのだが、なんつうかあれは揚げ足取り――とはいかないが、枝葉末節という

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  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

  • 「『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である」メモ - shinichiroinaba's blog

    ここんとこ毎日10年ぶりの英語論文を書いていて時間がないのでこんなことしている場合じゃないのだが(お約束)。 http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html#sec2 少しでもまともな仕事をやったことがある人ならすぐわかるけど、最終的な財の生産につながらずにひたすら設備投資だけが「自己目的」として増えるなんてことがあるわけないだろ! 設備ってたいがい、何か作るためのものなんだから。 これにはそれなりの解釈が可能。松尾さんは日では珍しい小野善康シンパのマルクス主義者なので、この設備投資論は小野理論の応用編として理解が可能なのでは。すなわち、資産バブルの一種としての「不毛な設備投資」の可能性、がここで展望されているのでは。 まあしかしそうすると松尾には、マルクス主義的な物神性論とケインズの貨幣論とをきちんと結びつけるという任務が課されてしまうのだが。 ht

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  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

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    gohshi
    gohshi 2008/06/18
    このタイトルって「諸君!」の編集部の提案なのかなあ。稲葉さんが自分で思い付いたようには思えないんだけど
  • The Shield of Achilles書評 - shinichiroinaba's blog

    http://www.newleftreview.org/?view=2467 New Left Reviewか。評者はUCSCで思想史・歴史社会学をやっている。カール・シュミット論で単著があるね。 ちょっと眺めてみただけだけど「将来展望で、ミアシャイマーなども含めて、米国にとっての仮想敵国No.1として論じられることの多い中国を軽視しているのはなぜ?」とか興味深い突っ込みをしている。 http://www.newleftreview.org/?view=2275 ではハート&ネグリの『〈帝国〉』への距離を置いた冷静な批評を書いている。 現代アメリカのリアリズム国際政治学の代表者としてよく引き合いに出されるミアシャイマーの翻訳はまずは教科書として 大国政治の悲劇 米中は必ず衝突する! 作者: ジョン・J.ミアシャイマー,John J. Mearsheimer,奥山真司出版社/メーカー: 五

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  • 『岩波講座憲法1 立憲主義の哲学的問題地平』における長谷部恭男包囲網 - shinichiroinaba's blog

    http://www.bk1.co.jp/product/2782737?partnerid=p-inaba3302385 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000107356/interactivedn-22 やはり公私を区分するジョン・ロールズの政治的リベラリズムと異なり、長谷部〔恭男〕が立憲主義を不自然な、人々に無理を強いる選択だと強調するのは、実は長谷部が公的領域での政治的発言に広く「公益」による歯止めを求めているからではないか(中略)。長谷部の「社会の共通の利益」考慮の要求は、既に政治的発言自体に向けられている。各個人は、他人に対して働きかけようとする際には常に、その前に自分の内心で、表現しようとする内容が自分の私的思想の表明ではなく社会全体の利益にかなっているのかを吟味しなければならない。表現の「自由」が思ったことを言う自由を意

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    gohshi
    gohshi 2007/04/28
  • 川原泉『レナード現象には理由がある』(白泉社) - shinichiroinaba's blog

    ホモフォビアの疑いで責められている書だが。 ホモフォビア……というより、他者に対する酷薄さ、自己中心性、とでも呼ぶべきではないのか。 たとえばはてなでどなたかが指摘していたことだが、ホモフォビア疑惑で問題となっている「真面目な人には裏がある」で目に付くのは、「可愛らしい数字」の偏差値と形容されるユリアナ女子高校の生徒たちに対する登場人物たちの(そしておそらくは作者の)視線の酷薄さだ。ありていに言えばそれは差別意識などという生易しいものではなく、それ以前のもの、いわゆる「差別意識」においても普通は存在しているような、対象への関心の見事なまでの欠落である。 更にいえば、この「真面目」で最も異様に映るのは、ゲイの登場人物たち(主人公たちの兄たち)の描き方ではない。主人公日夏晶において「家族・兄弟がゲイだった」という驚きが欠如しており、あくまでも他人事としてしか感受されていない、ということだ。そ

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  • 小松左京・谷甲州『日本沈没 第二部』(小学館) - shinichiroinaba's blog

    http://www.bk1.co.jp/product/2692956?partnerid=p-inaba3302385 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093876002/interactivedn-22 いろいろ言いたいことはあるんですがとりあえず先生方お疲れ様でした。 前半、パプアニューギニアの日人入植地のエピソードは非常にビビッドで読ませました。谷氏の協力隊経験その他が非常によく生かされていますね。日人が難民であるにもかかわらず財力と技術力で受入国に対する開発援助主体になり、あるいはそれをしくじって豊かさゆえの摩擦を生む、というアイディアは非常に面白い。 ただ後半ストーリー、そして全体としてのヴィジョンにはどうも納得しきれないものを感じました。問題は反米・反中――というよりその背後にある、『沈黙の艦隊』とも相通づる「平和憲法

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