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立ち読み|新潮|新潮社
私は『世界史の構造』において、マルクスに従って、社会構成体の歴史を経済的下部構造から見ようとした... 私は『世界史の構造』において、マルクスに従って、社会構成体の歴史を経済的下部構造から見ようとした。ただ、マルクスがそれを「生産様式」から見ようとしたのに対して、「交換様式」から見ようとしたのである。というのは、「生産様式」から見るマルクスの視点ではとらえられない事柄が多いからだ。具体的にいうと、「生産様式」から見るとは、誰が生産手段を所有するか、という観点から見ることである。そうすると、国家やネーション、さらに宗教は観念的上部構造だとみなされる。だが、それらがいかにして下部構造によって規定されるのかが不明である。また、そのような上部構造は生産様式が変わればひとりでに解消される、と考えられる。しかし、実際にはそうならない。 マルクス主義者は国家、ネーション、宗教の問題で躓いてきた。その結果、マルクス主義が否定されるか、マルクス主義者の中でも、経済的下部構造よりも、観念的上部構造の相対的自律