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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (42)

  • 結局のところ、私の人生の最高潮の時というのは、コルベットを買った時ではないか。グランツーリスモ4での話であるが。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○横須賀美術館(神奈川県横須賀市) ネットにある病の診断をすると、満点近くになるのである。その質問の多くに「ここ2週間〜」との枕詞がついているのだが、ここ2週間どころか、小学校に上がる前から、寝付きが悪くて、不安で…の私は、いったい何なのであろうか。 ただでさえ不安でしょうがない私を、さらに会社が追いつめる。その元凶はケータイである。 その昔、大井川鉄道にひとりロケハンにいった。日帰りで3回くらい出かけたか。ボーダフォンは圏外であったため、誰からも電話がかかってくることはなくて、河川沿いの桜並木や茶畑を気ままに歩くことが出来た。いくら何でもそんなところで撮らないだろうというところまで歩き、スチールで抑えてまわった。あの時のロケハン写真を手元に残しておけばよかったと時折、想う。 ただでさえケータイで捕捉されているというのに、twitterなどまで実名アカウントであったら、逃げ場がなくなって

    結局のところ、私の人生の最高潮の時というのは、コルベットを買った時ではないか。グランツーリスモ4での話であるが。 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2011/05/11
    俺はただ一人の人間にネットでの所業を知られたくないがために、旅の行き先すら明記しない。>"ネットの世界くらい競走馬の名前にさせて欲しいのだ"
  • 孤独な世界の終わりとハードボイルドワンダーランド - 北小路ゲバ子の恋

    ○2011-04 浦和競馬場(埼玉県旧浦和市) チャールズ・ブコウスキーが友達になってくれたなら、私は彼をここに連れてこよう。「ブコウスキーさん、ここからトロットサンダーという馬が出ましてね…」 昭和七二年の四月の終わり、田原が堕落するたびに顧みられる天皇賞の前日、東京の二千でオレンジピールが快勝する よく晴れた土曜日の午後、サンスポの青が映える日差しのなかで、メジロランバダの相手をさがす幸福な時間。その永遠の記憶。 …今日は天皇賞の前々日。あの頃と違って、私には何の希望もない。 このレースでドルフィンボーイが死んだ。このレースを勝ったホクトベガはやがてドバイで死ぬ。そしてマーベラスクラウンは、こないだ死んだ。  (○内○外日記「マーベラスクラウンの死」2007-06-05) かつて、私の居場所は大井武蔵野館など名画座の闇と、湿気っぽいサークルの部室、それと水道橋ウインズA館の8階であった

    孤独な世界の終わりとハードボイルドワンダーランド - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2011/05/11
    トロットサンダーは名義貸しで引退に追い込まれたという印象をいまだに持っている。
  • 漫画ローレンスの匂いを求めて - 北小路ゲバ子の恋

    ○2011.04 手賀沼(千葉県柏市) 「沼」というものを見たことのない私は、淫靡な匂いをそれに期待していた。なにしろ沼である。「ぬまっ」であるのだから。 いわゆる「男好きのする顔」、そういう女が好きであるのだが、それに気付いたのは伊丹十三「タンポポ」の黒田福美によってである。役所広司の情婦役の女である。中学の頃、歳の離れた姉にこういう顔を「男好きのする顔」というのだと教えられて以来、私の女性の好みは「男好きのする顔の女」である。 漫画ローレンス。この雑誌の表1はいつも「男好きのする顔」である。裏切ることなく「男好きの顔」である。現代日において、この言葉を表象している点で、現代アートといえる。そうだ、沼はきっとこの雑誌の表1と同じ匂いがするに違いない。私はそんなふうなことを想いながら常磐線で千葉県北部へ向かった。 手賀沼。漫画ローレンスの匂いを求めてJR我孫子駅を降りる。 …森に入り、し

    漫画ローレンスの匂いを求めて - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2011/04/18
    俺は、印旛沼こそ沼らしい沼であって、ぬかるんだ沼沿いを歩いていると、薄暗い木陰にひっそりとあの事件の小さな慰霊碑でもあるんじゃないかと思っている。
  • 愛のうた - 北小路ゲバ子の恋

    年度末の修羅場に3月11日の地震でもって諸々が瓦解したかに想えたが、何故かしのげる気配にある。おかげでこうしてブログなんぞ書いていられる。こういう厳しい事態になるたびに、田町の豚しゃぶ屋で、ある男が私に向けた笑みを想い出す。「この仕事、30年以上しているけど、撮影できなかったことは1回もないよ。だから心配すんな。…いや1回あったな。×××××(海外アーティスト)が来なかった。あれは代理店のせいだから」 いわゆる9.11の前日、国内初のBSEの牛が発見され、巷では豚しゃぶが流行っていた。そんな秋のことである。 私の勤務先は東大・京大・一橋・早稲田・慶應が30%くらい。その全員が出勤しない。明治・立教が来たり来なかったり。法政、毎日出勤(おれ)。私はこの惨禍に、静寂な都心のオフィスで、ふいにそんなことを考えた。 (はてなBM 2011-03-18) がらんとしたフロア、缶コーヒー、エレファント

    愛のうた - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2011/03/22
    "なにからなにまでが徒労であった。働いても働いても一歩も進まない。会社中がそんな雰囲気の中、隣の席の男は領収書の整理をしながら、「愛のうた」をつぶやくように唄っていた。"
  • 愚か者の世界 - 北小路ゲバ子の恋

    書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  (チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁) このブログの第一の読者は私である。第二のそれは歳の離れた姉である。おそらくこの地で死んだ場合、彼女が遺品整理にやってくる。その時、このブログを発見するであろう。実家を出て以降、堕落しつづけた私の20世紀と今日が記されている、これを読み、写真を出力し、老いた母親に見せ、聴かせてくれればよい。あなたの息子はここを出たのち、陰で、さえない人生を送りました、と。 はてなブックマークにおいて、多量に新左翼やロシア革命関係者に関するPermalinkをブックマークしている。IDは競走馬に由来しているし、競馬についてのそれも多い。そのため、私のはてなブックマークをつぶさに観察するニンゲンがいたとして、そこから浮かび上がる私の人物像は「競馬好きの元活動家」だったりするかもしれない。しかしこれは

    愚か者の世界 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2011/02/20
    "なにが「いいね!」だ。実現実と地続きの世界なんてくそったれである。"
  • 映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 映画「海炭市叙景」、その舞台である海炭市から西に40キロ、私はそこで生まれ育ったはずである。原作の文庫の解説にて、川三郎は「この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛おしくなるではないか。」と書く。架空の町に自らの暮らしをそこに見つけ出せる…ということだろう。しかし私に限ればそんなことはない。海炭市はいささか大き過ぎる。原作者の故郷・函館市がモデルであり、ロケ地であるから仕方がないのかもしれないけれども、そこは私の生まれ育った州の西端のどこよりも大きい。 プラザ合意による円高不況のあおりでコンビナートの一郭の工場が閉鎖されると、そこの家庭の子供がごっそりと消えた。麻雀や飲酒くらいしか愉しみのない高校生活を過ごしたのだが、あのままその地で暮らしていたならば、それにパチンコくらいしかくわわるものがなかったに違いない。そのような薄い絶望が約束さ

    映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋
  • 小田原の海は鎌倉のそれと違い、リア充の匂いなどしない海だった。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2010_11 神奈川県小田原市 銭金の勘定をするうちに朝を迎える。足元の紙袋につっこんでいたボルヘス「創造者」を握り、会社を出る。近くの牛丼屋で飯をすすり、新宿駅、そして小田原へ。競輪場、漁港、抹香町。私のためのような町ではないか。もちろん100円マックもあるだろうし、缶コーヒーもあるだろう。これ以上のなにを望むのか。 抹香町の跡。そういう場所を探しなれた者ならば、「そろそろだな」という気配を知っている。ここには「そこそろ」の気配だけが残り、昔日の色ガラスのひかりは残されておらず。写真を撮ろうにも撮るものもなくて、仕方なしに小田原競輪場へ。競輪選手で知っているのは、中野・神山・十文字・後閑くらいなもんだが、そんな選手は出てこないようだ。誰を買えばいいのかさっぱりわからないので、名字で選ぶしかないのだが、万城目さんとか杉先輩とか、そんな名字の選手もいないので困ったもんだ。 無駄足を重ね

    小田原の海は鎌倉のそれと違い、リア充の匂いなどしない海だった。 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/11/23
    どこか外で本を読みたいという気にはなるが、ためしたためしがない。
  • 昭和百四十六年、冬、根岸にて - 北小路ゲバ子の恋

    静沙が、そいつは私のもとに来るヘルパーの女なのだが、静沙が書棚から「青い花」9巻を見つけ出しやがった。「これ、読みたかったんだ」 おいおい私のおしめを変えた手で「青い花」をさわるんじゃない。志村貴子先生のそれは石原4世により発禁処分となり、所持がみつかるとそれだけの咎で択捉島に流刑となるので、なかなか手に入らない。だから静沙にとってはお宝かもしれないが、私にとってはそれ以上のものなのである。 今日を生きられない、そんな日々、かつての私の未来には「青い花」だけがあった。「青い花」の新刊が出るのだけが未来にあった。万城目さんが「あーちゃんと一緒にいたいの」と言いだして、逗子市役所に就職した奥平あーちゃんから離れたくないがために、筑波大学を中退して横浜国立大学に入り直す9巻、これにどれほど涙したことか。 それを静沙に見つかっては、もう恥ずかしくて生きていはいけない。 … 死のうと想った。しかしま

    昭和百四十六年、冬、根岸にて - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/10/25
    たぶんその競馬場ではニホンピロスタディもオノデンリンゴもみんな無事にゴールできる。
  • 虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋

    夜の学校「トゥナイト2」のMCはすでに斎藤陽子だった。二十世紀、夏、深夜。西武新宿線都立家政駅の北口にある古屋で、電気グルーヴ「DRAGON」の中古と一緒に買ったと記憶する。「別冊宝島143競馬名馬読」。いまだに表4には400円の値札が貼ったままになっている。 「DRAGON」を聴きながら「信長の野望」だかなんだかに明け暮れ、つかれると「競馬名馬読」をめくった。つまらない生活だった。「DRAGON」の最終曲「niji」の、長い長いイントロと石野卓球のパートを終えて、4分40秒、五島良子の儚げな声が流れはじるのだけが希望だった。いや、もうひとつの希望があった。「競馬名馬読」の、山隆司「虹の彼方の希望 オーバーレインボー」*1である。出身地が同じで、おまけに麻雀と競馬と映画に憑かれた山隆司に、自らの希望をむりやりに見つけ出そうとしていた。ようするに愚か者であった。いずれにせよ、

    虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/07/24
    "燃えるゴミの日の朝、道端の縛られた週刊プロレスや競馬ブックを見ると、ああ誰かの青春が終わったんだなと想う。"
  • 大岳山 町田康 ブコウスキー - 北小路ゲバ子の恋

    ○2010.07 御岳山駅周辺(東京都青梅市) 御岳山駅からロックガーデン経由で大岳山々頂に到達、そこから海沢渓谷に降りる、などという青写真であったのだが、海沢渓谷に降りるにあたり、当にこの道なのか、そもそもこれは道なのか、というあやふやな道、というより径をゆくはめとなる。いや、いってはいけない。トライ&エラーなど愚行である。ひいひいいいながら引き返す。ポイントオブノーリターンではなかった。ひいひいいいながら、町田康の「告白」を想い出す。もちろんチャットモンチーの「告白」も大好きだが、遭難しかかった状況にあってはチャットモンチーどころではないのだ。外れくじだけのくじ引きをしている状況なのだから。 思弁と言語の世界が虚無において直列している世界では、とりかえしということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ

    大岳山 町田康 ブコウスキー - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/07/23
    "わたしたちみんなの貧しい身なり、古びた車。わたしたちは蜃気楼に向かって移動していく。わたしたちの人生もまたほかのみんなの人生と同じように無駄に費やされていく。"
  • 田中美栄子と存在しない二十世紀の記憶 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 初夏  暮れ方  校舎の隅  暗室  現像液の匂い 浮き上がる田中さん きんこんかんこん 「もうすぐ下校時刻です」 定着した田中さん 存在しない二十世紀の記憶 下校 自転車 レイダック にわか雨 前をゆく田中さん ずぶぬれ 肌にはりつくブラウス 浮き上がるブラジャー いつまでも追い抜かない 存在する二十世紀の記憶 *2 四月の終わり 土曜日 蜜柑の皮 マザーアクトレス 外堀沿い 立て看板 ジャズトランペット あいうえおあお 学生会館 反帝反スタ カクマルセンメツ サークルの部室 麻雀 映りのわるいテレビ 麻雀 競馬中継 吉沢さんの訛り トップガンの追い切り映像 麻雀 日刊ゲンダイ それいけ大将 明日の馬柱 麻雀 缶ビール メジロランバダ流しの紙切れ 麻雀 缶ビール 日が暮れる 私の中の、美しい競馬。 冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。俺にとって大井競馬場というのはいち

    田中美栄子と存在しない二十世紀の記憶 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/07/04
    ドイツ馬ランドでの勝利であのレースはそういうものだと思って、以後穴目の外国馬ばかり買ったが、結局日本の馬が勝つばかりだった。オスカーシンドラーはただひたすらでかかった。
  • 逗子の山中にて「天国への階段」をくちづさみながら、志村先生に書いてもらえない女生徒のことを想う。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2010.05 名越路(神奈川県逗子市) 金沢街道から報国寺に向かう橋よりも一西のそれからずがずがと山に入る。白いシャツに黒いズボン、いつもの宮さんみたいな恰好で、汗だくになりながら衣張山に入っていく。時折ハイキング風情と出くわすのだが、彼らに逃亡中の美容院店員と想われても仕方ない。そんな様である。鞄にはアサヒ芸能の元編集長の回顧録の他に、なぜかHDカムの6分テープが入っている。このまま遭難して遺体で発見されたならば、意味不明の遺留品である。そんなこんなで逗子市に抜け、法性寺から再び山の中へ。 山の中でスーツ姿の男に出くわすとギョッとする。ということを、日、逗子市の斎場裏手の山中で経験した。怖かった。(on twitter) なぜこんな足場の悪い山中にスーツなのだ。私も私だが、あんたもあんただ。尋常でないニンゲンに出会う。ただただ怖ろしい。そんな想いをしたもんで、唄をくちづさむ。

    逗子の山中にて「天国への階段」をくちづさみながら、志村先生に書いてもらえない女生徒のことを想う。 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/05/10
    "そうだ、そんな子のためにロックはあるのだし、私はそんな子の好きなひとになりたい。"
  • 「青い花」読了。缶コーヒーを呑む他に楽しみがなくなった。仕方なしに江ノ電を沿ってひとり歩く。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2010.05 虚空蔵堂(神奈川県鎌倉市) 四月の終わりに、そう、色川武大の死、青木伊平の死、メジロランバダの天皇賞出走、桂枝雀の死、祖母の死、輝ける私の四月の歴史に志村貴子「青い花」の読了が加わる。 飲酒も麻雀も馬券も止め、映画も昔ほど見なくなり、会社と自室を往き来するだけの生活となる。つまらないひとね、と言われれば、黙ってうなづくより他なく、それどころか、つまらないひとねと言ってくる者すらいない有り様で、無価値の生活である。そのような私のもとに杉先輩がやってきた。「青い花」である。私の来し方において、それまでの価値や嗜好を変えうるもの、すなわち中学生の頃に同じクラスの者にカセットテープに落としてもらったstingの「nothing like the sun」や高校時代におけるダイヤモンド映像、就職してからの山内健司のショウリール、それらに匹敵する輝きが薄闇にうずくまる私に差し込ん

    「青い花」読了。缶コーヒーを呑む他に楽しみがなくなった。仕方なしに江ノ電を沿ってひとり歩く。 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/05/04
    いつか晩年の田村隆一みたいなじいさん二人が、それぞれ片手に『青い花』持って鎌倉の裏路地で出会うかもしれない。
  • 安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。 - 北小路ゲバ子の恋

    「気持ち悪いなんて思わないで」と万城目さんは言うけれども、私だってそういいたい。安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。…… いや、それは無理だろう。日曜日の午後、来は平和島競艇にいるべき風体の男が、アイスカフェラテをすすりながら「青い花」1巻を読んでいていいはずがないではないか。書店のレジの女がカバー附けますかと聞いてきたのだが、それを断ったのが失敗であった。お嬢さんの言う通りにカバーを附けるべきであった。予備校の教室で柄谷行人「マルクスその可能性の中心」の後ろの方にある武田泰淳論を読んでいたらば共産主義者と勘違いされたことを想いだしたりもする。たしかに私は野坂参三好きだが、山中貞則の方がもっと好きなのに。 アニメも見なければ(こないだ「けいおん!」を見たけれども)、漫画も中崎タツヤくらいしか読みもしない、そんな私が「青い花」に夢中

    安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/05/04
    なんだかにやついてしまって何をどう言っていいかわからない。
  • 和光・戸田 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2010.01 荒川(埼玉県) トンボロ君に教えてもらった土地に出かける。埼玉県戸田市・和光市、あのあたりの荒川沿い。中洲の公園はやたらと長く、おまけに人が居らず、日曜日だというのに歩いても歩いても誰とも出くわすこともなく、こんなことならば全裸で歩いたって、よかったのかもしれない。やがて陽は落ち、腹が減る。コンビニはもとより自販機もない。よもや埼玉県で遭難しかかるとは。埼玉は怖ろしい。

    和光・戸田 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/01/25
    "中洲の公園はやたらと長く、おまけに人が居らず、日曜日だというのに歩いても歩いても誰とも出くわすこともなく、こんなことならば全裸で歩いたって、よかったのかもしれない"<戸田か……。
  • 1984.08.20 - 北小路ゲバ子の恋

    出不精の子供であった。夏休みは「アフタヌーンショー」を見るための日々であった。そんな子供であった。失踪した家族に呼びかける特集、スタジオに殺人現場のセットを組んでの検証etc、稲川淳二の生き人形の語りもこれでみたと記憶する。来る日も来る日もスプライトを飲みながら「アフタヌーンショー」を見ていたのだ。州のサイハテでは「笑っていいとも」は16時からで、「アフタヌーンショー」は14時からであった。中学にあがり、ホライズンなる教科書で「afternoon」が正午の謂いと知った時は衝撃的であった。呉一郎が九州のキチガイ病院で受けたのと同じくらいの戦慄であった。あれは来、あなたの知らない世界の裏番組であったのか!と。(嘘だけど) 私の両親は歳の離れた姉たちを育てるので子育てに飽きてしまった。あるいは親、というものを姉たちを育てることで満喫したのかも知れない。一学期の終業式直後の夜、両親と姉たちは映

    1984.08.20 - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2010/01/12
    "その夏、私は秋田県の金足農業を応援していた。なにしろ金足農業である。彼らはみんな百姓の子供たちに違いない。"
  • 飯田橋−水道橋 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2009.12 飯田橋(東京都千代田区) 飯田橋駅を最寄りとする三流私大に通っていたお陰で、水道橋の場外馬券売り場へは通学定期の効く飯田橋駅から歩いていた。見知った道、見知った場所。拾ったスポーツ新聞でうっかり有馬記念の予想をしてしまい、仕方なしにはずれ馬券を買いにいく。2002年01月のAJCC以来の水道橋のウインズA館の8階。その昔、顔見知りが出来るほどに通った場所。私の居場所は、ここと大井武蔵野館や並木座の薄闇くらいしかなかったのだ。かつて、入り口すぐには、母親と娘ふたりがやっている売店があった。血縁とわかるのはみんな顔が似ているからだが、ひょっとするとただの想い込みかもしれない。久しぶりに来てみると、売店はなくなっていて落胆した。当ならば、来年のカレンダーを丸顔の娘たちが売っているはずなのに。おまけにマークシートは複雑になり、馬券はぺらぺらになっていたけれども、館内に漂う独特の

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  • 1997.06.01 - 北小路ゲバ子の恋

    あの日を想い出すに、脳裡に浮かぶ情景のひとつとして、鷺宮駅にて急行の通過待ちをする間の、車窓から入るやわらかな光を受けた女の表情がある。あの日、私は女と西武新宿線に乗っていた。 その女はどんな恰好をしていたか、まったく憶えてはいない。しかし府中での大西という35歳の男のはにかんだ笑みや、安田という49歳の男に向けられた背中は今も憶えている。 1997年6月1日。永遠の一日。 定冠詞つきのダービー、すなわち the Darby は英国ダービーを指すらしいが、私のダービーは未来永劫、あの日のダービーである。 大勝負直前、大西は騎手同士で雀卓を囲み、緑一色を出す。岡部はこんなところで運を使ってと笑い、大西はつきが回ってきたと言ったという。ちなみに皐月賞の朝には、大西はに、最終レース後にサッカー大会があるから帰りは遅くなると伝えたという。そしてG1ジョッキーとして帰宅することになる。 大西はダー

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    goldhead 2009/11/30
    俺の最高のダービーの日、俺はどこで見ていたのかも覚えていない。ただ、オーロラビジョンに映し出されたオッズを見て憮然としている大西とサニーブライアンの姿は焼き付いている。
  • 太田英子との蜜月 - 北小路ゲバ子の恋

    隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこと出かけた際のことである。 二十世紀のお終い近く、ふり返るにその秋は珍しく仕合わせであった。私が仕合わせだった時期などほとんどないのだから、貴重なそれである。TBSで「青い鳥」をやっていた秋である。霧に包まれた京都競馬場でエリモダンディーが京阪杯を勝った秋である。暮れには西早稲田のACTミニシアターでボリス・バルネット特集があり、中野武蔵野ホールでは黒沢清の「蛇の道」がひっそりと上映された。 そんな季節、私は太田英子と蜜月であった。 太田英子は悪い冗談のような話を始め、次第にずるずると鼻水をすするようになった。「ほら」といってシャツから肌を露出すると、そこ

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  • 写真・考 〜 主婦KEIKOは如何にしてガスの元栓をカメラで撮りしか - 北小路ゲバ子の恋

    [1] 撮影について 撮影という行為は撮られる人にスポットを当て、世界の中心に立たせる行為である。(略)昨今、おおむね子供の"いま"は絶えず否定され続ける宿命にあるのだ。(略)あらゆる生き物は"いま"という時間にしか存在できないものであるとき、"いま"を否定され続ける彼女は"わたし"という存在を永遠に認知されないということになる。写真を撮るという行為は逆に"いま"という時間内にしか成立しえず、今の瞬間を写しとり、承認を与える行為なのだ。 (藤原新也「渋谷」より) 「渋谷」は藤原新也が福岡の少女たちを撮影する企画をめぐる逸話などを書いたもので、うえはその後書きの一部である。藤原新也は撮られる人、すなわち被写体について語っているのだが、これは往事の女子プロレスにも通じる話であるし*1、「"いま"は絶えず否定」されている女性がヌードを願い出たり、主婦売春をはじめたりもするのだろうかと想いもする。

    写真・考 〜 主婦KEIKOは如何にしてガスの元栓をカメラで撮りしか - 北小路ゲバ子の恋
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    goldhead 2009/09/24
    "しかし、私はこの夫婦の今後に期待しているのである。以前にも書いているのだが、いつの日かユーミンの「翳りゆく部屋」を唄ってもらいたいのである。"