![「君たちはどう生きるか」このタイトルでなくてはならなかった理由―【藤津亮太のアニメの門V 第97回】 | アニメ!アニメ!](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e816f3d40cb273a10ac2a9205d555dcd9abe5be9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanimeanime.jp%2Fimgs%2Fogp_f%2F605054.jpg)
※本記事はアニメ映画『君たちはどう生きるか』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。 2023年7月14日、終戦記念日に先立つこと約一ヶ月、宮﨑駿監督作『君たちはどう生きるか』(以下、『君どう』と略記)が封切られた。『君どう』は一言で言えば、牽引力に溢れた挑発的なアニメ映画だった。一方で、多種多様なアニメーションの快楽に満ちている。うねる火炎、陰鬱とした屋敷、不気味な塔、不可思議な異界、集合物のうごめき(バラバラな動きのコントロールの妙)、グロテスクさ・滑稽さ・かわいらしさを行きつ戻りつするキャラクター造形――こうした映像美の奔流がめまぐるしい場面転換とともに押し寄せ、観客は退屈を感じる暇もなく結末に向かって押し流される。他方で、典型的な「行きて帰りし物語」でありながら、アレゴリカルな描写が引っかかりを残す。『君どう』の梗概は次のとおりである。病院の火災によって母を喪った少年・牧
アオサギという鳥が好きだ。日本中で見ることのできる、とても身近な野鳥でありながら、大きな体をもち、翼を広げれば全長は1.5メートルにもなる。あまり人や外敵を恐れぬ泰然とした佇まいにも目を奪われる。目元から冠羽へとつながる濃紺の模様や、長い首を彩る斑点、くすんだ青灰色の色合い…。いわゆる「サギ」として連想する真っ白な羽のシラサギ(実はこれは種の名前ではなく、ダイサギ・チュウサギ・コサギらをまとめた通称なのだが)とは一線を画する、野性的な美をアオサギはその身にまとっている。 そのルックスに恥じず、アオサギの暮らしはワイルドだ。魚や虫や甲殻類だけでなく、時には同じ鳥類や小型哺乳類まで捕食する。「張り詰めた弓」のようにジッと動かないかと思えば、突如として矢のような瞬発がひらめく。長い首を素早くのばし、鋭いくちばしで獲物を捉えるのだ。堂々たる巨体の優雅さと、刃物のような攻撃性を兼ね備えたアオサギを眺
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。 以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。 『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。 1. ディズニー黎明期 『白雪姫』(1937年)から『バンビ』(1942年)までおすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』 ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと
うっかりペネロペ ともだちがいっぱい編(新価格) [DVD] NHKエンタープライズAmazonうっかりペネロペ市街を爆破 私はこの分野について素人なのですが 閃光のハサウェイ見てきました。私はこの分野(ガンダム)について、素人なのですが、感想を言わせてもらってよろしいでしょうか(常套句)。いや、本当にガンダムについては物凄い人たちがたくさんいるので自分が語ったり感想を言ったり考察をしたりするのはおこがましいと思うのですが、そういう人たちはそういう人たちで自分自身を素人だと自認していて、「自分が語るのはおこがましい」と思っているので、感想を書かないのです。その結果、インターネット中には『最近話題の閃光のハサウェイって知ってますか?恋人は?年収は?(中略)調べてみました』みたいなエントリばかりになってしまう(こういう常套句もなくなりましたね)ので、自分の考察を拙いながらも書いたりしようとすな
NEON GENESIS EVANGELION 3 アーティスト:TVサントラ,高橋洋子,Aya,Aki,Rei発売日: 1996/05/22メディア: CD ※この文章はシン・エヴァンゲリオンの感想というよりTV版・旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』の昔話ですが、シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含みます。ネタバレが嫌いな人は読まないでください。 ※BLOGOSの担当者のかたへ:この文章は転載しないでください。 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開から1週間分の感想エントリまとめ - まなめはうす 今日までにシン・エヴァンゲリオンについてたくさんの人が感想や論評を書いていて、個人史が伝わってきたりもして面白かった。ところが自分はシン・エヴァンゲリオンの感想や論評が書けない。それよりも、TV版25話・26話と旧劇場版『Air/まごころを、君に』のことばかり思い出してしまう。また、式波アスカ
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 以下、全文ネタバレです。 満を持して『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を見た。 ガチで泣きました。映画としてはそう大したものでもないのに「『シンエヴァ𝄇』を見た日のことは人生の区切りの一つとして忘れないであろう」みたいな心境になってしまうあたり、俺は自分が思っていたよりもエヴァが大好きだったらしい。 シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 語るべきことの終わり エヴァに関心を失う子供たち エヴァに固執する大人たち もうどうでもゲリオン 語るべきことの終わり 正直なところ、『シンエヴァ𝄇』が「二十年前の青春に決着を付ける」「庵野が出した答えとは何か……」みたいな文脈で消費される風潮はあまり快くは思っていなかった。それは映画そのものを語るというよりは単に映画をダシにした自分語りであり、新海誠を見て自分の恋愛遍歴を滔々と語り始めるのとそう大きな違いはないからだ。
ドラえもん のび太の新恐竜はいうなればたちの悪い『江戸しぐさ映画』だった。 いろいろと許せないところはあるけれども、一番大きな理由、始祖鳥先輩を無視していること。無視していることが問題なのではなく、そういうことをする姿勢が問題。感動させるためには、何をやってもいい、歴史になかったことをあったことに、あったことをなかったことにしてもいい、というスタンス。”感動することをやっているのだから歴史を捏造してもOK”という江戸しぐさしぐさ。これをよりによって、ドラえもんでやるということが、本当に度し難い。 のび太の新恐竜のあらすじ あらすじを話さないと、どこがどう悪いのか、ということが言えないのであらすじを書きます。ネタバレが嫌な人はここで回れ右してください。 のび太が恐竜展に併設されている発掘体験コーナーでスネ夫とジャイアンに丸ごとの恐竜を見つける!見つけられなかったら目でピーナッツをかむ!と宣言
公開1ヶ月後で興行収入100億円を突破した、新海誠監督の映画最新作『天気の子』。大ヒットの前作『君の名は。』にどこまで迫るかが注目されています。 筆者は前回『君の名は。』考察記事(別サイト)を書いて大反響をいただいたのですが、「みんな(セカイ系で中二病な)新海監督が好きなんやな!」という手応えを感じました。 なので、今回も『君の名は。』のようなセカイ系ファンタジーな作品を期待していましたし、正直、また良い感じにオカルトとか神話目線からの考察記事が書けちゃうんじゃないかという下心をもって公開初日に鑑賞したわけです。 ところがどっこい。 この作品は「違和感」だらけでした。単なるファンタジーではない「現実社会」の何かを描こうとしている。新海監督から挑戦状を叩きつけられた気分でした。 そして鑑賞後、「オカルト的な考察では火傷する」という警告が私の頭の中で発生したのです。 まず、『君の名は。』とはま
【本稿はネタバレを含みます】 「アニメ化する日本社会」を批判するアニメ 新海誠監督の新作『天気の子』を観て、疑問を持った。その疑問について書く(今回は枚数制限があるため、他の新海作品との比較などは行わない。私の新海誠論については『戦争と虚構』(作品社、二〇一七年)を参照)。 『天気の子』の舞台は、異常気象でもうずっと陰鬱な雨の止まない、東京オリンピック・パラリンピックの翌年の東京である。伊豆諸島の離島・神津島から何らかの事情で家出し新宿でネットカフェ難民となった高校生の森嶋帆高(ほだか)と、母を病気で失って弟の凪(なぎ)と二人で安アパートに暮らす天野陽菜(ひな)――天に祈ることで天候を晴れに変える力をもった「100%の晴れ女」――のボーイ・ミーツ・ガールの物語である。 身寄りもなく、経済的にも貧窮した彼らは、陽菜の「晴れ女」の力を使って小さなベンチャービジネスを始めるが、陽菜はその能力の代
3回めを見た後、4回めを見る前でのメモ。 1) 鎧塚みぞれさん「はーマジ毎日が輝いている。尊い」 傘木希美さん「別れの物語もいいものだと思うが、どう思う?」 鎧塚みぞれさん「なにィ!? それは別れたいという意味か?? しかし他意のない雑談ともとれる…わからん…!!」 2) 担任先生「進路票出して」 鎧塚みぞれさん「うーむ。進路か。傘木希美さんが進路を決めるまでこちらはなんとも言えない。後をくっついていく派としては楽でありつらいところだな」 3) 鎧塚みぞれさん「まあ実際、コンクールが終われば音楽を介した関係がなくなり、さらに来年には卒業しなければならない…つらいが…避けられない…しかし私が笠木希美さんの後をくっついていく派であることは自他ともに明白であり、傘木希美さんもわかっている事実。その私に別れ話を持ち出してきたとしたら、くっついてくるな、別の進路に行け、ということになるが…」 4)
4回めを見た後のメモ 1L) さまざまな動物たちにパンくずをあげるリズさん アライグマ(剣崎梨々花さん?)にはあげない 青い鳥が一瞬手のひらの上に飛んできて、去っていく 2M) 階段の下で傘木希美さんを待つ鎧塚みぞれさん 傘木希美さんがあらわれると世界のすべてが光り輝き音楽を奏ではじめる 一緒に歩いているとちょっとした羽なんかもくれたり、下駄箱をさわれたり、給水器で水が飲めたりするので最高に最高で幸福 その一方で、「傘木希美さんが好きなもの」、音楽室や作曲家や曲には興味がなく、むしろ嫌いに近い なぜなら、最高に最高に好きなものがいる状態が最高に最高であって、それ以外のものにつきあう必要はないではないか? 最高の状態でだまっていてくれれば楽なのだが、なんかが好きとか言い出すので、それにつきあっている 傘木希美さんは最高の存在なのだから、最高存在が何かが好きだとか言い出さないでほしい 最高の存
北守 @hokusyu82 サナトリウムでだらだら生きる「生」が、戦争という一瞬の輝きに投棄されるという話が『魔の山』であったわけで、この生の意味の二重性については堀辰雄においても継承されていますよね。ちなみに『魔の山』の最後のシーンにかぶれて右翼に転向した人物としてチャンネル桜の社長がいるわけですが…。 2013-07-30 01:26:14
評価:★★★★★星5つプラスαの傑作 (僕的主観:★★★3つ・・・マイナスαかも、、、) 客観評価と主観評価にこれだけ、凄まじい差がつくのは、ほんと珍しい。しかも圧倒的に文句なく素晴らしい傑作のアニメーションだと思う。が、これを見終わった後、僕はとても複雑な気持ちになった。というのは、僕の主観的な視点からいうと、琴線に触れるものがまったく(苦笑)といっていいほどなかったので、感想の言いようがないのだ。たぶん、よく考えれば、嫌いな内容(というか、あまり興味のない)の主張であるにもかかわらず、見ている時に引きこまれる「圧倒した演出力」が素晴らしかった。しかし、さまざまな角度から見ても、いろいろな批評視点で分析することはできるといえども、これがアニメーションの傑作であることは間違いないだろう。演出や脚本の完成度としては、いろいろ批判をほぼただの「芸」として切って捨てるだけの、水準をはるかに超える
天下のクソシネコン、新宿バルト9で「コクリコ坂」を観た。小さめの7番スクリーンで前の方しか席が空いてなかったので、近年の記憶にないほど画面が視界いっぱいに広がっており、かなり疲れた。あの設計ダメだと思うぜ。 コクリコ坂から [Blu-ray] 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン発売日: 2012/06/20メディア: Blu-ray購入: 2人 クリック: 7回この商品を含むブログ (11件) を見る 海ちゃんのような類稀なキャラクターを前にすると映画が「できてる」「できてない」なんてどれほどの意味があるんだ、という気分になってくる。(★3) 主人公の海ちゃんはあだ名が「メル」なんだが、劇中に何の説明もなく2つの呼び名が混在して観客を戸惑わせる。タイトルになっている「コクリコ坂」や「コクリコ荘」の説明もないので、タイトルの意味からして判らない。海ちゃんが掲げる信号
連休3日目。混んでるんだろうなーと思いつつ観にいったら意外と空いてましたワーナーマイカル板橋。それでも、劇場ロビーにうじゃうじゃいるお子様たちはこれじゃなくポケモンを観に来ていたのですね。 『崖の上のポニョ』 2008年。宮崎駿監督映画。この作品に関して事前に得ていた知識は「ポニョは魚の子」という広告コピーと、「よくわからない映画」という世間の評判だけだったけど、別にわかるとかわかんないとかそういう以前に、とても愉快で楽しい映画でした。 そもそも、子供向けに創られた作品なんで、難しいこと考えずにポニョのキモかわいい動きを見れればそれだけでいいと思います。とりあえず、3つあるポニョの形態のうちでは、半漁人形態の動きが一番かわいいと思います。バルキリーで言うところの「ガウォーク」形態ですね。 あと、やっぱりポニョの妹たちがキモかわいいです。そういう意味では、CMのあのわらわらした魚っぷりを「キ
図書館戦争終わった。おもしろか…った、ので、感想をまとめておく。 これまでの経緯。 ぼくらの図書館戦争 http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080428#p2 「図書館戦争」がおもしろがれないよ問題 http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080505#p2 ノイタミナ枠ということもあって、男オタが大満足する方向性で作られてもそれはそれで当惑するだけなんだよ、だからあれはあれでいいのだ、というふうに中盤のエピソードは納得の出来でもあったわけだけど、最終話後半になってようやっと腑に落ちたんだよこのアニメの正しい見方が。初期状況に違和感を持ったとき原作読者のひとが言ってたような「単なるラブコメなんだよ」言説、あれはネタバレしないヒントの出し方としてすげーうまかったと今なら思える。あの情勢で適切なのはカウンター言説だったから。ただ「
なんだこれわ。 なんか凄い映画を観てしまった。何か狂ったものが映画全体を覆っている。たぶんそれは高橋洋が「自主映画」と呼んだ状態、誰にも望まれず生まれ落ちた企画であるかのような呪われた手触りなのかもしれない。 何が凄いって、宮崎アニメなのに話がさっぱりわからない。押井の「イノセンス」が話はわかるが何を言ってるんだかわからない映画、とするならさしずめこのハウルは何を言ってるんだかはものすごくわかるんだけど話がどうだったかはさっぱり解らない、という感じ。 その場その場で展開することに疑問を差し挟んでいる余地はない。適確なレイアウトと、エモーションな台詞と、滑らかな編集によってシーン単位で何が起こっているかは淀みなく、疑問の余地なくわかる。が、物語がどう、と言われるととたんに不明瞭になる。 この徴候は「千と千尋〜」ですでに表れていた、と言うことはできる。んが、まさかここまであのヤバげな匂いをこの
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