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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (5)

  • 反原発を 分断する優生思想。 - hituziのブログじゃがー

    反原発運動の なかでの「優生思想」の問題が、以前から指摘されてきました。たとえば、2011年2月には つぎのような記事が問題になりました。 上関原発、強行工事!! - ゆいわのきほくのわ この記事には、たとえば つぎのような文章があります。 日の原発は、たくさん放射能が漏れています。ごまかして隠してますが、原発地帯の子供達は奇形児や白血病が多いのです。 みなさんの子どもが、原発地域で育った女の子と結婚したいと言ったらどうしますか? 年頃の女の子は、奇形児を産む可能性が高いから結婚できないのです。 このひとは、結婚差別を 批判することなく、むしろ利用し、そして「奇形」を さけるべきものと規定しています。上関(かみのせき)に原発をつくるなと主張するために、このような論理は必要なのでしょうか。むしろ、反原発運動に差別を とりこむことによって、運動を 分断することになるのでは ないでしょうか。

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  • 原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー

    武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫(追記:このは『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。) いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。 「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ) この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめ

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    hatayasan
    hatayasan 2011/04/12
    「武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫」
  • 肉を たべたいというのは、動物を ころしてでも たべたいということだ。 - hituziのブログじゃがー

    動物園や水族館で「いってはいけない」ことばがあるそうだ。それは、「おいしそう」だという。なぜそれが、いってはいけない ことばなのか、わたしには理解できない。 ここに単純な事実がある。肉を たべるということは、動物を ころすということだ。肉が たべたいということは、動物を ころしてでも たべたいということだ。ころしたくはないけど たべたいということは、それこそ「いってはいけない」わがままであるはずだ。動物を ころして たべる。それが、肉者の日常なのだ。 わたしも消極的にだが、肉を たべている。だから わたしは動物を ころしていることを わすれるつもりはない。動物の死体を 加工したものが 肉料理である。それを おもいだしたり想像するのが いやならば、肉を たべなければ いいことだ。平気で動物を ころすことができるから、肉を たべているのだ。平気で ころせないなら、なれるまで、平気で ころせる

    肉を たべたいというのは、動物を ころしてでも たべたいということだ。 - hituziのブログじゃがー
    hatayasan
    hatayasan 2009/01/18
    恵みをいただきながら生きているという視点は必要だと思うけど、「殺す」という言葉は別のニュアンスを呼び込んでしまいそうでやや違和感。
  • ことばに おしゃれは いらない。 - hituziのブログじゃがー

    むずかしいことを、いかに わかりやすく論じるか。わかりにくいところを ごまかさないままに、きちんと つたえることができるか。これは、表現するものとして、おおきな課題であると おもっています。 むだに ことばを かざらず、必要で適切な ことばを えらぶ。 「べきだ」とか、「はずだ」というのは、できるかぎり ひかえる。そして、効果的に つかう。「とても」とか「きわめて」というのも、なるべく おさえる。そして、どうしても強調したいときに つかう。 わたしも そうかもしれません。むだに ことばを かざってみせる。むだに むずかしい ことばを つかう。つたわりにくく かいてしまう。 わたしの文章の問題点は、たいせつなところになると、あいまいで文学的な表現を つかって ごまかすというところです。それは、肝心な部分について きちんとした知識と見識を そなえていないからです。だから ごまかしてしまう。抽象

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  • 「世界に一つだけの花」に手話コーラスをつける政治性 - hituziのブログじゃがー

    槇原 敬之(まきはら のりゆき)さんが作詞・作曲・編曲した「世界に一つだけの花」(リンク先はウィキペディア)。 あの曲ね、わりと すきですよ。あの曲の歌詞は すばらしいという視点にたって、以下のとおり作文します。 手話コーラスとは、なんでしょうか。あれはつまり、日語の歌に手話の単語を わりふるということです。日語の歌を うたいながら、歌詞の一部を英語の単語に訳したカードを提示するようなものです。 手話コーラスは、「手話」と いえるようなものではありません。 日の ろう者が使用している手話言語は、日手話です。日手話は、日語を手で表現したものではありません。 手話と音声言語では、まず言語形態が ちがいます。音声をつかう形態と視覚による形態という ちがいがあるわけです。そして、日手話と日語は、言語形態だけでなく、言語体系も ちがうのです。 はっきりといえば、日手話と日語は、別

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