東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午
@mittochi どっかの県の高校で、バンドやったら退学っていうのをどなたかのTLで見て、いまだにそんな高校あるのかとびっくりした。いまだにバンド=不良って構図が残ってる地域があるのかΣ( ̄□ ̄;) 音楽で救われる子は多いと思うけどねえ @mittochi 進学校のことはわからないけど、底辺校で校則を厳しくしたって、生徒たちは余計に惨めさを募らせるだけだから本当にやめてやれと底辺高校出身のわたしは声を大にして言いたいお(´;ω;`) だだでさえバカでバカ扱いしかされないのに、オシャレも音楽も禁じられたら何もすることがない。マジで。 @mittochi 私のいた高校、女子校ばっかり五つくらい集まってる町にあって、その中の一番下だった。すぐそばに本物のお嬢様学校があって、そこの生徒は可愛い制服でブランドのバッグ持って通学してるのに、うちらの高校は制服ださくて校則厳しくてださくて貧乏という最悪
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人
1 名前:残された魂金 ◆IaOIjgJGRU:2011/04/03(日) 20:36:17.20 ID:i7NDfdSu0 質問なんでも受け付ける 全てガチレスで カラオケレベルからセミプロまでならいけると思う ※喉や体に負担を掛けない範囲で行って下さい 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/03(日) 20:37:27.98 ID:PM4UU4SI0 カラオケで90点一回もとれたことありません! どうしたら取れますか? 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/03(日) 20:37:47.67 ID:rWfUiDDW0 まず壊滅的に音程がとれない俺は何から始めればいい? 23 名前:残された魂金 ◆IaOIjgJGRU:2011/04/03(日) 20:42:09.84 ID:i7NDfdSu0 90点取ることよりも
東日本大震災は、科学技術研究にも深刻な打撃を与えた。震度6弱に見舞われた茨城県つくば市の研究所では、長年かけて蓄積した生命科学の試料が失われ、世界有数の大型加速器などが損壊、被害の全容や今後の影響もわからない状態になっている。 約300の研究機関や企業の研究所が集まるつくば市。国内の遺伝子組み換え植物研究の中核機関の一つ、筑波大遺伝子実験センターが2日間停電した。マイナス80度に保っていた冷凍庫が0度近くに上昇。研究者から預かっていた遺伝子サンプルなどがダメージを受けた。 鎌田博センター長は「20年近くかけて作ってきたサンプルも失われた。やりなおしても作れない可能性もある。被害の算定もできない」と頭を抱えた。 産業技術総合研究所では、電子顕微鏡や化学実験で出る有害な気体を浄化する排気装置が大きく壊れた。被害総額は数十億円に上るという。 高エネルギー加速器研究機構(KEK)では、小林
漫画寄付キャンペーンにより東日本大震災 被災地に計70,530冊お届けいたしました。 全国からご寄付頂いた皆様のご厚意に深く感謝いたします。ご協力ありがとうございました。 こどもたちに漫画で笑顔を届けたい 東北地方太平洋沖地震により日常生活が奪われ不安定な状況が続く中、まずは衣食住の安定的な確保が優先される状況であり、子供たちのメンタルケアに対して十分なリソースを確保できるようになるには時間を要するであろうことが予想されます。 そこでサムライファクトリーでは、被災地に暮らす子供たちに本棚に眠っている漫画・絵本を届けることによって、日常生活の中にあった安らぎを取り戻す一助になればと、本キャンペーンを実施することと致しました。 ≫ プロジェクト
3月11日に発生した東北関東大震災。ボランティアが震災直後の被災地にはいったとき、避難所で見たのは、積み上げられた伊藤園の飲み物ケースだったという。 伊藤園では、震災後わずか3日間の間に、被災した岩手、宮城、福島各県にお茶やミネラルウオーターなど60万本を提供。そのスピードはどこよりも圧倒的に早かった。 同社広報部の担当者は語る。「被災地にある営業所だけでなく、東北地方の営業拠点から可能な限り支援物資を提供しました。すべて各営業所が独自に判断して、飲料を配布して回りました。とにかく非常事態なので飲み物の種類を限定せず、倉庫にあるものをどんどん支援物資として運び出しました」 その後、交通事情がある程度整ってからは本社からも追加支援。これまでにトータルで100万本を超える飲料を提供したという。それにしても、営業所、場合によっては社員ひとりひとりが判断して行っていたというのは驚きだ。そこには、全
宮城県気仙沼市の沖合約1.8キロの海上で漂流していたところを、津波から3週間後に救助された犬が4日、名乗り出た飼い主の元に戻った。飼い主は「これから絶対離さずに、大事に飼う」と喜んでいたという。 犬は雑種の雌。震災の行方不明者を捜索していた第3管区海上保安本部(横浜)の特殊救難隊のヘリコプターが1日に発見、救助艇で助けた。県動物愛護センターで保護されていたが、気仙沼市の避難先でテレビを見た50代男性の家族が「うちの犬じゃないか」と名乗り出た。 妻が同センターを訪れたところ、犬はしっぽを振って大喜び。センター職員らに見せる態度とは全く異なり、飼い主と判断したという。鈴木寿郎同センター所長は「不慮の事故で離れ離れになったペットと飼い主が再会できて、うれしい」と話した。
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