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philosophyに関するgrass7269のブックマーク (18)

  • これから美学を学ぼうと思う人へ、そして自らのためにも―美学主要文献(第1回) - 死に舞

    人と会話していて「美学に関する入門書はない?」とか「芸術の存在論に関する入門書はない?」とか聞かれる機会が多いので、この際、自分のためにもこのようなエントリーをまとめてみます。 まず断っておくこととして、以下にあげる「美学」とは主に英米系の美学です。一般的に「分析美学」という呼称を用いられていることはありますが、私はこの名称に違和感を持っています。というのは、たしかに現在の英米哲学は分析哲学の伝統の元に成り立っていますが、今では分析哲学という言葉はあまり使わないです。それぞれの分野に特化したこともあり、言語哲学、科学哲学、心の哲学、分析形而上学といった呼称を使うようになってます。美学もそれは同じで、音楽の哲学、芸術の哲学、環境美学、日常の美学などさまざまな領域があり、それらを「分析美学」と呼ぶのはためらってしまいます。もちろん、なんらかの具体的な対象を設定しない、それこそ美学、とでも呼ぶも

    これから美学を学ぼうと思う人へ、そして自らのためにも―美学主要文献(第1回) - 死に舞
  • [書評]〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組(須原一秀): 極東ブログ

    以前は彼の自死の文脈で読み、そして今度はさらにそうした文脈で読まなくてはらならだろうと思っていたが、意外とさらっと読めた。もともと私は須原と似たような考えをしていることもあり、どちらかというと私にはつまらないだった。こんなだったのかなと、少し嘆息した。ただ、そのあと、あることにはっと気が付いた。そして、このの意義を再確認した。 同書についてだが、アマゾンの読者評にとても優れているものがある。これだけ書かれていたら、特にブログでエントリを起こす必要もないのではないかと思えるほどだ。 ★★★★★ 密かに読まれ、でも、なかったことにされる(かもしれない), 2005/4/30 By モワノンプリュ (Japan) - レビューをすべて見る とてもいいだし、破壊力もある。しかも、それこそちょっと気の利いた高校生ならラクに読みこなせる、易しい言葉と、スッキリした論理で書かれている。 著者の

  • Es Discovery's Encyclopedia

    当ウェブページのコンテンツは、独自ドメイン“http://esdiscovery.jp/”に移転しました。「新しいURLのページ」に移動しての閲覧をお願い致します。 世界で生起する事象や世界に存在する事物を網羅的にデータベース化する事を目的としたEs Discoveryの百科事典のウェブページです。少しずつ皆さんにご紹介できる有用な情報を増やしていきたいと考えています。 過去から現在に至る人類の歴史的な変遷の過程を様々な観点から分析し、人間の学問的営為の発展とその成果を色々な角度から切り取って考えていきます。 知識や教養は、実際の生活に応用されなければ無意味であるとするプラグマティズム(実用主義)の考え方もありますが、自分の興味のある分野の知識や教養を増やすことは、純粋にエキサイティングな喜びを人間にもたらしてくれるものではないでしょうか。 哲学(Philosophy)・文学(Litera

  • 2001•ñ‘‘Θ_2-1.pdf

    下條●お二人目のゲストをお招きしましょう。フッサールやメ ルロポンティから三宅一生まで、幅広く身体とモードを現象学 する臨床哲学者、鷲田清一さんです。鷲田先生には衣服やお化 粧と身体の関係についてお話を伺いたいと思います。さっそく ですが、まず先生のご専門である臨床哲学についてちょっと説 明していただけますか。 鷲田●分かりました。哲学という学問の基は、「自分って何だ ろう」とか「言葉って何だろう」といった、誰もそれなしでは生 きていけないようなありふれた物事について考える学問なん ですね。でも日では、哲学的思考というものがいまだに定着 してないように思うんですよ。西洋哲学の研究という点では決 して海外に引けを取りませんが、それは哲学学であって、哲学 をすることとは別のことですよね。  哲学のテキストを開くと、難しい漢字がずらりとならんでい ますが、例えばあそこに書かれている「存在」

  • AskPhilosophers.org

    I’m guessing that what you think is that every question has a satisfying answer — an answer that explains what we wanted explained or tells us what we wanted to know. And so my question is: why do you think that? For the record, I don’t think it’s true, or at least I don’t see any good reason to suppose that it must be true. Here’s an example. We can send electrons, one at a time, through a certai

  • <現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組み / 須原一秀

    Ricoh GX100 / Yurikamome Line / Tokyo. 「哲学とか思想とかごちゃごちゃ小難しくてよくわかんないしイライラくるし正直どうなの?と思うけど、なんとなく気になることもある」などと考えている人が真っ先に読むべき。須原一秀著、『<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組み』の書評。これは超おすすめ。現代社会について考えたいとき、哲学・思想にとくに興味のない人がこれくらい押さえておけば気が楽になれる、という最低限の枠組みはこれしかないでしょう。「宮台真司とか東浩紀が現代社会を分析した文章は物語として面白いけど、でもその<ものの見方>を俺に押しつけられちゃかなわんよね!」と斜に構える自分みたいな現代人に贈る、とっておきの一冊。(「わかってる人」には物足りないかも) 劇場的に図式を単純化することによって、須原さんは「一時間半で<現代>を把握する(p.1)」ことを

    <現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組み / 須原一秀
    grass7269
    grass7269 2008/05/24
     よくよく念頭に置いておくべきこと。
  • https://www.kierkegaard.jp/studies1/eguchi.pdf

    grass7269
    grass7269 2008/03/13
    キルケゴール研究
  • インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳

    身体性という言葉を見かけたので、それに言及したについて2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこのでの一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が

    インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳
  • 現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    第三章 言語・暴力・反復 2 反復と散種 <プラトン> ●パロール 生の充実 外的・現実的コンテクスト(周囲の状況)、内的・意味的コンテクスト(言語文脈)もすべてオリジナルな状態で現前し、言語の理解の直接的地平として役立っている。 ●エクリチュール 空虚な死の言葉 オリジナルのコンテクストが失われた後で、別の状況や文脈において読まれるということが当然視されている。主体とオリジナル・コンテクストの不在という二重の空虚のもとで反復して機能する言葉。 <デリダ> ●反復可能性 パロールのそのつどの経験的出来事としての種しゅの変化、音声の強さ、抑揚、調子などの経験的・物理的特徴が厳密に同一性はないとしても、それらが失われたあとでも機能するのでなければならない。変化を貫いて同一の言語記号として再認される必要がある。そして表現形式の同一性はどこかに実体として存在するわけではなく、それ自身の反復可能性と

    現代思想の冒険者たち デリダ 高橋哲哉 その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ人は必ず恋をするのか?(ラカンとデリダの鏡像関係) - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    デリダとラカンの鏡像関係 デリダとラカンは鏡像関係にあるのではないでしょうか。デリダは、言語の意味を特定するのは、不可能性であるといいます。エクリチュール(文字)には反復可能性があり、その意味はコンテクストごとに意味(散種)をもちえるからです。そして一般的な言語意味(多義性)は、このような無数の意味(散種)が、事後的に収束されたものである、といいます。東はこれを「散種から多義性への転倒」と呼びました。*1 ここから「脱構築」、および「差延」があらわれます。脱構築とは多義的に決定された言語、言説は形而上学であるから、この読みなおしを行う、散種的な次元、隠された、または失われた意味を暴露しようという戦略です。差延は、差異という静的な構造に対し、反復されるたびに、おなじところにこない散種的なズレを動的な構造として指摘したものです。それによって様々な形而上学的な言説、思想を解体することがデリダの戦

    なぜ人は必ず恋をするのか?(ラカンとデリダの鏡像関係) - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • エマニュエル・レヴィナス - Wikipedia

    「ある」Il y a 実詞化 hypostase 「顔」 visage 分離 séparation <同>と<他> 没利害 désintéressement 他者のための一者 l’un pour l’Autre 身代わり 「<同>の内なる<他>」 痕跡 trace 隔時性 diachronie エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas フランス語: [ɛmanɥɛl ləvinas]、1906年1月12日 - 1995年12月25日)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者[1]であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている[2]。エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーの現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。ロシア帝国、現リトアニア、カウナス出身のユダヤ

    エマニュエル・レヴィナス - Wikipedia
  • 脱構築 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年8月) 脱構築(だつこうちく、仏: déconstruction、英: deconstruction)は、「静止的な構造を前提とし、それを想起的に発見しうる」というプラトン以来の哲学の伝統的ドグマに対して、「我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成している」とする、20世紀哲学の全体に及ぶ大きな潮流のこと。 19世紀まで、論理整合性を重視する英米哲学と、主観性や社会性を問題にする独仏哲学は、それぞれ独自に議論を重ねてきたが、この問題に至り、活発に相互参照と議論交流が起こる。 しかしながら、脱構築という思想においては、「脱構築という思想そのものもまた、つねに脱構築され、つねに新たな意味を獲得し

    grass7269
    grass7269 2008/02/20
     デリダ
  • 差延 - Wikipedia

    差延 (さえん、différance) とは、哲学者ジャック・デリダによって考案された「語でも概念でもない」とされる造語。 およそ何者かとして同定されうるものや、自己同一性が成り立つためには、必ずそれ自身との完全な一致からのズレや違い・逸脱などの、常に既にそれに先立っている他者との関係が必要である。このことを示すために、差延という方法が導入された。 論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になるものの二つの項を前提とする(「AはAである」)。そのため主体や対象は反復され得なければならない。「同じである」ということは二つの項の間の関係であり、自己同一性においてもその事情は変わらない。自己自身が差異化することによって初めてそれが複数の「同じ」であるが「別の」項として二重化しうる。そして初めて、同定や自己同一性が可能となる。 このことはそれ自身に完全に一致し、他を成立のため

    grass7269
    grass7269 2008/02/20
     デリダ
  • 書籍出版 双風舎:【連載】「思想の死相」

    「死」のエクリチュール ■第4回■ ●「死」を与える 後期のデリダに、『死を与える』というがあります。これも「責任」論の文脈で書かれたものです。このの主題は、キルケゴールが強く関心を持った旧約聖書創世記に出てくるアブラハムの「イサク奉献」です。旧チェコスロヴァキアの反体制活動家で哲学者のヤン・パトチカも、このエピソードについて論考を残しており、デリダの議論はパトチカのそれを受けたものです。 その時代の義人であり、神の歴史の主人公であったアブラハムには、子孫が大地の塵のように増えるであろうという約束を神から与えられていましたが、正であるサラとのあいだには、なかなか子どもが産まれません。アブラハムもサラも年老いたころ、ようやくイサクという子どもを奇蹟的に授かりました。ところが神は、子どもを授かったアブラハムに「汝のイサクを供え物として捧げよ」と命じます。神の約束と命令が矛盾していますね。

  • 応答責任について

    「応答責任」という言葉は、レヴィナスやデリダの名前と結びつけて語られるのがふつうですが、責任という言葉がresponsabiliteの翻訳語であり、その原語にrespons(応答)という言葉が含まれている以上、ヨーロッパ語圏の人々には、哲学的に洗練されていなかったとしても、責任といえば何かしら応答責任のニュアンスをもって理解されていたのだろうと想像されます。レヴイナスやデリダはその曖昧だったかもしれない伝統をラディカルに突きつめた、そう私は理解しています。 続きを読む http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html chikiさんがhttp://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051006/p1で提唱された試みです。

    応答責任について
    grass7269
    grass7269 2008/02/11
     デリダ、高哲「応答責任」
  • こまわりくん - ねこまっさかさま

    責任ある生は、何ものか贈与として考えられている。結局のところ贈与とは、<善>としての性格を持ちながらも、人間が永遠に従属している到達不可能なものの諸特徴を−すなわち秘儀の諸特徴をも示すようなものなのである。この秘儀が最後の言葉を握る。(パトチュカ) 『死を与える』。新年早々縁起でもない題名です。原題は"donner la mort"ですから、まあ要するに殺す、ってことなのですが。漢語でも「賜死」という言葉はありますね。この場合は自殺しなさいね、って意味ですが。 デリダの題名も、死を与える、という語感そのものではちょっと意味がとりづらいかもしれません。テーマは、アブラハムが息子を殺そうとしたdonner la mort a son filsか、あるいは神がアブラハムの息子に賜死した、という事件であり、他方、これが贈与論をテーマにした学会の講演でもあったと知っておくとすっきりするかもしれません

    こまわりくん - ねこまっさかさま
    grass7269
    grass7269 2008/02/11
     デリダ『死を与える』
  • | Roscellinus Compendiensis

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