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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/kataru2000 (12)

  • 2008年に書き残したこと その1 - くらやみのスキャナー

    ネットは友達の変わりになるだろうか? ネットを通じての交友(?)は、リアルな友達づきあいの代替になるだろうか? もちろん、なるわけないという意見はあるだろう。当たり前である。人類の歴史と同じ長さだけ、友達づきあいというのは、リアルで行うものだったのだから。 でもね、久しく合っていない人と、あるいはまったく面識の無い人と、ネットを通じて、ふと、友情を感じる瞬間を経験することはないだろうか。僕はある。よくある。まー最近このブログも当に更新しなくなったんですが、テレビやネットで知った事件に何か一言いいたくなって、つい更新したら、同日にやっぱりあまり更新しなくなった某氏も更新してたりすると、妙にキモチがシンクロした気がしてうれしかったりする(キモイかも)。事件とかぶっそうなことを言わなくても、たとえば読みたいなと思っていたの感想が、いつも読んでるブログにアップされていたりすると、どうしようもな

    hatayasan
    hatayasan 2009/01/15
    「でもね、久しく合っていない人と、あるいはまったく面識の無い人と、ネットを通じて、ふと、友情を感じる瞬間を経験することはないだろうか。僕はある。よくある。」
  • オマ頃#10 「1995X」 - くらやみのスキャナー

    ■[1995][etc]オマ頃#10 「1995X」 「オウマーだったあの頃」シリーズ最終回は、1995年にオウム真理教を巡って書かれた文章・発言を集めてみた(例によって強調はkataru2000による)。内容そのものよりむしろ、こういった文章が書かれ、読まれた11年前の時代の気分とか空気を感じてもらえたらと思う。読んでいただけるとわかるけど、2006年の今だったらこの内容をこういう言い方で書いても通用しないだろうなあと思われるものも、今だったらもっとストレートに書いても通じるよというものもある(もちろん別に違和感を感じないだろうものもある…爆笑問題のやつとか…)。あらためて1995年を境にして、世の中の潮目が変わったんだなあと思う。そして地下鉄サリン事件は確実にきっかけになっている。 潮目が変わったのならば、やり方を変えないと釣果は上がらない。現在30代以上で肩書きのある人が、11年前と

  • オマ頃#8 「麻原ショーコー お前は誰だ?」 - くらやみのスキャナー

  • オマ頃#7 「ひと夏の神秘体験」 - くらやみのスキャナー

    ○月X日 修行場に泊まりがけで二日間の修行。初日は昼頃から越智道雄先生も参加。まったく好奇心の強い人だ。(中略)初日の午後、さまざまなアーサナ(ヨーガのポーズのこと・kataru2000注)をやった後で、「これは危険な呼吸法で、潜在意識が出てきてアバレたりする人もでるので、絶対一人ではやらないように」と注意された後、ある呼吸法をやった。早くて強い胸式呼吸を、立って十五分、座って十分、横になって十分続けるというもので、その後「シャバ・アーサナ」に入る、というものだった。立ってこの呼吸法を続けるうちに、体の周辺部がしびれ、何かエネルギー体のようなものが体の中心を通って上のほうへどんどん上がっていくのを感じた。やがて肛門の付近が何度も熱くなった。そしてその直後、脊髄にそって熱いエネルギーが上がってきて、ちょうどヘソの裏側のあたりで止まった。何か、熱くて赤くて軟らかい棒を、脊髄にそって押し込まれた

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/06
    「ヨーガや密教のメソッドを組み合わせることによって、快感を伴う幻覚等の神秘体験が経験できることを知る日本人は、今でもそんなに多くないだろう。だから突然経験する機会を得たならびっくりしてしまうと思う。」
  • オウマーだったあの頃 #6 - くらやみのスキャナー

    1995年12月22日21時00分。ワタクシは渋谷公会堂でP-modelのライブを見ながら少しいらいらしていた。P-modelは前年にあの4-D(祝音源再発)の小西健司さんを迎え、満を持して発売したアルバム『舟』がなかなか良くて、そのレコ発ライブということなので久し振りに見に行くことにしたのだった。ここでわざとらしく、『舟』の1曲目「Welcome」の歌詞を引用しておく。Welcome to the sphere 開けましょうか 根源の国のドアをばWelcome to the sphere 腰掛けて 電源のそばのシートへ遥か僻地のグルを連れて 普通の人が寝ている隙に舟アーティスト: P-MODEL, 小西健司, 平沢進出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント発売日: 1995/12/09メディア: CDこの時期の平沢進さんはインタラクティブということに興味があって(今も

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/06
    信者との問答で「けっこう真剣に率直なところを語ってもらった気もする。オウムはもうダメだという諦めと、尊師を信じたい気持ちがない交ぜになってるなーという印象」
  • オウマーだったあの頃 #5 - くらやみのスキャナー

    サティアン横浜のピースな雰囲気にすっかりヤられたワタクシだが、関内は度々通うのにはちょと遠い…と思っていたら、もらった大量のチラシの中に「サティアン渋谷 近日オープン」というのを発見。渋谷だったら会社の行き帰りにも気軽に寄れるというモンなのである。チラシの地図をたよりに歩くと、サティアン渋谷は「プリメーラ道玄坂」というマンションの3階にあった。全く余談だけど、このマンションは、ライブハウスLA MAMA の入ってるトコでありまして、丁度この年の5月に「JOHN ZORN'S COBRA 東京作戦【長谷部信子部隊】」という企画を見たばかりだったので、ここかよ〜とウケてしまった。マンションだというのにオウムは店を開くはライブは夜毎行われるわで、住民の方々の心中を察して余りあるのであった。まあ事務所ばっかりなんだろうけどね。さらに脱線して5月のコブラについてちょっと書く。コブラというのはジョン・

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/06
    オウム本をたっぷり紹介。
  • くらやみのスキャナー - トレースはダメなのか!?

    最初に言ってしまうと僕はストリートビュー肯定派です。はやく子供の頃住んでいた新潟県上越市のデータがアップされて欲しい。通学路をバーチャルに歩いてみたい。季節毎に画像が変わるともっといいなあ。 んで、まー否定派の方々は悪用の危険性を言うのだけど、当に悪いこと計画的にするようなひとは、もうストリートビューと同じデータを持ってるんじゃないかと。いやもちろん東京全域という意味ではなく、自分の土地勘がある場所限定だろうけど。たとえば高級住宅街の、あるいは日中留守が多い地域の(そんな地域あるのか?)、画像データベースなんかとっくに完成し、日々アップデートされ、裏で売買されてるんじゃなかろーか? ストリートビューよりもはるかに高解像度で。 だって不審な人物が大きなカメラを持ってうろうろというのは昭和の話でしょ。グーグルならずとも、誰でも車載カメラでさらっと結構な質と量の画像を、今は撮れるのだから。車を

  • くらやみのスキャナー:オウマーだったあの頃 #番外編

    ■[etc]オウマーだったあの頃 #番外編  かえるさんそれちょっと違う(笑) http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20060327#p4 私の記憶が確かなら、『Bart』だかどこかでビートたけしと麻原ショーコーを対談させた企画があった。読んだ限りは、それほど盛り上がっているようには思えなかったんだが……いつの間にか、オウムについてこんな評判が流れるようになっていた。 「対談が終わった後で、たけしがオウムの麻原のことを『いままでいろんな奴に聞いてわからなかったオレの疑問になんでも答えてくれた』と感心していた」 ん? 事務所がそんなこと言わせるわけがねぇだろうと。たけし自身もさ、そんな危ないセリフを人前で吐くわけないだろ。と私のゴーストが囁いたw。 時系列で言うと、91年の『TVタックル』でたけしさんはしょーこー尊師と対談していて↑、92年『Bart』で再び対談し

    hatayasan
    hatayasan 2006/04/14
    「非常に神妙な調子でしょーこー尊師としゃべってるのは事実で、この時期たけしさんはやっぱりオウムが気になってたんじゃないかと思います。」
  • くらやみのスキャナー - オウマーだったあの頃 #1

    ■[etc]オウマーだったあの頃 #1 オウム真理教事件は当時、一般紙のみならず、スポーツ新聞や夕刊紙でも大きく報じられた。 スポーツ新聞や夕刊紙は、それまでは男性しか購入しないものと相場が決まっていたのだが、オウム事件の時は会社帰りのOLさんたちも積極的に買い求めた。それはエポックメイキングな事態ではあった。 手元に残っている当時の夕刊フジの一面を何日分かスキャンしたのでアップしてみる。当時を知るひとには懐かしく、また知らない若者の方々にとっては新鮮に思えるのではないかと期待する。 ------------------------------ とりわけ僕の記憶に強く残っているのは平成7年6月1日のものだ。この日は事業費800億円強という大プロジェクト「世界都市博覧会」を青島幸男東京都知事が公約どおり中止したことがトップニュースではあったのだが、それに堂々並び「飯田エリ子座禅」の文字が躍っ

    hatayasan
    hatayasan 2006/04/14
    「驚いたのは、「世界都市博覧会」を青島幸男東京都知事が公約どおり中止したことがトップニュースではあったのだが、それに堂々並び「飯田エリ子座禅」の文字が躍っていることだった」
  • 2006-03-27 - くらやみのスキャナー

    ■[etc]オウマーだったあの頃 #3 前回までのあらすじ。1995年、仕事にヤられてしまったワタクシは、人生(きゃ!)のリセットボタンを探しもとめていた。シャットダウンボタンでは無い。せっかく生まれてきて自分から死んだら馬鹿馬鹿しいし、痛かったり苦しかったりするのは苦手なほうだから。だからあくまでリセットボタンであった。 ------------------------ 1963年生まれの僕は、子どもの頃はあらゆる宗教に対して「人間が月に行く時代に神様でもあるまい」という簡単な理由から興味を持てなかった。物心がついて以降、選挙の時に創価学会が絶大な力を振るっているのを知ったり、杉並の立正佼成会の建造物をナマで見るに至って、いや宗教侮れないなとは思ったものの、やはり自分には無関係なものだと思った。 いわゆる新宗教の支持層をあらわす(?)言葉に「貧・病・争」という有名なものがある。まじめに働

    hatayasan
    hatayasan 2006/04/14
    「まずいことにだんだん、会社を辞めたくても踏ん切りがつけられない自分にくらべて、オウムの若者達が眩しく見えるようになっていった」
  • くらやみのスキャナー:オウマーだったあの頃 #4

    ■[etc]オウマーだったあの頃 #4 1995年の初夏のある日、オウム真理教がサリン事件以降に、一般の人々と出家信者の交流のために「サティアン横浜」というスペースを作ったというニュースを知ったのは、たぶんワイドショーを通じてのことだと思う。もちろんこの時期新たにオウムが場所を借りたりするのは難しかっただろうから、既存の道場を開放したのだろう。そのサティアン横浜の住所をどうやって調べたのか、今では思い出せない(その頃ネットにつながったコンピュータなど持っていなかったのだけど)。 この当時すでに、世間はオウムのことを、死者12人重軽傷者5千人強の被害者を出した地下鉄サリン事件の犯人…と断定まではできないにしても、限りなくクロに近いと思っていた。そしてほとんどのオウム信者は、サリン事件のことを、何者か強大な力を持った組織が、オウムに濡れ衣を着せ陥れるためにやったと信じていた。この両者が出会う場

    hatayasan
    hatayasan 2006/04/14
    「非日常空間に修行という目的を持った同世代の若者が集まり最低限の衣食住は保障され自分の裁量の大きい仕事を責任を問われずにできる。終わりのない学園祭のような世界。一種のコミューンというかユートピア」
  • くらやみのスキャナー - オウマーだったあの頃 #2

    ■[etc]オウマーだったあの頃 #2 まず最初に、どうもオウマーという言葉が分からないひとが、けっこう年配のひとの中にもいるようなので解説してみる。オウマーとはオウム真理教のシンパ、ファンの一般人のことである。フツーの人達からはテロ教団に肩入れするバカと蔑まれ、オウム信者のみなさまからは、いくらオウムのを読んでも実際に修行しなけりゃ救われないとこれまたバカにされるという、救いようのないポジションだったのだ。 -------------------------- 10年前、あなたは何をしていましたか。って『神はサイコロを振らない』かよ! あのドラマは武田真治さんが良かったな。年を取るのも悪くないと、今の彼を見てると思う。 1995年。10年前、ワタクシは32才でした(当たり前か今42だからね)。30才(あたり)は男性の転機だそうである。佐藤可士和さんは30才にして「コミュニケーションデザ

    hatayasan
    hatayasan 2006/03/24
    「仕事は明日にでも辞めたい→しかし辞めればお金が無くなる→お金が無くなるとCDや雑誌が買えなくなる→それは困る…でも辞めたい、というループ思考に陥っていた」
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