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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (7)

  • 道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ

    サイゼリヤ事に行ったら隣に女子高生3人組がいた。勿論盗み聞きなどする気はなかったし、する必要もなかったのだが、聞くとはなしに内容が聞こえてきてしまった。何せ、視界に入るあらゆるものにケチをつけまくるのである。基的には窓の外を見ながら、ちょっと変わったTシャツを着ている人を見つければ、「見て見て、あのTシャツありえなくね?(笑)」。はげてる人を見つければ、「はげ発見!(笑)」。少し変わった服装の女性を見つければ、「あの人時代逆行してね?(笑)」と、とにかく否定しまくる。見た目はごく普通の、髪を染めるなどもしていない女の子3人だったので(別にギャルならさもありなんと言うわけでもないが)、少し意外な思いをしていた。 ちょっと焦ったのは、すぐ近くの男性1人の席にステーキが運ばれてきたときのこと、サイゼリヤに行ったことのある人なら分かるかもしれないが、ある種類のステーキを頼むと、ジュウジュウと

    道行く人を皆馬鹿にする女子高生3人組を見ながら思ったこと - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2010/07/12
    無理矢理話題を作ってまで群れなければいけない理由は何だったのだろう。
  • 「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ

    ある20代半ばの友人との会話。 友人「最近どう?」 僕「そうねえ,最近はまあのんびりだね」 友人「でも忙しいんでしょ?」 僕「いや,別に・・・好きでやってることだし」 友人「でもほら,やっぱ塾講師とか色々時間とられるしさ,論文書くのも大変でしょ」 僕「まあ大変だけど」 友人「そうかあ。頑張ってるんだなあ」 最近思うことだが,20代においては「忙しい」というのは褒め言葉になっている。彼らはすぐに人を忙しくしたがる。忙しいの対象は,当然仕事である。仕事において忙しい人間は偉い,立派,そんな風潮があるように思う。 まあ無理もないかもしれない。仕事をしているやつが一番偉い。我々が生きてきたここ10年間,そんな風潮を我々はひしひしと感じてきた。忙しければ忙しいほど偉い。始発で会社に向かい,終電で帰るという日々は自慢話となる。「不幸自慢」という言葉があるが,彼らにとって忙しいということは誇るべきことで

    「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2010/07/08
    「30代になると,「お前がうらやましいよ」と言いつつ心のどこかで馬鹿にしていた友人のことが,本気でうらやましくなってくる」
  • 「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所

    「社会の論理」を持ち込む人々 - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2009/06/18
    苦労や挫折が通過儀礼のように思われている節はあるんだろうな。
  • 内定が出た途端自分は社会のすべてを理解しているというような喋り方をし始める友人 - 諏訪耕平の研究メモ

    内定をもらった友人に殴られた これは大変面白い。内藤朝雄は「社会では通用しない」をことあるごとに持ち出してくる父親を指して,父親が言う「社会」とは父親自身だったと述べてますが,この友人も同構造ですね。要するに結果論なんです。社会というのは静的なものではないので,「社会とは何か」に答えられる人は恐らく世の中に存在しないか,いたとしてもごく少数なはずなんですよね。しかし,「社会では」「社会人たるもの」という発言はそこかしこで見られます。彼らが言う「社会では通用しない」というのはイコール「俺には通用しない」ということなんですよ。 こういうすりかえは実は多くの場面で見られます。例えば,保育所に関する問題では多くの保護者の方が「子どもにとってどうなのかが一番大切」と言いますが,これは実は子どもを隠れ蓑にして自分の意見を通そうとしています。政治家の言う「国民が納得しない」も言うまでもないですが「俺は納

    内定が出た途端自分は社会のすべてを理解しているというような喋り方をし始める友人 - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2009/06/02
    「例えば,保育所に関する問題では多くの保護者の方が「子どもにとってどうなのかが一番大切」と言いますが,これは実は子どもを隠れ蓑にして自分の意見を通そうとしています。」
  • 研究室において居場所を得るということ - 諏訪耕平の研究メモ

    春は出会いと別れの季節と言いますか?わかりません。今日は、新しく研究室に配属される理系大学の新四年生を対象に、この魑魅魍魎渦巻く研究世界の歩き方的なものを、曲がりなりにも二年間、理系の研究室で過ごしてきた経験を元として、二年前の自分にアドバイスするつもりで、心の赴くままに書いてみようと思います。 大変美しい文章だと感じました。特にここのところが良い。 僕は、研究には3つの意義があると思っています。外向きの意義、内向きの意義、そして、研究が存在することそれ自体の意義です。 「外向きの意義」はいわゆる一般的な研究の意義。「内向きの意義」は研究者の成長。「研究が存在することそれ自体の意義」は「疑う」ということの価値。1番目は当たり前ですが,2番目,3番目を研究室の上の人,特に教授が理解してくれていると素晴らしいですね。 一点。ここのところ。 研究室で発狂しないために ・研究がうまくいかないからと

    研究室において居場所を得るということ - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2009/03/23
    「人は,この集団でやっていこう,やっていけると感じたとき,そこに「居場所」を求めます。そしてそれがその人を苦しめることもある。」普段の人間関係がまさにそうなのかな、と思う節あり。
  • 「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ

    正月に久々に会った友人たちは皆元気そうで安心した。ただやはり我々ももう30歳を迎え,気になることはいくつかあった。まず,一番面白いというかショックというか複雑な現象だなと感じたのは,「今何やってるの?」という質問が禁句になっているということだ。 10人ぐらい集まると,ご時世なのかもしれないが,1人2人はフリーターのような生活を送っているものもいる。そういう人間への配慮だろうか,「今何やってるの?」は禁句であり,仕事の話も極力避けようという空気があった。 さらに,ある友人は彼女を連れてきていたのだが,この2人に対して「結婚」の話題を持ち出すのもタブーである。以前私はある友人に彼女を紹介され,「結婚するの?」と聞いたところ空気がものすごくどよーんとしたことがあった。同席者には後から,「あんなこと聞いちゃ駄目だよ」と怒られた。そうなのか。 思い出話も悪くないが,それだけでずっと持つものではない。

    「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2009/01/07
    誇りを持って生きる、ために普段から意識しておかねばならないことは何だろうか?
  • ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ

    なんか最近よくドタキャンをされる。前からそういう傾向はあったが,ある程度責任ある仕事的なことを任されるようになって,よりドタキャンされることのダメージが増した。先日大学の後輩2人と別々に約束をしていたのだが,2人ともに,なんと2回連続でドタキャンされて,「ああ,これは,サボりだな」と感じた。 ドタキャンしたくなる感覚というのはよく分かる。人は,未来の自分はスーパーマンだと思っているもので,今の自分がやりたくないことでも未来の自分は笑顔でできると思っている。だから,果たせるかどうか微妙な約束も平気でする。約束の日時が迫って,どんどん行きたくなくなっている自分に気づく。過去の自分め,遂行できる約束かどうかも判断できないのかと思う。いくつか理由を見繕ってみて,妥当っぽい理由が見つかれば,心は俄然ドタキャンに傾く。理由が見あたらなければ,しぶしぶ出かける。出かけてしまえば意外に平気なものだ。 僕は

    ドタキャンばかりする人々と,何年でも無遅刻無欠勤を続ける人々 - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2008/05/06
    寛容であることは社会人に求められる素養だとは思うけど、それにも限度があると最近は思うようになっている。
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