日本史の中でも特に関心を集めている明治維新から150年が経ちました。薩摩藩と長州藩を中心とする新政府軍が旧幕府軍に勝利し、明治維新を成し遂げたことは多くの方が知るところでしょう。しかし、この薩摩藩と長州藩がもともとは非常に仲が悪かったことをみなさんはご存知でしょうか。 今回は、幕末維新史における重要な事件であり、薩摩と長州の関係を悪化させるきっかけとなった「禁門の変(蛤御門の変)」についてご紹介していきます。 禁門の変とは? 元治元年(1864)7月19日、尊王攘夷を掲げる長州藩と、会津藩・薩摩藩を中心とする幕府勢力が、京都御所で激突しました。これが「禁門の変」です。激戦地の地名を取って「蛤御門(はまぐりごもん)の変」とも呼ばれるこの戦いは、京都市中の約3万戸が焼かれる市街戦にまで発展しました。 開戦当初は長州藩が戦いを有利に進めていましたが、西郷隆盛率いる薩摩藩の参戦により戦局は一気に逆