社会現象になった「では、おのおの、ぬかりなく」 耳に残るといえば、この台詞も同様です。 〈では、おのおの、抜かりなく〉 徳川勢七千に対し、真田軍は二千。寡兵が大軍を破った守城戦として史実に残る上田合戦での、真田昌幸のひと言です。その後、決め台詞としてドラマの要所要所に登場し、真田信繁にも受け継がれました。のちに社会現象になったともいわれ、ドラマ撮影後は訪れた先でよく、「あの台詞を言ってください」と頼まれました。ご当地長野県上田市では、市役所や警察署で使っているとも聞き、嬉しかったですね。テレビを観た人が、それだけ昌幸に自分自身を投影してくれていたということです。役者冥利に尽きます。 「おのおの」、これが、昌幸らしさではないでしょうか。 晩年、関ヶ原合戦の戦後処理で配流生活が10年余りつづき、病で息絶える無念の最期、昌幸は息子に心得を託します。 〈わしの立てる策に場数などいらん。心得はひとつ