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ブックマーク / blackdragon.hatenadiary.org (4)

  • 民主党はなぜ負けたのか - ほぼ不定期刊眉唾記

    そもそも、総得票数などからみて「負けた」のかどうかに議論もあるが、多くの議席を失ったのは確かだということで、ここでは「負けた」と考えることにする。 さて、負けたことのたった一つの理由などというつもりもないし、理由は一つではないと思う。 そのなかで、大きな理由の一つと思えるのに、あまり論じられていないものを指摘してみたい。 日人は、先の衆議院総選挙で、民主党に政権を渡した。 しかし、民主党にすべてを委ねようとまで決意していたわけではない。 一方、民主党は、政権交代の効果を早く出さなくてはならないという焦りからか、数多くの法案をごり押しで通してきた。 この姿は、確たる民主党支持ですらない無党派層の多くにとって、危険な姿として映ったのではないだろうか。実際に、選挙後に望む枠組みとして、「民主党を中心とした政権」を望む声は多い一方、単独政権を望む声は少なかったころからもうかがい知れる。 そう考え

    民主党はなぜ負けたのか - ほぼ不定期刊眉唾記
    hatayasan
    hatayasan 2010/07/13
    「「勝ちすぎは怖いな」という消極的な支持・不支持の層が、勝ちすぎを恐れて第3極と思しき「みんなの党」に流れたり、バランスを取らせるために最大野党の自民に入れたり」
  • ネガコメにムカッときてしまう人にお勧めの本 - ほぼ不定期刊眉唾記

    はてなブックマークや、ブログのコメント欄やトラックバック等で、自らの発言に対してネガティブな反応が来ると居ても立ってもいられなくなってしまう人が少なくないらしい。 私自身、ムカッと来てしまったり、ショックを受けてしまったりすることは決して少なくはない。 そんなとき、あるのことを思い出すと、冷静さを取り戻すことが出来たりするので、是非とも皆さんにもご紹介しておきたい。 それは、『amazon:ラッセル幸福論』。 該当する記述は、「だれもが自分自身に対して感じている尊敬と深い愛情を他人は自分に向けてくれていない」こととしっかり向き合いましょうというところ。 コレ以外にも、教育ママの話など、今の世界でも十分に通用する(というか、あの時代にこんな洞察をしていたラッセルって凄い)話が沢山あって、一読の価値は必ずあると、余り好きでない断言までしたくなるほどのおすすめな。 表題には、ネガコメにムカッ

    ネガコメにムカッときてしまう人にお勧めの本 - ほぼ不定期刊眉唾記
    hatayasan
    hatayasan 2008/08/27
    「「だれもが自分自身に対して感じている尊敬と深い愛情を他人は自分に向けてくれていない」こととしっかり向き合いましょう」アラン『幸福論』asin:4887596022/↓すみません。ラッセル『幸福論』asin:4003364937 ですね。
  • 意見が食い違う楽しみ - ほぼ不定期刊眉唾記

    はてなブックマークにどっぷり浸かっていると、自分と似た発想の人に出会う。 そして、お気に入りに登録したり、スターのfriendsになったりする。 「ああ、この人は、似た価値観を持っているなぁ」などと感じたりする。 とは言え、個別のエントリーに、全く逆の意見のコメントをつけていたりする様子に出会うことも、決して珍しくはない。 そんなとき、一瞬、期待を裏切られたような、恋人に三行半をらったような喪失感というか違和感を覚えたりもする。 が、その数秒後、妙に嬉しくなっている自分に気がつく。 全てに対して同じ意見を持つ人?気持ち悪すぎる。 似ているなぁと思う人でさえ、視点は同じでないという当然のことに気がつく。 そして、それまで信頼を置いていた人の、自分と違う意見という物にふれることができるという機会は、自分の考え方を変えるきっかけとしても非常に大きな力を発揮する。 どこぞの誰かが言うのではなく、

    意見が食い違う楽しみ - ほぼ不定期刊眉唾記
    hatayasan
    hatayasan 2008/05/26
    「それまで信頼を置いていた人の、自分と違う意見という物にふれることができるという機会は、自分の考え方を変えるきっかけとしても非常に大きな力を発揮する。」
  • 上から目線 - ほぼ不定期刊眉唾記

    最近、ブログのコメント欄や、はてなブックマークのコメントに対する反応として、「上からの目線で不愉快」という趣旨のものを度々見かける。 どうやら、そのような発言をする人にとって、「上から目線」というのが悪いことであり、批難されるべきものであることが自明なようである。 これに対し、私は少し違和感を覚える。 おかしいと思ったことをおかしいと指摘するときに、常に批判対象と同じ目の高さに自分を置かなくてはならないのだろうか。 意見の相違というのは、多くの場合、同じ事物を見る角度や、見る側の立場や経験の差から生まれるのだと私は思う。また、自分の中に生まれた異論を公にするということは、相手の見方より自分の見方の方が正しいという前提に立つ場合が多いのではなかろうか。つまりは、自分の視点のほうが正しいという認識であって、必然的に、「上から目線」にならざるを得ないということになる。 もちろん、その内心を隠して

    上から目線 - ほぼ不定期刊眉唾記
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