43年前、米宇宙飛行士のニール・アームストロングさんが月面に初めて降り立った際の交信に、多くの日本人が胸を躍らせた。偉業の4か月後には、船長を務めたアポロ11号の宇宙飛行士2人とともに来日し、外国人としては異例の文化勲章を受章。若き日の、日本人宇宙飛行士や宇宙開発の技術者たちにも大きな影響を与えた。 月面着陸に成功後、アームストロングさんが来日したのは1969年11月。東京・銀座で行われたオープンカーのパレードでは、沿道に約12万人が詰めかけた。翌年開催された大阪万博では、アポロが持ち帰った「月の石」が展示され、来場者が長い列をつくった。 「当時21歳だった私の人生を変えた」と振り返るのは、日本人として初めて米スペースシャトルに搭乗した毛利衛さん(64)。テレビの生中継でアポロ11号の月面着陸を見た。 27年後に本人と面会してサインをもらった時の喜びがいまだに忘れられないという。「彼はすべ
【2012年8月27日 NASA】 1969年に人類初の月面着陸を果たした宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏が死去した。享年82歳。 ニール・アームストロング氏(提供:NASA) 人類初の月面着陸の瞬間は当時テレビで生中継された。当時の画像を高画質化した動画をNASAのウェブサイトで見ることができる。クリックで拡大(提供:NASA) 今日8月27日の月(ステラナビゲータで表示)。印の箇所がアポロ11号着陸地点付近。 25日、1969年のアポロ11号計画で人類史上初めて月に降り立ったアメリカの宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏の訃報が発表された。82歳だった。今月初めに受けた心臓手術後の合併症のため。 1930年8月5日にオハイオ州で生まれたアームストロング氏は、海軍のパイロットとして朝鮮戦争に従軍した後、NASAの前身である国家航空宇宙諮問委員会(NACA)のテストパイロットを務め
Image credit: NASA 人類として初めて月面に降り立ったニール・アームストロング氏(Neil Armstrong)が8月25日に死去した。82歳だった。 同氏の家族によると、出身地の中西部オハイオ州で死去し、原因は心臓血管の手術に伴う合併症だったという。同氏は心臓が弱く、8月始めに心臓手術を受けていた。 アームストロング氏は海軍の戦闘機パイロットなどを経て、1962年に米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士に選ばれ、ジェミニ計画に参加した後、アポロ11号の船長に任命された。 アポロ11号は1969年7月16日、サターンVロケットによって打ち上げられ、1969年7月20日に月面着陸に成功した。月着陸船に搭乗していたアームストロング船長は着陸から約6時間後、1969年7月20日22時56分(日本時間7月21日11時56分)、人類として初めて月面に降り立った。 月面に降りる時、アーム
【講座:ペンとともに考える】 『やぎさんゆうびん』の謎 まずここで、「やぎさんゆうびん」(作詞:まどみちお)なる童謡の歌詞を提示しておく。 1 白やぎさんからお手紙着いた 黒やぎさんたら読まずに食べた 仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに 2 黒やぎさんからお手紙着いた 白やぎさんたら読まずに食べた 仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに 以下無限に続く さて、ここで私が論じようとしているのは、この歌詞に秘められた謎である。いや、謎などというと誤解を招くかもしれない。不可解な点と言い直す。つまり、「なぜ《白やぎさん》及び《黒やぎさん》は、《お手紙》を読まずに食べてしまうのか」という点に関する疑問である。そしてもう一点、「《白やぎさん》による第一通目の手紙には何が書かれていたのか」という疑問である。これらをできるだけ論理的な形で論じてみたいと思う。 まず、こ
読売新聞編集委員 知野恵子さんによる『「情」に訴える宇宙開発』 という論考が、Yomiuri Onlineに掲載されていました(7月27日に読売新聞に掲載)。アルマ望遠鏡プロジェクトの広報が仕事の私はいつも「科学広報は触れる人の感情を揺すぶってナンボ」だと思っているので、これはちょっと気になる記事でした。 詳細はリンク先をお読みいただければよいのですが、要は宇宙ステーション向け貨物船「こうのとり」や探査機「はやぶさ」、準天頂衛星「みちびき」の広報において宇宙機の擬人化が行われ、それによって触れる人の感情移入を誘い、『知らず知らずのうちに応援団になっている。』ということが紹介されています。とはいってもこれを一方的に批判したり賞賛したりというわけではなくて、懸念も利点も述べたうえで、うまく使いましょうね、という内容になっています。 懸念として挙げられているのは、以下の点。 しかし、全てのプロジ
08/2320:31:28: 今日の IKAROS(8/23) - Daily Report - Aug 23, 2012 本日の運用も,IKROSの探索を行ったのですが, IKAROSからの応答は確認できませんでした. あれこれ(といっても,そんなにたくさんではないですが) 可能性のある方向にアンテナを向けて通信を試みるのですが, 今日試したパターンも不発に終わりました. はやぶさが行方不明になった時も,同じように探索運用が行われたのですが, IKAROSの場合はさらに探索が難しい点があります. 5/31のブログでY2さんが書いているように, 行方不明の間も,IKAROSは太陽光圧でしっかりと加速しているということです. ちょっと目を離すとどこに行っているか分からない,というのは まるで,やんちゃな子供を相手にしているみたいですね. なかなか見つからなくても, 「しょーがねーなぁ...ど
宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)は、7月3日から第一期水循環変動観測衛星「しずく」(GCOM-W1)による地球の観測を継続してきました。マイクロ波放射計が観測した海氷データを解析した結果、今年の北極海の海氷は、観測史上最も小さい面積を記録したことを確認しました。北極海氷の面積は、衛星観測史上最小だった2007年(425万平方キロメートル)より下回り、8月24日現在で、421万平方キロメートルまで縮小しました。 2011年9月には、観測当時、史上2位の小ささにまで海氷面積は縮小しました。その後、冬から春の期間に氷の一部が大西洋に流失していたことが衛星画像から確認されています。今年は春の段階で、北極海のほぼ半分の海域が薄い一年氷(前年の夏以降に生成した氷)で広く覆われていたことが衛星画像の解析から分かっており、近年の北極域の温度上昇などに伴い、海氷が薄くなっていると推定されます。 北極海
北極海に浮かぶ氷の面積が、観測史上最も小さくなったことが、JAXA=宇宙航空研究開発機構の調査で分かりました。 これは、JAXAがことし5月に鹿児島県の種子島から打ち上げた、水観測衛星「しずく」を使った調査によって明らかにしたものです。 それによりますと、地球の北の端、北極海に浮かぶ氷の面積は、24日の時点で421万平方キロメートルとなっていることが分かりました。 これは、アメリカの衛星などによる記録が残る1978年以降、最も小さかった2007年9月の425万平方キロメートルを下回り、観測史上最小となりました。 JAXAによりますと、北極海の氷は毎年、9月中旬から下旬にかけて最も小さくなるため、ことしはさらに小さくなることが見込まれるということです。 原因について、JAXAは、北極海の温度の上昇により、氷が薄くなっていることがあるとみていて、引き続き水観測衛星による監視を続けていくことにし
パリの郊外に、ル・コルビジェという建築家が建てたサヴォア邸という建物が存在する。 昭和6年(1931年)に建てられた古い建物なのだが、見に行ってみたらどう見ても現代建築、いやそれ以上に未来な建物で驚いた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:ピレネー山脈を越えて西の果てへ(サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 後編) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter
人類初の月面着陸という偉業を成し遂げ25日に死去した宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏(82)は、冷戦下で米ソの宇宙開発競争が過熱した時代に、米国の威信を取り戻した「アメリカンヒーロー」だった。しかし、素顔は“物静かで謙虚”。政界入りを拒みながら、宇宙開発に消極的な政策を厳しく批判する姿に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の的川泰宣名誉教授(70)は「目立つことを好まないが、飛ぶことが大好きな冒険家だった」と、その死を悼んだ。 「月に行くとしたら、正直にいって帰れるかどうか分からない」 着陸から約20年後、米航空宇宙局(NASA)のある米ヒューストンで的川氏と面会したアームストロング氏は、月面着陸に挑んだ心境をそう語ったという。的川氏は「重厚で無口な印象だったが、月面着陸のことを聞くと目を輝かせ、情熱的に話してくれた」と振り返る。 アポロ11号の船長として飛び立ったのは38歳のとき。着
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