ブックマーク / www.shinchosha.co.jp (15)

  • 河原理子『戦争と検閲――石川達三を読み直す』(岩波新書)- 考える人

    言論統制時代の実態 検閲、伏字、削除、発禁、差し押さえ、筆禍……おどろおどろしいこれらの文字を見て、それが日常茶飯だった時代の具体的な風景を思い浮かべる人は、もはやほとんどいなくなりました。「安寧秩序を紊乱(ぶんらん)」、「造言飛語」といった罪にいつ問われないとも限らず、「言論弾圧」の恐怖と隣り合わせで仕事をしていた編集者の先輩たちが、80年前にはたくさんいたのです。 石川達三。1905年秋田県生まれ。数々のベストセラー小説を世に送り出し、1985年に東京で没したこの作家を、2015年のいま思い出させるきっかけとしては、又吉直樹、羽田圭介という若い作家の受賞に湧く芥川賞が創設された80年前に、第1回芥川賞を受賞したのが石川達三だったという文学史的事実にまさるものはないでしょう。東北の農村からブラジルへ渡ろうとする移民の人々を描いた「蒼氓(そうぼう)」によって、太宰治、高見順といった有力

    河原理子『戦争と検閲――石川達三を読み直す』(岩波新書)- 考える人
  • 村上春樹がなんでも答えます!期間限定サイト「村上さんのところ」1月15日 (木)午後オープン!|新潮社

    村上春樹があなたのメールに“できる限り”答えるサイト「村上さんのところ」がオープンしました。いろいろな質問・相談をお待ちしています。

  • 座談の思想 - 選書・編集者のことば

    雑誌媒体では、すでにポピュラーなものとなった座談会という形式。1対1で行うものを“対談”、3人で行うものを“鼎談”、それ以上の人数で行うものを“座談会”と呼びあらわすのが慣例となっています。作家や評論家といった文筆を生業にするもの同士が語り合う場合もあれば、役者や音楽家、政治家、実業家といった文章を生業としない異業種の人間が座を囲み、ざっくばらんに話をすることも。そして、その会話を文字に起こして媒体に掲載する。読者は、書き言葉よりも柔らかい話し言葉を、その場の臨場感とともに楽しむ――。 こうして説明するまでもないほど、今ではおなじみの座談会ですが、この形式を「発明」したのは、文藝春秋社を創設した菊池寛であることもよく知られています。菊池は座談会を、「小説、随筆、評論などに拮抗する独自の形式として誌面の上で軌道に乗せ、多くの読者を引き付け」(『座談の思想』P47)ようと企画、記念すべき第一

  • 〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)|『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー、村上春樹 訳|新潮社

    J.D.サリンジャーは自分のの中に訳者の「まえがき」とか「あとがき」とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じているので、そのかわりにこのような少し変わった形で、訳者からのメッセージを送らせていただくことになる。「余計なものを入れるな。読者は作品だけを読めばよろしい」というサリンジャー氏の基姿勢もそれなりに理解できるのだが、『フラニーとズーイ』という文芸作品が既に古典として機能していることを考えれば(国で出版されたのは一九六一年だ)、読者に対してある程度の基情報を提供することは、翻訳者としてのひとつの責務であると考えるからだ。だけをぽんと与えて「さあ、読めばわかるだろう」というのでは、やはりいささか不親切に過ぎるのではないか。同時代的なであればそれでもいいだろうが、古典についていえば、その立ち位置の意味合いや方向性についての最小限の説明は必要となる。そんなわけで、このに関

    〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)|『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー、村上春樹 訳|新潮社
  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • 池田純一『ウェブ文明論』|書評/対談|新潮社

    ウェブ文明論 池田純一 1985年にカリフォルニアと東海岸を旅し、《アメリカ=文明》という視点で、この人工国家を捉えた司馬遼太郎の『アメリカ素描』。多民族社会を活写(スケッチ)するその姿勢に範をとりながら、インターネットという新潮流に注目し、ソーシャルネットワークからクラウドファンディングまで、背後にある精神(スピリット)と機構(メカニズム)を考察する斬新な論考。 ISBN:978-4-10-603729-0 発売日:2013/05/24 二〇〇七年の「セカンドライフ」ブームを覚えているだろうか。ユーザーが仮想空間内に3DCGで作られた別世界に好みのアバターとして参入し、その世界で物を作ったり商売をしたり恋愛したりする。いくつかの国がセカンドライフ内に大使館を置いたり、大企業が仮想店舗を置くなど、現実社会を巻き込む一大ブームとなるかに見えた。しかしフタを開けてみれば、日ではほとん

  • 斎藤環『原発依存の精神構造―日本人はなぜ原子力が「好き」なのか―』|書評/対談|新潮社

    原発依存の精神構造―日人はなぜ原子力が「好き」なのか― 斎藤環 原爆を落とされても、原発事故が起こっても、なぜ原子力信仰は揺るがないのか。安全/危険の不毛な二項対立を越えるには、どうすればいいのか。象徴・反復・否認・両価性・無常観……精神分析的視点から、親/反原発を問わず全ての日人の心に潜在する「享楽」の正体を読みとく。閉塞状況に風穴を開ける新しい脱原発論。 ISBN:978-4-10-314052-8 発売日:2012/08/31 書は二〇一一年九月から二〇一二年五月にかけて文芸誌「新潮」に掲載された斎藤環の連載評論「“フクシマ”、あるいは被災した時間」をまとめたものである。単行化にあたりタイトルが変更された。新しいタイトルは書全体の紹介となっており、連載時のタイトルはその出発点にあった問題意識を伝えている。原発事故は我々の時間意識を完全に変更させてしまった――これが

  • 立ち読み|新潮|新潮社

    私たちの知らないところで、大きなことが起こっていた。このまま行くと、現代日文学の翻訳は、今後あまりなされなくなるかもしれない。私の知っているだけで、このところ、阿部和重の『シンセミア』が英語への翻訳を終えて出版先を探す段階に入っていた。また、古川日出男の『ベルカ、吠えないのか?』の英訳が翻訳作業を終了している。ほかにリストには、舞城王太郎『阿修羅ガール』、町田康『パンク侍、斬られて候』、村上龍『半島を出よ』、いしいしんじ『麦ふみクーツェ』、池澤夏樹『花を運ぶ妹』などがラインナップされている。現代日小説以外にも谷川俊太郎『minimal』、太宰治『お伽草紙』などがある。外国語の読者の目にふれたら、どんな書評が現れるか。そんな期待をもたせるなかなかのセレクションぶりと言うべきだが、しかし、今後、これらに続く事業の行方は、予断を許さなくなる。 六月二〇日におこなわれた文部科学省の平成二四年

  • 立ち読み|新潮|新潮社

    私は『世界史の構造』において、マルクスに従って、社会構成体の歴史を経済的下部構造から見ようとした。ただ、マルクスがそれを「生産様式」から見ようとしたのに対して、「交換様式」から見ようとしたのである。というのは、「生産様式」から見るマルクスの視点ではとらえられない事柄が多いからだ。具体的にいうと、「生産様式」から見るとは、誰が生産手段を所有するか、という観点から見ることである。そうすると、国家やネーション、さらに宗教は観念的上部構造だとみなされる。だが、それらがいかにして下部構造によって規定されるのかが不明である。また、そのような上部構造は生産様式が変わればひとりでに解消される、と考えられる。しかし、実際にはそうならない。 マルクス主義者は国家、ネーション、宗教の問題で躓いてきた。その結果、マルクス主義が否定されるか、マルクス主義者の中でも、経済的下部構造よりも、観念的上部構造の相対的自律

  • トマス・ピンチョン全小説

    hasetaq
    hasetaq 2010/06/30
     ピンチョンマラソン開幕か・・・
  • 第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】- 東浩紀|新潮|新潮社

    第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二

  • 『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀 | 新潮社

    『クォンタム・ファミリーズ』(以下『QF』と略記)は、量子(クォンタム)コンピュータのネットワークによって相互干渉する並行世界を舞台に、出会うはずのない「家族」が時空を超えてリンクされる歴史改変SFである。グレッグ・イーガンやP・K・ディック、瀬名秀明や麻枝准らの先行作品と、ジャック・デリダの脱構築哲学を同時に視野に収めながら、作者自身とその家族を投影した作中人物(東浩紀は作家のほしおさなえと結婚し、娘がひとりいる)が離合集散する、思弁的でプライベートな色合いの濃い小説になっている。 作中で示唆されているように、『QF』は村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に宛てた、二一世紀からの返信でもある。春樹作品はディック(世界の終り)とレイモンド・チャンドラー(ハードボイルド・ワンダーランド)のハイブリッド小説だが、書の中にチャンドラーの占める席はない。その空隙を埋めるのは、一

    『クォンタム・ファミリーズ』 東浩紀 | 新潮社
  • 水村美苗+梅田望夫

    生きるために戦うのか? 生きるために守るのか? 生きるために迷うのか? この世界の象徴としての 山奥の地――デンデラ。

    水村美苗+梅田望夫
  • 【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎(「新潮」2010年1月号より転載)|新潮|新潮社

    ■連載小説 ・慈雨の音(六)/宮 輝 ・俺俺(六)/星野智幸 ・還れぬ家(十)/佐伯一麦 ・幸福の森(二十五)/加賀乙彦

    【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎(「新潮」2010年1月号より転載)|新潮|新潮社
  • 立ち読み|新潮|新潮社

    ――平野啓一郎さんの書き下ろし長編『ドーン』(講談社刊、2009)と東浩紀さんの単著としては初の小説『クォンタム・ファミリーズ』(小社12月刊)には興味深い共通点があります。まず、二〇三〇年代の近未来が舞台である。そしていずれも、超高度情報化社会の人間あるいは世界の〈同一性障害〉を描いた作品です。人間の同一性障害は『ドーン』における「分人dividual」という概念に象徴され、世界の同一性障害は『クォンタム・ファミリーズ』における並行世界という設定に象徴されます。お二人が、シンクロするかのように近未来の視点から現在を照射する力作を書かれたのに際して、初めて語り合っていただきます。 平野 『ドーン』の設定では、主人公である宇宙飛行士が火星から地球に帰還したのが二〇三六年なんですが、東さんの『クォンタム・ファミリーズ』(以下『クォンタム』)を読んだら、時代設定がほぼ同じだったので、驚きました。

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