Mei Kaigai @Mitchan_599 お客さん「生麦駅だって〜。変な名前。生麦事件じゃあるまいし〜。」 ワイ(その歴史的事件が起きた場所やで…) 2021-12-26 22:57:00
愛新覚羅氏をご存知だろうか? かつて中国大陸を支配していた「清」という王朝の皇帝の一族である。 もともと、現在の北朝鮮の国境とほど近い地域(現在の撫順市と通化市の間あたり)を拠点とした満洲族(女真族)の首長・ヌルハチがご先祖だ。ヌルハチは1616年に即位し、次代のホンタイジが国号を「大清」に改め、3代目の順治帝の時代に中国本土に進出。やがて康煕帝・雍正帝・乾隆帝の3賢帝の時代に極盛期を迎えた。現在の中華人民共和国の領域も、外モンゴルと台湾を除けばほぼ清朝の範囲を継承している。 清朝は1840年のアヘン戦争を境に衰退し、1911年の辛亥革命で滅びた。ただ、最後の皇帝・溥儀はやがて日本の関東軍に利用されて傀儡国家の満洲国の皇帝として即位、戦後は収容所を経て、最後は一般市民として北京市内で没する。このあたりの話は、映画『ラストエンペラー』や、溥儀の弟の溥傑に嫁いだ日本人・浩の自伝『流転の王妃』な
この記事をお読みの方の多くは「日本」に住んでいるか、もしくは「日本」に興味があるか、すくなくとも「日本」語で書かれたものを読む能力がある方のはずです。 その「日本」は、いつから「日本」なのでしょうか。かつてこの国は、『魏志』“倭”人伝にみられるように、「倭」という名前でした。「倭」から「日本」に変わったのはいつからか、なぜ変わったのかを考えてみたいと思います。 植田麦 明治大学政治経済学部専任講師。研究の専門は古代を中心とした日本文学と日本語学。 関連記事:「日本」が英語で「ジャパン」になった由来は? 歴史書のヤマト 国語の教科書の付録に「文学史年表」がついていることがあります。その一番端にあるのが、おそらく『古事記』と『日本書紀』です。『古事記』は712年、『日本書紀』は720年と、ほぼ同時期にできた書物です。多くの方がご存じのとおり、この2種の書物はいずれも、日本の神話と歴史を書き記し
まず単純に、名前の二文字目が「子」で固定されると、必然的に読みは三音になりやすい。 男性名だって、「○太」とか「○斗」といった形式だとだいたい三音で、二音や四音は少ないもんな。 このあたりは音韻の問題もあるのかもしれん。 これは若干の異論がある。 どうも平安時代には、今では考えられない読み方をしていた例が色々あったらしい。 たとえば、藤原良房(皇族以外で初の摂政になったことで有名)の娘で文徳天皇の后、清和天皇の母だった藤原明子という女性は『あきらけいこ』と読み、 関白・藤原基経の妹で清和天皇の后、陽成天皇の母だった藤原高子という女性は『たかいこ』と読んだ。(四音の女性名になるね) そして、地位の高い人の諱はあまり呼ばれない。これは今でもそうで、会社の上司に対しては一般には名字+役職で呼ぶ。 昔も同じで、諱(そもそも忌み名である)は呼ばれずに地位の高い女性は本名ではなく通称で呼ばれることが多
いま本多政重という人のことを考えています。この人、ご存じでしょうか。徳川家康の謀臣として有名な本多正信の次男。じゃあ、大名? 旗本?と思いきや、加賀前田100万石に仕えて、5万石を知行した、という人です。で、この人を考えるにあたってどうにも気になったのが、政重という名前です。ぼくのその疑問を説明するためにも、信康の死の真相の究明をちょっとだけ休んで、戦国時代の武将の名前についてふれさせて下さい。 武田大膳大夫(だいぜんのだいぶ)源晴信。これが出家前の武田信玄の名前です。武田は「家」の名前。現在の私たちの名字にあたります。大膳大夫は朝廷からもらった「役職名」。源は「かばね」。晴信が「いみな」。のちに晴信が出家すると「いみな」の代わりに信玄という法名を名乗ることになる。まあだいたい、そういうふうに理解してください。 信玄は大名なので朝廷から官職名をもらいましたが、普通の武士はここに「通称」がき
「ゴン」の起源? – Living, Loving, Thinking 「カネゴン」以来? – Living, Loving, Thinking 〈☆☆ゴン〉といえば怪獣の名前だというコンセンサスはある筈なのだが、その「ゴン」の起源は? と、sumita-m先生が書いておられるが、たぶんドラゴンのゴンだと思う。以下、とりあえず10分ぐらいググった程度の特に裏付けは無い薄い記事。 「ウルトラQ」のカネゴンを挙げておられるが、そういえばラゴンという怪獣の名前も聞き覚えがあったなとググったらこれもウルトラQ登場の怪獣だった。ということで、「ウルトラQ」の登場怪獣(「ウルトラQ – Wikipedia」「ウルトラQの登場怪獣 – Wikipedia」)を確認してみると同作品における〇〇ゴンという名の初出は第三話に登場の「火星怪獣 ナメゴン」であるようだ。で火星怪獣ナメゴンの項「ウルトラQの登場怪
5月25 安息香酸のこと 某ミュージシャンの覚醒剤使用騒動に伴い、「アンナカ」という言葉がマスコミに流れるようになりました。アンナカは「安息香酸ナトリウムカフェイン」の略称ですが、単独の化合物名ではありません。興奮剤であるカフェインに、溶解性を上げるための安息香酸ナトリウムを混ぜたもので、これ自体は別に違法なものではありません。処方箋さえあれば販売可能ですが、最近ではあまり使われない医薬品のようです。ただし昭和の時代には、覚醒剤の混ぜ物あるいは代用品として出回ったことがあるとのことです(参考:弁護士小森榮の薬物問題ノート) カフェイン このニュースを見た人から「安息香酸って不思議な名前だけど、なんだろう」という声があったので、ちょっとその話を書いてみます。化学者にとってはおなじみの名前ですが、由来を知っている人は少ないのではないでしょうか。 安息香酸の構造は下図に示す通り、ベンゼン環にカル
公暁(くぎょう / こうきょう / こうぎょう、正治2年〈1200年〉- 建保7年1月27日〈1219年2月13日〉)は、鎌倉時代前期の僧侶。鎌倉幕府2代将軍源頼家の次男(『尊卑分脈』など)または三男(『鶴岡八幡宮寺社務職次第』など)。 公暁の名は江戸時代以降呉音読みで「くぎょう」と呼ばれており、明治時代の『国史大辞典』で「クゲウ」とされて以降、主な歴史関係の書籍では「くぎょう」と読まれて来た[1]。 一方で『承久記』の異本で鎌倉時代に成立したとされる[注 1]『承久軍物語』では公暁は「こうきょう」と書かれ、1550年頃に成立した尊経閣文庫本『承久記』では「こうせう」と書かれている[2]。天明年間の『承久兵物語』では「こうきやう」と書かれているが[2]、寛永版『吾妻鏡』の版本では「クゲウ」の読みが振られており、徳川光圀によって編纂が命じられた『新編鎌倉志』でも受け継がれた[3]。 公暁の名
孫 休(そん きゅう)は、三国時代の呉の第3代皇帝。呉の初代皇帝である大帝孫権の子(六男)。第2代皇帝孫亮の兄。生母は王氏(敬懐皇后:孫和の母の大懿皇后とは別人)。妻(皇后)は朱拠の娘・朱氏。『三国志』呉志「三嗣主伝」に伝がある。 経歴[編集] 若き日[編集] 生母の王夫人(敬懐皇后)は南陽出身で、嘉禾4年(235年)に孫休を産んだという。孫休は13歳のとき(247年)、中書郎の謝慈と郎中の盛沖より学問を授かった。 太元2年(252年)正月、孫休は琅邪王に封じられ、虎林に居住した。同年4月に父の孫権が崩御し、皇太子である弟の孫亮が皇帝となり、孫亮の補佐役となった諸葛恪が政治の実権を握った。孫休ら諸王は、長江沿いの戦略上の要地にそれぞれが配置されていたが、諸葛恪はこれを嫌ったため、孫休は丹陽郡に移住することになった。 丹陽太守の李衡は、孫休をしばしば圧迫するような態度をとったという。そのため
所感派(しょかんは)とは、日本共産党が1950年(昭和25年)以降に内部分裂した際の党内派閥の主流派。徳田球一・野坂参三・志田重男・伊藤律らの属した親中派。当初は米軍解放軍規定・平和革命論に対する欧州共産党情報局の批判に反論したが、中国共産党の人民日報による批判を受け、日本国内で暴力革命路線を推進した[1]。しかし、革命を理由としたテロ行為で世論の支持を失い、1952年の衆議院選挙で議員全員が落選する事態を招いた[2]。党内の対立少数派閥として宮本顕治らの国際派や野田弥三郎らの日本共産党国際主義者団などがある[1]。 1950年(昭和25年)1月6日、コミンフォルム(欧州共産党情報局、共産党国際情報局)の同日付機関誌『恒久平和のために人民民主主義のために!』において発表された論文「日本の情勢について」で、日本共産党政治局員である野坂参三の日本占領軍に対する“解放軍”定義や占領下における平和
高さ約7メートル、長さ約90メートルにわたる巨大さが無用の長物だとして、「アホウ塀(べい)」という名で住民に親しまれてきた長崎県壱岐市の旧家の石垣。 市が「イメージが悪い」として「大石塀」に名称変更したところ、住民から「愛着がわかない」と不満の声が上がり、論争が巻き起こっている。 市によると、石垣を築いたのは、江戸時代に捕鯨で財を成した土肥家の4代目市兵衛。地元では土肥家は日本における「鯨王」と呼ばれ、鴻池、三井と並ぶ三大富豪と言われていたという。 市兵衛は1767年、巨費を投じて、入り口に大門を構え、屋内に施した彫刻に金銀をちりばめた邸宅を建築。約3年かけて築いた石垣は、あまりの大きさから、「無用の長物のようだ」として、いつしか「アホウ塀」と呼ばれるようになった。 歴史・文化的価値が評価され、2006年2月、周辺の屋敷跡などとともに水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選
麻績王 麻績王(おみのおおきみ)っていったい誰なんだろう。非常に海人と関係が深そうなのだが、その消息は、僅かに日本書紀と万葉集と常陸国風土記でしか伝えられていない。 万葉集巻一、麻績王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌、 打麻を 麻績王 白水郎(海人)なれや 伊良虞の島の 珠藻刈ります 読み人知らず (麻績王は漁師であられるのか、漁師でもないのに伊良虞の島のよい藻を刈っていられる。) そして、その答歌、 うつせみの 命を惜しみ浪にぬれ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む 麻績王 (この世の命が惜しさに私は波にぬれて、この伊良湖の島の海藻を刈って食べているのです。) 「日本書紀」によると、天武四年四十八日、三位麻続王に罪があって因幡に流された。一子を伊豆島に、一子を血鹿(値嘉)島(長崎の五島列島)に流したとある。しかし、「万葉集」では、流罪地は伊良湖岬ということ
4月といえば出会いの季節(もう終わりですが)。新たに知り合った人も皆さん多いのではないかと思います。引き籠もりの小生には無縁の話ですが・・・まあそれはともかく。 で、新たに出会った人の名前を読む機会も多かろうと思うのですが、最近はよく、「子供の名前に変すぎて読めない名前が多い」なんて声が聞かれますね。批判的に見る側はそういう名前を「DQNネーム」「暴走万葉仮名」などと呼び、肯定する側は「キラキラネーム」なんて呼んでいるようですが。ネット上でこの手の名前を集めたサイトとしては、「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」が有名ですね。 具体的に、どういう名前が「DQN」になるのか、上掲サイトの中から引用してみましょう。明確な掲載基準はありませんが、名言集や当事者の声をご覧いただければ、だいたいの基準が浮かび上がってくると思います。以下のものが代表例です。 * 漢字の読み方をぶっ
大谷姓の由来は、後述する親鸞の廟堂が京都東山知恩院北門の大谷の地に定められたことによる。大谷には「豅」(読みは「ロウ」、意味は「長大な谷」、転じて「おおたに」「ながたに」と訓ずる)の字が充てられたこともあり、後に本願寺は「豅山」(おおたにざん)を山号とした。現在の西本願寺は「豅」の字を分かち、龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)と号している。龍谷大学の学名の由来でもある。 本願寺は戦国時代には一向一揆の広がりのもとで戦国大名に伍する勢力をもったことから、戦国大名のひとつに数えられることもあるが、法主の法名や諱に本願寺を冠して「本願寺顕如」、「本願寺光佐」とするのは、文書や裏書において「本願寺の法主である〇〇」と明示するための署名に見られる表現によるものであって、本願寺法主(門主)の家系が「本願寺」を家の名字・姓としたこともなく、「本願寺氏」という氏が存在したこともない。彼らは仏弟子の名
実在した歴史上の厨二心をくすぐる組織を教えてくれ 実在した歴史上の厨二心をくすぐる組織を教えてくれ 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2009/11/21(土) 23:27:44.24 ID:dtpkaiyu0 とりあえず亀山社中を挙げてみる 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2009/11/21(土) 23:28:52.97 ID:j6QoGN0BO テンプル騎士団とかやばい 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2009/11/21(土) 23:29:38.44 ID:C6NujQw70 ナチス第三帝国 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2009/11/21(土) 23:30:13.73 ID:nO+mM0h40 なんか10代でIQいくつ以上の天才しか入
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