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一部の脱原発リベラル様たち御用達学者・武田邦彦(中部大学)センセが、以下のおことば。 あのころ、と言ってもそれほど前ではないのだが、武田邦彦は脱原発派に一部に、絶大な人気があった。 批判すると「脱原発」で一致すればいいと言う種類の シングルイシュー万歳・批判が多くあった。 武田邦彦が 一方でトンデモ学者であることには 定評があったのだが・・・ね。 --------- 安倍首相の靖国参拝・・・独立国としてのプライドを持とう/武田邦彦 http://takedanet.com/2013/12/post_b92a.html 秘密保護法で強引な国会運営をした安倍首相が靖国神社を参拝したので、心配している人は多いだろう。今朝の新聞には「失うものが多い」と論説にあったが、本当はどうだろうか? まず第一にこのブログの「普通の歴史」のシリーズで書いたように、 1)日本は侵略戦争をしていない、 2)東京裁判
[我が国の生きる道] 靖国神社を現職総理が参拝した。この問題について、多くの人々が大きな錯覚をしていると感じているので、その点について以前にもしてきた議論をここで確認しておきたい。 靖国神社が、単なる戦争犠牲者の慰霊施設でないことは言うまでもない。そんな事は安倍を取り巻く連中にとっても自明のことであろう。むしろ、それを十分に心得たうえで、政治的スケジュールにおいているのである。彼の政治的スケジュールは、一貫して戦後レジームを根底的に変える方向を目指してきた。それは、ポツダム宣言に基礎を置き、ニュルンベルク裁判と東京裁判によって示された安全保障体制と国際法秩序の破壊を意味する。 我が国は、無謀な戦争を仕掛けた上、ついに自己のイニシアティヴのもとに収拾することさえできないまま、ポツダム宣言を受諾せざるを得なかった。ポツダム宣言受諾は、明治憲法において主権者とされた天皇自身の決断の結果であり、こ
タレントのビートたけし氏が、「週刊ポスト」8月9日号の連載記事「ビートたけしの21世紀毒談」で、自分自身が対象となった守護霊の霊言について物申した。この霊言は、大川隆法・幸福の科学総裁が6月下旬に収録し、その後、書籍『ビートたけしが幸福実現党に挑戦状 おいらの「守護霊タックル」を受けてみな!』として発刊されたもの。 たけし氏は、この霊言について、たけし軍団の水道橋博士から教えてもらったとした上で、こう言及した。「守護霊とオイラが対談して決裂したらいったいどうなるんだろう(笑い)。しまいにゃオイラと守護霊が『このニセモノ!』『ニセモノとはなんだ! これがお前の本心なんだ!』と何が何だかわからない罵り合いになってさ」 さらに、たけし氏は、安藤美姫さんの守護霊を呼び出して父親を聞き出すことや、矢口真理さんの守護霊を呼び出して本心を告白させるなどの奇抜なアイデアを提案。「東スポもビックリの新手法だ
政府は昨年12月17日、「国家安全保障戦略」「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画(平成26年~平成30年)」の「安保3本の矢」を公表した。(以下、「安保戦略」「新大綱」「新中期防」) 「安保戦略」は昨年発足した国家安全保障会議(以下「NSC」)が策定したものであり、我が国の安全保障に関する基本事項を示すものである。米国、英国、豪州などでは既に策定されているが、我が国で初めて策定された歴史的文書と言ってよい。 文章化されたことがなかった「安保戦略」 戦後、日本で「安保戦略」が文章化されたことはない。昭和32(1957)年に閣議決定された「国防の基本方針」が唯一これに代わるものであったが、文字通り基本方針を示す280字余りのスローガン的文章にすぎず、国家の包括的、総合的な安全保障戦略を示すものとはなり得なかった。 外交政策、防衛政策を中心とする国家安全保障政策について、
2014年01月08日 02:23 鬼頭莫宏さんが語る戦争への無関心とフィクション(ハリウッド映画や日本の漫画等)における名もなき人々の大量死への無関心。 先日の朝日新聞に掲載された漫画家の鬼頭莫宏さんの語る戦争論がとても興味深い、実感として僕も常々感じるものであったので、抜粋引用してご紹介致します。 2014年1月7日朝日新聞より 鬼頭莫宏「命のエゴが生んだ無人兵器」 現在、戦争の最大の抑止力は「敵味方問わず人命は尊い」という人道主義ではなく、「他国民の命に関心はないが、自国民の命を失うのは耐え難い」というエゴイズムです。(中略) ならば、無人兵器やロボット兵器が発達し、自国民の犠牲なしに機械を使って戦争ができるようになったらどうなるのか。近未来を舞台にした「ぼくらの」という作品では、無人兵器による戦闘を禁ずる「天津条約」という国際協定を描きました。「戦争を起こすには、自国民を死の危険に
「Q&A 植民地支配の項」が追加されています。 「Q&A植民地支配、証言編トマサ・サリノグ(フィリピン)をアップしました。」 4-1 そもそも韓国併合とは? (一部引用) では、なぜ韓国側が韓国併合に際して「抵抗」を示さなかったのでしょうか。確かに韓国併合時には大規模な抵抗運動は起きていません。その要因として、日本が韓国併合の断行に向けて軍隊や警察による警備態勢を強化させ、特に6月から警備部隊を順次ソウルに集結させ、首都地域の治安維持態勢を整えていたことをあわせて考える必要があります。韓国併合条約を統監として締結した寺内正毅は、この治安体制の整備について「軍隊、警察の威力と不断の警備は間接に〔併合が平穏に行われたことに〕多大の効果を示したるは亦争うべからざる事実」であると誇っていました(『韓国併合始末関係資料』78頁)。 しかし、日露戦争による日本の韓国侵略以来、韓国併合に至るまでの期間、
ZAKZAKに脇の甘い記事を発見した。「高市氏×山谷氏 ルール無視の中国へどう対応?『日米の連携は重要に』」 ※だが、まあ神がかり右派の、しかも女同士の話なので脇が甘い。批判的に読まれるだろうとは考えていないのだろう。 一番ひどいのは「安部首相がビルマに行ったから、日ビ関係は大きく改善した」というもの。これは、2011年末にビルマが方向転換したことを全く無視している。 具体的にはこれだ 山谷氏「実際、かなり多くの国が『中国のやり方は問題だ』と思っています。安倍首相が就任後25カ国を訪問して、共感を広げてきた成果は大きい。例えば、ミャンマーは2年前、海上自衛隊の艦船の寄港を拒否しました。経済などで中国に依存していましたから。安倍政権になって、ミャンマーとの外交関係を再構築し、ODA(政府開発援助)も復活させました。テイン・セン大統領は『海上自衛隊の寄港を歓迎する』と言っています。たった1年で
中曽根元外務大臣ら日米国会議員連盟のメンバーがアメリカを訪れ、アーミテージ元国務副長官と会談し、安倍総理大臣の靖国神社参拝について理解を求めました。 日米国会議員連盟の会長を務める中曽根元外務大臣ら3人が8日からアメリカを訪れ、ワシントン郊外でアーミテージ元国務副長官と会談しました。 この中で、中曽根氏らは、先月26日の安倍総理大臣の靖国神社参拝について説明しました。 この中で「戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことのない時代を創るとの決意をお伝えするためです」などとした安倍総理大臣の談話の英文を手渡しました。 そのうえで、「中国などが軍国主義の復活のようなことを言っているが、不戦の誓いであって全く当たらない」と述べ、理解を求めました。 これに対し、アーミテージ氏は「民主
ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス
ノンフィクション作家の檀原照和(だんばら てるかず)と申します。 昔の文豪が温泉宿に籠もったように、田舎町で長期滞在しながら文芸執筆に挑戦し、出版不況時代の文芸創作のあり方に一石を投じようと思います。 具体的には、冬ごもりしながら書き下ろし長編の下準備をし、併せて短編執筆と原稿の電子書籍化を行ないます。 この度北海道の浦河町という小さな町が募集していた「田舎でのテレワークモニター募集」に応募したところ、最大で4名しか選ばれないゲストの1人に運良く選ばれることができました。 ▼ 田舎でのテレワークモニター募集 [浦河町 移住情報ポータル] http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:S-WeSYfL9LwJ:inspot.jp/urakawa_iju/pages/1735+&cd=1&hl=en&ct=clnk&gl=jp (参考
東京都知事選(1月23日告示、2月9日投開票)で、舛添要一元厚労相(65)は8日、立候補する意向を事実上表明した。自民党側とも調整に入った。ただ、党内の一部には根強い異論が残っている。一方、7日に出馬会見を行った元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)には、日本維新の会共同代表の石原慎太郎元都知事だけでなく、そうそうたる応援団が付いていた。 「本格的な検討に入った。基本は無所属で出ることになる」 舛添氏は8日午前、都内で記者団にこう語った。自身のホームページで「日本政治を刷新する政治モデルを東京で試みることが必要だ」と強調し、東京のインフラ整備や防災対策を提唱するなど、やる気満々だ。 自民党東京都連も7日夜、幹部会合を開き、舛添氏と政策協議に入る方針を固めた。 ただ、党内には、舛添氏が自民党の政権転落後に、党を猛批判して離党した“裏切り者”で、除名処分にした経緯から異論も強く、「舛添氏が
逮捕された妻木松吉(1929年2月) 妻木 松吉(つまき まつきち、1901年〈明治34年〉12月13日 - 1989年〈平成元年〉1月29日)は、日本の昭和時代の左官。強盗強姦犯。防犯講師。大正末年から1929年(昭和4年)まで帝都東京市で犯行を重ね、立ち去り際に被害者に防犯の注意をしたことから「説教強盗」と呼ばれ、世間を大いに賑わせた。服役後は自らの体験を元に各地で防犯講演を行った。 略歴[編集] 生い立ちから最初の服役まで[編集] 1901年(明治34年)、山梨県甲府市橘町(現・甲府市丸の内)の甲府監獄(現・甲府刑務所)に生まれる。母の妻木たか(本名妻木ウメ[1])は山梨県西八代郡市川大門町(現・市川三郷町)の野守(非人[注釈 1])の娘で、製紙会社の工員として働いていたが、同僚の河西徳太郎と知り合って同棲するようになり、妊娠8~9ヶ月の頃に窃盗罪で逮捕され、懲役3月の実刑判決を受け
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