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ブックマーク / eboli.exblog.jp (4)

  • 最後の敵 : 漂流生活的看護記録

    現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者な...現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者ならまず知らない者はいないぐらい悪性度の高い(予後の悪い)種類の腫瘍だったからである。たまたまその頃大学の死生学の講義でガン患者のインタビュー集を読まされていた時で、その中の「自分がガンであると告知されたときよりも、周囲の人々にそのことを伝える方が私にとってはずっと苦痛でした。そう伝えたとたんにみんながすうっと後ろに下がっていくように感じたからです。彼らの頭の中で私なしの人生がそこですでに始まっていました、私はまだ目の前にいるというのに!」という言葉を思い出し、彼にどういう言葉をかけ

    hatayasan
    hatayasan 2013/05/02
    「わたし達は「さしあたり健康な体」を担保に入れて「いつか消える自分」をしばらく忘れていられる期間を借りているだけ」
  • 値踏みする目線 : 漂流生活的看護記録

    考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で...考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で死生学を取ることになり、レポート作成のため必要になって今読んでいる資料に「ラモン・サンペドロの遺書(スペイン語)」というものがある。これは2004年のスペイン映画「Mar adentro」(邦題「海を飛ぶ夢」として日では2005年に公開)のモデルになった、スペインで最初に尊厳死を求めて訴えを起こした人物の遺言である。ラモンは25歳のとき海の事故で頸椎を損傷し、首から下が麻痺した状態で「29年4ヶ月と数日間」(遺書より)を生きた。わたしはその遺書を読みながら、あの話に似てるなあ、と

    hatayasan
    hatayasan 2012/09/17
    「限られた「社会資源の節約のため」により手間のかからない状態を保つことがリハビリテーションの目的なのか?」
  • 漂流生活的看護記録 : それで満足ですか?

    しぶしぶたたかうかんごふさん。わたしがまだ卒後5年目ぐらいの頃勤めていた病院に転院してきた、わたしと同い年の女性患者がいた。末期がんだった。もう何の手を打つでもなくなった段階で、苦痛の緩和をしながらゆっくり最期まで過ごしたいと人と家族が望んだので、それまで治療を受けていた都心の大きな病院から、何かあって電話すれば5分以内に駆けつけることができる近所にあるうちの病院に移ったのだということだった。入院からしばらくは意識も清明で、面会に来た友人たちと会話したり、家族がもってきた好きなものを少しずつべたりして穏やかに過ごしていた。わたしは同い年だったこともあって、子供の頃に見たTV番組や中高生の頃に流行ったものの話などをよくしていたように記憶している。ある雪が積もった日に「見たい」と言う彼女を、身を起こしただけでも骨転移であちこちの骨にひびが入るような状態だったので看護師3人がかりでベッドごと

  • 漂流生活的看護記録 : 危機介入

    しぶしぶたたかうかんごふさん。新人の頃働いていたリハビリテーション病院に交通事故で脊髄を損傷し、下肢機能全廃の二十歳そこそこの男の子が入院してきた。 事故から間がないにもかかわらず、妙にさばさばとした明るい男の子で、入院時の機能測定をしたPTが「まだ機能回復が望めると思っているのかもしれませんね」と言っていたが、人は「もうこれ以上よくなることはないと知っている」と、やはり元気にわたし達のアナムネに答えていた。わたし達はその明るさになんだか違和感を感じていたのだが、彼はまったく泣き言も言わずリハビリにも熱心で、自室でのトレーニングも欠かさず、他の患者とも仲良くやっていける、当に「いい患者」だった。まだ若いし、これからの自立した生活に必要な準備を万端整えてから退院かと思っていたら 「必要最小限のことでいいんです」 と言って、自己導尿(脊髄損傷の度合いが高いと自力での排尿コントロールが難しく

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