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麻績王
麻績王 麻績王(おみのおおきみ)っていったい誰なんだろう。非常に海人と関係が深そうなのだが、その消息... 麻績王 麻績王(おみのおおきみ)っていったい誰なんだろう。非常に海人と関係が深そうなのだが、その消息は、僅かに日本書紀と万葉集と常陸国風土記でしか伝えられていない。 万葉集巻一、麻績王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌、 打麻を 麻績王 白水郎(海人)なれや 伊良虞の島の 珠藻刈ります 読み人知らず (麻績王は漁師であられるのか、漁師でもないのに伊良虞の島のよい藻を刈っていられる。) そして、その答歌、 うつせみの 命を惜しみ浪にぬれ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む 麻績王 (この世の命が惜しさに私は波にぬれて、この伊良湖の島の海藻を刈って食べているのです。) 「日本書紀」によると、天武四年四十八日、三位麻続王に罪があって因幡に流された。一子を伊豆島に、一子を血鹿(値嘉)島(長崎の五島列島)に流したとある。しかし、「万葉集」では、流罪地は伊良湖岬ということ